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6「北一色」
世界の映画・世界のバイオリン
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画像古い運河の行き着く先は 中川運河倉庫街
画像何一色なの…?北一色
画像名古屋城築城の石切り場西念寺・西宮神社
画像小栗街道と小栗監督・映画「泥の河」 小栗橋
画像バイオリン好きが高じて日本一鈴木バイオリン製造

画像古い運河の行き着く先は −中川運河倉庫街
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 名鉄ナゴヤ球場前駅から中川運河へと歩きます。このあたりは新幹線の高架もかなり低くなっており、高架をくぐるトンネルの向こう側にある信号機が通常の高さでは見えないために低い位置に設置されています。間近で信号機を見るとその大きさに驚かされます。さすがに触ることはできませんが、信号機の迫力を感じます。
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▲信号機って間近で見るとデカい。

 ナゴヤ球場前駅の北側には水路があります。これが松重閘門と中川運河を結ぶ水路です。かつてはここを数多くの貨物船が走っていたことでしょう。柳原橋を渡って北へと歩きます。片側3車線の大須通にぶつかるとその先が運河の終点です。その名も運河橋から北を臨むとため池が広がり、高速道路の高架のむこうにはささしまライブ21地区が見えます。ため池の水は澱んでいていろんなものが浮いています。そしてその、ため池の周辺運河町一帯には物流基地が数多くあります。かつてはここから船に物を積み込んでいたのでしょうが、今はトラックがたくさんやってきます。しかし物流基地はかつて船に物を積み込んでいた状態のままなので、岸壁の細い通路を大きなトラックが通り不便な様子です。ところで、古河電工グループの物流拠点がここあるのは古い運河だからでしょうか。偶然でしょうね。
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▲この先が松重閘門。今はもう船の姿はありません。画像 ▲運河橋。この先が運河の終点。JRセントラルタワーズが見えます。画像 ▲ここがそのため池。右側に古河電工グループの倉庫があります。

画像何一色なの…? −北一色
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 中川運河はこの運河町から名古屋港を結びます。では中川運河の西側を南へと歩きます。運河橋の次にあるのが猿子橋、かつての鎌倉街道です。猿子橋を渡ると鹽竈神社のあった西日置商店街です。逆の猿子橋西側は埋立地によくある名の月島町ですが、かつてこのあたりは北一色村でした。一色いう地名は全国にありますが、その由来は中世の租税制度で公事を免除されていた一色田によるところが多く、愛知県幡豆郡一色町もそうです。また山梨県の上九一色村は耕地が少なく年貢に工芸品を納めていたことから工一色といわれたことに由来するそうです。どちらにしても、一色という地名の場所は中世の頃何かしら税制が優遇されていた場所を指すようです。しかし、この北一色村の由来ははっきりしていません。ただ、今は同じ中川区内にある下之一色町に対してつけられたものであるということはわかっています。今はもう北一色という地名は残っていませんが、下之一色町は当時のまま残っています。
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▲運河橋の南、猿子橋。旧鎌倉街道です。画像 ▲運河沿いには昭和30年代の倉庫がそのまま。画像 ▲倉庫は運河に対して背を向けています。

画像名古屋城築城の石切り場 −西念寺・西宮神社
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 さてその月島町には、猿子橋から鎌倉街道を西に少し歩いたところに西念寺、そして中川運河と松重閘門の水路の合流点に西宮神社があります。西宮神社には願いごとが書かれたしゃもじがいくつも奉納されていました。由緒書によりますと、西宮神社は御伊勢川の守り神として祀られ、古来よりイボの神さまとして親しまれてきました。しかし明治時代に一度、金山神社と合併させられたり中川運河の開設で境内が削られたり紆余曲折の末、現在の姿になっています。御伊勢川とは後の笈瀬川のことで中川の上流を指し、現在は埋め立てられています。この中川運河はかつて中川だったということは書きましたが、川であれば上流から流れていたわけで、ずっと北まで続いていたのです。中川は川幅が太かったのですが、西宮神社前から北側は狭くなっていたために、名古屋城築城の際はここまで中川、笈瀬川を利用して石材を運び、ここで石切をして加工した上、名古屋城まで運んだとのことです。境内にはそのことを示す名古屋築城石切場跡碑があります。
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▲月島町の西念寺。鎌倉街道沿いになります。画像 ▲名古屋城築城の際、石切場だった西宮神社。画像 ▲たくさんしゃもじが奉納されていました。絵馬の代わりでしょうか。

画像小栗街道と小栗監督・映画「泥の河」 −小栗橋
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 中川運河の合流地点には露橋下水処理場があり処理された水は中川運河に注がれます。その合流地点にある緑色の橋は小栗橋です。このあたりは古い工場や倉庫街が残されていることから、度々映画やドラマのロケに使用されています。中でも小栗康平監督が1981(S56)年に第一回監督作品として製作した「泥の河」はこの小栗橋周辺で撮影され、欧米をはじめアジア各国に配給され高い評価を得ています。そのタイトルのとおりこの中川運河はかつて泥のような川だったのです。この映画は戦後の大阪安治川河口を舞台としたもので、ストーリーとしてはこの界隈を描いたものではありません。ではなぜここで撮影したのかというと、監督がこの映画を撮ろうとした時、大阪にはもう当時の風景が残っていなかったのです。しかし、ここには昭和30年頃の風景が当時のまま残されているのです。
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 露橋下水処理場は現在(2004年)全面改築工事に入っており、高度な下水処理設備に生まれ変わる予定です。改築が完了すると窒素やリンも除去できるようになり中川運河の水質も改善されることでしょう。倉庫街はそのまま残して欲しいですけれど、泥の河のままではいけませんからね。倉庫街はここから南にずっと続いているのですが、この小栗橋を撮影場所に選んだのは監督が自分と同じ名の橋を選んだからでしょうか。ちなみに小栗橋は中川運河が完成した前年の1929(S4)年完成で、この北側を通っていた鎌倉街道の別名「小栗街道」がその名の由来となっていて橋自体も歴史を持っています。
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▲露橋下水処理場。運河に直接流れるので水質を左右します。画像 ▲小栗橋周辺です。このあたりで映画が撮影されました。画像 ▲小栗橋です。一部整備されていますが、今も昭和を感じることができます。

画像バイオリン好きが高じて日本一 −鈴木バイオリン製造
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 小栗橋を東に渡ると世界的に有名な工場があります。橋を渡りきった小栗橋東の交差点には、スガキコシステムズ名古屋工場とチューガイという商社があります。そしてチューガイの奥にあるのが、世界的に有名なバイオリンメーカー、鈴木バイオリン製造の工場です。創始者である鈴木政吉氏は1887(M20)年からバイオリンの試作にとりかかります。政吉氏は当初からバイオリンの量産化を試み、さらにマンドリンやギターも製造するようになります。1930(S5)年には株式会社化し、戦後1946(S21)年この地に新工場を完成しました。しかし政吉氏はこの工場が完成する2年前に亡くなっています。鈴木バイオリン製造は常に国内でトップシェアを誇っています。海外の高度な製品と同等のものを量産化で安くという政吉氏の思いが実現し、逆に愛好者は海外へ広がりました。そもそも、政吉氏がなぜバイオリンを作るようになったかというきっかけなのですが、一目見てとりこになったという実に明快なものです。
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▲スガキコシステム。左側にチューガイ、その奥に鈴木バイオリン製造。

 鈴木バイオリン製造のすぐ横にはケーキやプリンで全国的に有名なモロゾフの名古屋工場がありました。世界の鈴木バイオリンの音色を聞きながらチーズケーキと紅茶をいただく午後。想像しただけで優雅です。ご近所のコラボレーションですね。しかし2004(H16)年3月、神戸深江浜工場に生産集約されることとなり名古屋工場は閉鎖となってしまいました。従って今鈴木バイオリン製造の横にあるのは、スガキコシステム名古屋工場ということになります。鈴木バイオリン製造とスガキコシステムをコラボレーションさせるには…。
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 スガキコシステムはラーメンでおなじみの寿がきや食品の関連会社で、寿がきやの市販品ではなくスガキヤの店舗用食材を製造しています。スガキヤといえば宮地佑紀生さんの「もっと食べてみや〜ち」というCMが有名です。そうそう、その時宮地さんが持っているアコースティックギターがこの鈴木バイオリン製造製のものだったらバッチリですね。しかし、かつて「Three S」ブランドでギターを製造していた鈴木バイオリン製造、現在はギターから撤退しています。そういえば、私の父親が「Three S」のギターを持っていた記憶があります。生産中止ということは結構価値が高くなってるかもしれません。家のどこかにあったは…ず。
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 思い出した。私が幼い頃壊したんだった…。
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