02.中区 名古屋を歩こう

やっぱり、尾張名古屋は城でもつ!?

記事公開日:2004年3月18日 更新日:

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芸どころ名古屋にふさわしい能楽堂-名城公園・陸軍病院跡

 いよいよ中区も最後です。取りはやはり名古屋城です。

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▲逆光で見難くてすみません。名古屋城です。

 伏見通は名古屋城の前で斜め左へと道路が曲がっています。その交差点にあるのが名城公園です。名城公園はふたつあり片方は地下鉄の駅名ともなっていますが、それは北区名城の名城公園で、こちらは中区の名城公園です。

 この名城公園には加藤清正像と能楽堂があります。まずはその加藤清正を含めて、名古屋城の築城について見ていきましょう。1600(慶長5)年にあった天下分け目の戦、関ヶ原の合戦の後、徳川家康が江戸幕府の安泰のためと東海道の要衝として、さらには大坂への備えとして築城されたのが名古屋城です。

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▲加藤清正像です。左には能楽堂、右奥に名古屋城が見えます。 画像 ▲この公園には「彫刻の庭」。名古屋はとにかく公園に彫刻を置きます。

 家康は清須(現在の清州)から名古屋への遷府を行いました。1610(慶長15)年に加藤清正、福島正則、前田利光など諸大名20名に築城を命じました。これは大名の財力を落とす目的もあったと言われています。この際、清須からは神社・仏閣がたくさん名古屋へと移されているのです。そして2年後に天守閣がほぼ完成し、その後本丸御殿、二の丸御殿が完成していきました。名古屋城はその後250年間にわたり、尾張徳川家の居城として栄えたのです。

 不幸にも1945(S20)年5月にあった名古屋空襲の際、金鯱を含めて大・小天守閣、本丸御殿を焼失してしまいます。ただ、門、櫓、本丸御殿壁画の1,047面は焼失を免れ、国の重要文化財に指定されています。その後、天守閣は金鯱とともに復元されています。現在、本丸御殿については復元検討委員会が発足し、基金への寄付を募っています。5千円以上を寄付しますと、本丸御殿復元の際、柿板に住所と名前が入りますし、永代帳に記載され名古屋城に永年保存されます。名古屋城に名前を残すなら今がチャンスです。

 さて、その加藤清正像の横にあるのが「能楽堂」です。こちらは1997(H9)年に、伝統芸能の振興と交流をめざして建設されたもので、能舞台は総檜造りという立派なものです。この舞台は能・狂言のほか国際会議や結婚式会場といった利用もされています。月に7~8日は能や狂言の公演が行われていますので、スケジュールをご確認のうえお出かけください。なお、催し物によって無料のものもあれば、1万円では利かないものもありますのでお気をつけください。

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▲能楽堂です。催し物の金額をお確かめの上お入りください。

 また、このあたりにはかつて名古屋陸軍病院があり、「再び戦火でこの平静を乱さぬことを誓う」という女性像があります。陸軍病院は現在、国立名古屋病院として市役所の北側に移転していて、エイズ治療東海ブロック拠点病院ともなっています。

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▲陸軍病院跡地の像です。空襲でお城が狙われたのはこれのせいだったのでしょうか...。

その煌びやかさに魔が差さないように...-名古屋城

 ところで、名古屋城と言えばやはり金のシャチホコです。もともと、お城に鯱を掲げるのは火除けのおまじないの意味だったのですが、名古屋城が築城される頃には、城主の権威の象徴として飾られるようになりました。現在の金鯱は1959(S34)年に再建されたものです。北側が雄で44.69kg、南側が雌で43.39kgです。しかし鱗は雌の方が多く126枚、雄が112枚となっています。屋根に金製の鯱が置いてあれば、泥棒を考える輩もいるはずです。実際いくつか事件がありました。

 有名なのは、凧に乗って金鯱の鱗3枚を盗んだ柿木金助という怪盗のお話です。これは1783(天明3)年に大坂で初代並木五瓶作「傾城黄金鯱」というお芝居として上演されたのが知られるようになったきっかけで、金鯱泥棒として一躍有名になりました。しかし、どうやらこの話は作り話のようで、実際の金助は土蔵から名古屋城に押し入り、凧ではなく船で逃走したそうです。この凧に乗っての金鯱泥棒の話は、「さすがの猿飛」というマンガでもネタとして使われたことがあります。やはり金があれだけ見える位置に晒してあれば、盗みを考える人も出てくるものですよね。ちなみにこの金助、1763(宝暦13)年に名古屋の町を引き回しのうえ、はりつけ獄門に処せられています。いつの時代も悪いことはできません。

 ところが、これに留まらず金鯱はその後3回盗難に遭っています。鱗の1枚や2枚、と思われるかもしれませんが、国宝です。鱗の枚数は記録されています。名古屋城へお越しの際は、光り輝く金を見ても魔が差さないように気をつけてください。ちなみに、現在の金鯱は18金メッキです。メッキですよ。

 城内のお土産屋さんには携帯ストラップから本格的な置物まで、数々の金鯱グッズが370円から販売されています。あなたの家の床の間に、お店のシンボルとして、金鯱はどうですか?

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▲お城と桜の画像です。シーズンはたくさんの人で賑わいます。 画像 ▲近くには駐車場もありますし、官庁街は平日駐車可能です。 画像 ▲桜と名古屋城。今年も行きたいな。

 名古屋っ子はそれほど名古屋城に行くわけはありませんが、桜の名所であるのでお花見シーズンは大変賑わいます。また、毎年8月の夕方に開催される「名古屋城夏まつり」では城下で様々なイベントが開かれ、かつての城下の賑わいが戻ってきたような錯覚に陥ります。なんだかんだ言っても、私も毎年どちらかのシーズンには名古屋城に訪れます。普段生活していても、ふと名古屋城を見ただけで、やはり何か誇りと言いますか、東京や大阪から何を言われようとも、名古屋が好きな自分に気づきます。名古屋は、どれだけ馬鹿にされてもお城だけは全国に無条件で誇れるのですから。

 今でも尾張名古屋は城でもっている部分があります。でも、この言葉って城以外ではもたない、尾張名古屋はお城だけって意味もありますよね...。微妙。

>>西区へ続く


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