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9「東宿」
かつての賑わいはギャンブルに
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s 2004.2月 取材

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画像名古屋っ子秀吉の天下統一までの足跡中村公園文化プラザ
画像秀吉も信長もここから旅立った萱津の東宿・東宿神明社
画像二つの輪っか繋がりでどうよ名古屋けいりん(中村公園)

画像名古屋っ子秀吉の天下統一までの足跡 −中村公園文化プラザ
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 中村公園の西側には、3つの池があります。ひょうたん池、関白池、そして太閤池です。特にひょうたん池は本当に瓢箪の形をしています。瓢箪は秀吉の馬印です。また、その池のほとりには清正が出陣前にお祈りをしたという八幡社があります。
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▲八幡社です。清正がいた頃から、既にあったということですね。画像▲ひょうたん池は、本当に瓢箪の形をしています。

 さて、その池の南側には「中村公園文化プラザ」があります。ここは中村図書館と中村文化小劇場、そして秀吉清正記念館からなる施設です。入場は無料ですので、中村公園へ来た際にはぜひとも立ち寄りたい場所です。さすが秀吉の記念館、かわいい猿のキャラクターが案内してくれます。5つのコーナーに分かれていて、「信長と秀吉」では火縄銃がいくつか展示されており、160cmというその大きさに驚かされます。「秀吉の天下統一」では、当時の秀吉の姿や、刀狩条目、そしてポルトガル国インド福王からの信書、さらには秀吉が62歳の時に詠んだの歌の自筆下書きなどを見ることができます、複製ですが。次に「関ヶ原の戦い」では、大坂の陣関係出土品。「清正と尾張の武将」では当時の清正の姿。最後に「太閤記の世界」では、土人形や面子絵などが見られます。私は初めて訪れたのですが、当時の武将の姿や様子、そしてその時代の風景なども知ることができとても興味深かったです。清正の手形があるのですが、手首から指先までなんと25.5cm。実物ではなく、後の人が清正を偲んで作られた形と言われています。それとも、本当に相当でかい手だったのかも。
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▲「中村公園文化プラザ」中村文化小劇場は有料です。画像▲秀吉と清正に関するものが、常設展示されています。

 さて、秀吉は大坂を本拠としたということと、庶民から這い上がって天下を統一したという経歴が好まれ、大阪では今でも秀吉のことを「太閤さん」と呼び、英雄として崇拝されているそうです。それなら大阪人は一度、この地を訪れるべきではないでしょうか。大阪城内にも豊国神社はあり、商売で成功を祈る人が多く訪れると言います。もちろんそれだけでもご利益はあると思うのですが、裸一貫から成功を夢見るのであれば、だいぶ出世してから築城した大阪城よりも、信長の草履を懐で温め、いつかは天下を獲ってやろうと、志を持ってその思いを漲らせていたここ名古屋、そしてその原点中村公園に訪れ、物事を一から始め立身出世するパワーを秀吉から分けて頂こうではありませんか。秀吉の原点はここにあり、ですよ。
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画像秀吉も信長もここから旅立った −萱津の東宿・東宿神明社
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 では、この中村公園を離れ、清正公通を西へ向かいましょう。すると、東宿という地区に出ます。京より美濃を経て鎌倉へと赴く鎌倉街道、その中に於いて「萱津の東宿」と言われたところです。庄内川を挟んで対岸にあった萱津宿の出郷として、当時は市がたくさん立ち、相当賑わっていたそうです。信長や秀吉も京へ出かける際は、ここにある東宿神明社にお参りしつつ、この街道を通ったことでしょう。ただ、今はその面影がまったくありません。町名としては「東宿町」「宿跡町」とその名残がありますが、日中は歩く人影もほとんどなく、いたるところにコンクリートの空き地がありました。
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▲東宿町交差点。人が全然いない…。画像▲「東宿明神社」の記念碑。2月末の「こわいこわい裸祭」では、裸でおこわを取り合うそうです。

画像二つの輪っか繋がりでどうよ −名古屋けいりん(中村公園)
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 ところで、周囲を見回すとマンションや企業、そして古い民家があるのですが、やはり空き地が気になります。どうやら駐車場のようなのですが、どれも同じ看板が立っているのです。看板に近づいて見ると、そこには自転車に乗ったコアラのマークがあります。そう、このあたり一体の空き地のほとんどは、「名古屋けいりん」の駐車場なのです。名古屋けいりんは中村公園内にあり、北側一帯を占めています。既に中村公園から300m以上離れているのですが、こんなに遠くの駐車場が一杯になるほど、車が溢れるのだろうか。と思いつつ宿跡町の交差点を南西方向に向かいます。この道は中央に水路が走り、その両側が一方通行になっています。すると、歩けども歩けども両側には自転車に乗ったコアラが…。少しでも空いている土地は名古屋けいりんの駐車場となっています。
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 この日は開催日ではなかったので何とも言えませんが、この状況から考えると開催日はかなりの混雑があるのでしょうか。名古屋競輪の中には、本格的なイタリアンカフェも登場するなど、結構若い人も訪れているとか。と思いきや。この駐車場、名古屋けいりんが地権者から借りているものなのですが、駐車場余りがマスコミに指摘されていて、少しずつ削減しているそうなのです。
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▲中村公園の中にある、「名古屋けいりん」正面玄関。

 かつては市で賑わった東宿界隈。その賑わいはギャンブルに引き継がれたものの、バブルの崩壊とともにそれも無くなりつつあるようです。それでも名古屋競馬のように経営難ということはなく、2002(H14)年12月に行われた「愛・地球博協賛レース」では19億円を売上げ、数千万円が万博建設資金として寄付されたとのこと。
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 競輪と戦国武将。このふたつを結びつけて観光開発すれば、名古屋有数の観光地になりそうですね、具体例は思いつきませんけど。武将の格好でレースでもしますか。だめかな。その前に、なぜ名古屋競輪のマスコットがコアラなのでしょう。もちろん名古屋にとってコアラが誇れる存在なのはわかるのですが、せっかく秀吉生誕地なのに…。
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 あ、そうだ。常泉寺のむすびの輪も、競輪も、二つの輪っかということで結びつけてPRをしましょうよ。などと言うと、お寺とギャンブルを一緒にするなんて何事だ。と怒られそうですけど、この公園自体それが一体化してるんですからねぇ。
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 ちなみにこのあたり、夜はあまり人通りがありませんし、どこの都市公園でもそうですが、治安が良いとは言えませんので観光は早い時間をお勧めします。
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