01.中村区 名古屋を歩こう

信長くんの書道教室

記事公開日:2004年2月16日

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秀吉を誇りに思う郷土愛のカタチ-稲上町界隈

 では、東宿の宿跡町から南西へと伸びる、水路を跨いだ道路をさらに進みましょう。畑を耕しているおじさんや、土蔵のような古い長屋があったりと、高層ビルが立ち並ぶ名古屋駅周辺と同じ中村区であることを忘れそうですが、中村区の大部分の姿はこちらなのです。東を見ると、彼方にJRセントラルタワーズが必ず見えます。このあたりはやはり秀吉を身近に感じているのか、豊臣機材、パブ太閤といったネーミングの建物が目に付きます。ちなみに、ストーブメーカーのtoyotomiは瑞穂区、自動車用ボディパネルを製造する豊臣機工は安城市です。豊臣秀吉は、名古屋っ子にとってやはり今でも誇りなのです。全国を統一した名古屋っ子のひとりですからね。ところで、パブ太閤というネーミングのミスマッチ感は、逆に気持ちがいいくらいですね。

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▲清正公通、宿跡町から東を見るとタワーズが彼方に。 画像 ▲こういった長屋にはもちろん今も人が住んでいます。

稲葉城はココだ!信長の主張-城屋敷神明社・広讃寺

 そして、1kmほど歩くと稲葉地という界隈に出ます。細い通りを西に曲がりますと、城屋敷町に広讃寺があります。ここは真宗大谷派のお寺です。豪商・塩屋利兵衛が買収し再興したと言われています。そして、そのまま西へと進みますと、もう庄内川の堤防です。川の向こうは海部郡大治町で、そこが中村区の西端にあたります。

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▲「広讃寺」イチョウ、モミノキなどがあります。

 その突き当たりにあるのが城屋敷神明社です。ここは、織田信長の伯父にあたる津田豊後守が居城していた稲葉城の跡地で、石碑が立っています。この稲葉城は、四代小藤次が本能寺の変で戦死した後に廃城になったと言われています。手洗い場の水は竜の口から注がれていて、日光が水面に反射し幻想的な雰囲気を醸し出していました。ただ、この先が川のために道路が行き止まりとなっており、そのため路上駐車が多かったことが気になりました。そう言えば、岐阜市にある岐阜城は元々の名を稲葉城と言ったのですが、信長が攻め落とした際に、岐阜城と名を改めさせています。信長にとって、伯父さんのお城と同じ名前のお城が他にあることが、許せなかったからなのかもしれません。

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▲「城屋敷神明社」城跡の石碑は左側です。 画像 ▲境内にある立派なクロマツ。冬に備えて腹巻をしています。 画像 ▲素直にカッコイイと思い、ついつい写真を撮ってしまいました。

やんちゃな信長が通ったお寺-凌雲寺

 そして神明社のすぐ南側にあるのが凌雲寺です。ここも信長の伯父さん津田豊後守ゆかりの場所で、永正年中(1504年~)に津田豊後守が建立したお寺です。境内の庭園がとても綺麗で、松を中心に広がるその風景に心が落ち着きます。実はこのお寺、信長が幼い頃に通っていた書道教室なのです。この松を見ながら、落ち着いて習字を習っていたのかと思いきや、その習字で使った草紙を松の木にぶら下げ、近所の子どもたちと遊んでいたとのこと。

 幼少の信長は、松の木に草紙を掛けて、それを刀で切る真似などをして結構やんちゃだったのかな、そして習字や学問を教えてくれる住職の手を煩わせていたのかな、などと勝手に想像するとなんか微笑ましいですね。歴史上の人物にも、そんな日常があったのでしょうね。

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▲これ、ちゃんと勉強せんかい!なんて言われてたのかな、信長。 画像 ▲中の庭園は手入れが行き届いていて癒されます。ぜひ直接ご覧下さい。

名古屋市は昭和初期には既にもう...-アクテノン(稲葉地公園)

 では、そのすぐ南を東西に走る稲葉地本通へと出ます。この道は名古屋駅西口から続く太閤通をさらに西へ来た所です。東へ歩くと、大鳥居や大門の遊郭街入口に戻ることができます。その稲葉地本通を少し東へと進み、その名も稲葉地本通という交差点を南に曲がります。すると、妙な建物のある稲葉地公園にぶつかります。

 その建物はギリシアのパルテノン神殿を思わせる外観です。一体何なのでしょうか。近づいてみますと「名古屋市演劇練習館・アクテノン」とあります。俳優・女優は英語でアクター、アクトレス。それとパルテノンを合わせてアクテノン。わかりやすいですね...。ちなみにこの建物は、もともとそれが目的で建てられたわけではなく、1927(S12)年に稲葉地配水塔として作られたもので、その後1965(S40)年から1991(H3)年までは図書館として利用されました。そして1995(H7)年に演劇練習館として復活しています。建物の中は配水管が張り巡らされていて、配水塔だった当時の面影を残しているそうです。

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▲稲葉地本通の交差点です。この先が庄内川。新大正橋。 画像 ▲なんだこの建物は?まさか神殿...?昭和初期にこのデザイン...。

 このアクテノン、1989(H元)年には名古屋市の都市景観重要建築物に指定されています。確かに、80年近く前の建物とは思えないモダンさがあります。名古屋って元々デザインに力を入れる土地柄だったのでしょうか。デザイン都市の根源ここにあり?


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