02.中区 名古屋を歩こう

呪われたテレビ局?メ~テレ

記事公開日:2004年3月18日 更新日:

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下前津でも上前津・じょうぜんづじゃないよ-上前津

 地下鉄名城線に沿って歩くと、大須の南にあるのが上前津駅、そしてその南が東別院駅となっています。この二つの駅周辺を歩いてみましょう。

 大津通を南へ歩くと上前津交差点に出ます。そして少し歩くと下前津という交差点になります。上・下で前津はセットなのですが、やはり駅名になっている上前津の知名度は高く、スギ薬局は下前津交差点の横にあるにもかかわらず「上前津店」です。その下前津交差点を右に曲がると中生涯学習センターがあり、その次の交差点を左折すると、お寺がいくつかあります。

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▲下前津交差点です。下前津があるとは実は私も知らなかった...。

 このあたりには恐ろしい歴史があり、その南にあたるメ~テレ(名古屋テレビ)の社屋はそのせいで呪われていて、何人かの社員が呪い殺されてしまうというドラマが放送されたことがありました。果たしてその恐ろしい歴史とは何なのか、そして、そういった事実は本当にあったのかを探ります。

俳人横井也有の髪と爪-長栄寺・梅香院

 まず左側に見えてくるのが「長栄寺」です。このお寺で有名なのが「蘿塚」と呼ばれる碑です。これは、俳句の道では門人でもあり横井也有の従僕でもあった石原文樵が、その恩義に報いるために也有の髪と爪を乞い建立した現塚です。也有が好んだツタがからませてあったことかそう呼ばれるようになったそうです。現在のものは昭和初期に修復されたものです。まず、長栄寺には特に怖いところはありませんでした。続いてその向かいにある「梅香院」へと向かいます。ここは浄土宗のお寺で、延命地蔵大菩薩があり綺麗な花がお供えしてありました。ここにも特にそういった由来は無さそうです。

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▲長栄寺です。昭和初期に修復された「蘿塚」があります。 画像 ▲こちらは浄土宗梅香院です。お参りの人と出会いました。 画像 ▲梅香院の延命地蔵大菩薩です。綺麗なお花が供えてあります。

新刀の試し切りに何を切ったのか-橘公園

 長栄寺の通りへと戻り、南側にある細い道を抜けるとそこには橘公園があります。一見普通の公園なのですが、何か標識が立っているので見ると、「おためし場腑分けの跡」と書いてあります。ここは旧称新屋敷と言い、新刀試しと腑分けを行った場所なのです。腑分けとは人体解剖です。1821(文政4)年、吉雄俊蔵をはじめ60人ほどの見物人が集まる中、石黒済庵の執刀によりここで、名古屋で初めての解剖が行われました。そして、洋書にある人体の図と比べその正確さを認識したそうです。江戸で杉田玄白が「解体新書」を記すために解剖を行ったのが1771(明和8)年。もう既に証明されていたにもかかわらず、わざわざ解剖を行ったということは、名古屋っ子もこの目でそれを確かめたかったのでしょう。

 人が数十人集まって人体解剖を行った地ということで、想像すると少し怖いですが、別に生きたまま解剖したわけではありませんし、特に呪いがある感じもしませんでしたが...。

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▲橘公園です。「おためし場腑分けの跡」おためしって...刀のね。

キリスト教弾圧の果てに...-栄国寺

 この橘公園は東別院の裏手になります。その道を西へ歩くと...ありました。

「栄国寺」です。看板には幼稚園と博物館が併設されていると書いてあります。博物館の名前は「切支丹遺跡博物館」です。ここでは切支丹の遺品が展示されています。このお寺と切支丹にどういう関係があるのでしょうか。

 実はこのお寺、207名の切支丹を弔うため、1665(寛永5)年に創建されたものなのです。もともとここは千本松原と呼ばれる松林でした。織田信長は、現在は橘2丁目にある日置神社にて桶狭間の合戦の勝利を祈願しました。結果、勝利を収めることができたため、そのお礼に松林が送られたのです。それが千本松原です。そしてその後、千本松原は刑場となったのです。

 信長は、キリスト教に対して寛容な政策をとっていたため200人ほどのクリスチャンが名古屋にはいたそうです。しかし時代が進むとキリスト教への弾圧は次第に激しくなり、とうとうここで全員が処刑されることとなりました。それがお寺ができる前年の1664(寛永4)年です。お寺の中には釈迦如来立像、仏足石、そして千人塚があります。死者が埋葬されている千人塚は、お寺の中でもさらに奥にあるのですが、ビルの陰となり昼間でもひんやりとしていました。ここに大きなクスの木があるのですが、この木には処刑に使う槍が立てかけられていたそうです。そして、ここで処刑された死体を先ほどの橘公園へと運び、新刀の試し切りに使っていたとのことです。解剖はその一環として行われたに過ぎず、刀の試し切りが本来の目的だったのです。あの公園にも悲しい歴史が残されていたのです。

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▲栄国寺です。入るとすぐ右手に幼稚園があり、その向かいが千人塚です。 画像 ▲こちらが塚にあるクスの木です。ここに槍を立てかけていたのですね...。 画像 ▲日の光が届かず、日中もひんやりとしています。

 これが、メ~テレのドラマの元となった呪いであると言えます。ドラマの話としてだけではなく、実際にメ~テレの社屋では過去に2名の方がお亡くなりになっておられ、心霊現象を見る社員もいるそうです。切支丹の処刑は女性、子ども問わず執行されたとのこと。その無念がこの地には残っているのかもしれません。その塚の前は幼稚園になっていて、幼稚園児たちが元気に遊んでいました。この子達が大人になる未来では、差別と偏見が無くなることを祈るばかりです。この栄国寺は、クリスチャンで作家でもある遠藤周作さんの著書にも登場するそうです。

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▲栄国寺の本堂です。幼稚園で遊ぶ子どもたちの声が響きます。 画像 ▲切支丹灯篭です。この奥に切支丹遺跡博物館があります。 画像 ▲反対側の入口です。こちらの説明書は読めませんので、最初の入口からどうぞ。

とても踏み入ることができない回遊式庭園跡-下茶屋公園

 では東別院の裏手を戻りましょう。橘公園の向かいには下茶屋公園があります。もとはここに別院新御殿の北庭があり、池あり、築山ありで起伏に富んだ回遊式の名園として知られていたそうです。しかし戦災により全てを焼失。現在は、その面影を残した公園として整備されているそうなのですが、たくさんのテントが張られており、とてもではありませんが踏み入れることのできる雰囲気ではありませんでした。

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▲下茶屋公園です。メ~テレのドラマロケもここで行われました。

ちょっと・どこに何向けてるの?-メ~テレ

 そして、その南側にあるのがメ~テレです。茶色の小さな建物と、新築の綺麗で大きな社屋から成っています。茶色の旧社屋の前には、栄で見た噴水「希望の泉」のミニチュア版があります。そうです、この会社は噴水を市に寄付した際、その縮小コピーを社屋の前に建設したのです。綺麗な新社屋にはオープン式のスタジオがあり、朝に情報番組「どですか」は外から見えるこのスタジオから放送されています。

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▲メ~テレ(名古屋テレビ)、右側が旧社屋、左が新社屋です。 画像 ▲新社屋の壁面を、キャラクター「ウルフィ」が歩きます。 画像 ▲オープンスタジオは、外から見ることができます。

 また、新社屋には「メ~テレタワー」という大きなタワーがあり、新たな名古屋のランドマークとなっています。このメ~テレには羊の皮をかぶった狼「ウルフィ」というキャラクターがいるのですが、社屋の壁面では階段を登っていたり、タワーにはその姿が大きく描かれています。四角いタワーに描かれたウルフィは正面、横顔、横顔、後姿となっているのですが、切支丹処刑の話をドラマの題材として使い、過去には呪われているという話をバラエティ番組でも取り上げたりして話題づくりをしていたにもかかわらず、その栄国寺、さらには東本願寺東別院に対して、なんとウルフィはお尻を向けています。

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▲タワーのウルフィは南東方向を向いています。そっちに何が? 画像 ▲東別院から見たメ~テレ。 画像 ▲やっぱりお尻向けてるなぁ、ウルフィ。

 これからも、このテレビ局は呪われ続けそうです。

 では、その東別院へ向かいましょう。


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