16.守山区 名古屋を歩こう

綺麗な川沿いの危険な迷路

記事公開日:2006年10月16日

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西へ向かうと...どうなるの?-瀬古口交差点

 守山区の最西端、瀬古周辺を歩きます。瀬古は、国道19号線から矢田川と庄内川の合流地点へと三角形になっている場所で、南北を北区に挟まれています。そのためか守山区の色合いが薄く、道路も整然としておらずクネクネと細い道があちこちに巡っており、うかつに国道19号から左折して車で入るとそこはまるで迷路のようです。その迷路を抜け出そうと西へ西へと走っていくと、最後には両側の川が合流して行き場を失ってしまうとても危険な場所です。そんな迷路を今回はじっくりと歩きます。

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▲国道19号線。南へ走ると天神橋。その向こうは北区。

 教育ビデオとテレクラという相容れない業種が一緒に入っているビルがある、国道19号線瀬古口交差点から西へと歩きます。するといきなり、この先大型車は通り抜けできませんという、まずは軽めの警告標識が登場します。道自体は中央で車線も区切られている太さなのですが、確かに地図を見るとこの先は道自体が点線になっています。大型車通り抜け不可とありますが、では果たして普通車は通り抜けが本当に可能なのか、そして通り抜けとはどこへ抜けられるのか大変気になります。

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▲瀬古口交差点から西へ。
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▲大型車は通り抜け不可であることを示す牽制標識。

国道19号の大先輩は庶民の道-善光寺街道

 200メートルほど歩くと、左右に細長い道路がクネクネと走っています。その道沿いには小さなお社があります。この道は下街道とも呼ばれた善光寺街道です。善光寺街道は名古屋と中山道を結び、尾張藩の公道であった木曽街道、別名上街道とは違い、庶民の道として発展しました。上街道よりも下街道は平坦であったうえに、距離も短かったことから、善光寺参りをはじめ商人など多くの人が利用しました。この善光寺街道が現在の国道19号線となっているのです。国道19号が庶民の道として300年前からあったと言われますと、それまで何とも思っていなかった19号に愛着が沸くのが不思議なものです。まあ、私が根っからの庶民ということでしょう。

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▲くねくねと南北に走る善光寺街道。国道19号の大先輩。

矢田川沿いのこの界隈だけは長閑-石山寺・高牟神社

 善光寺街道には行かずに、まっすぐ西へと歩きます。今はこの道路、瀬古交差点から西へと延びる道路に合流しているのですが、私が歩いた当時は道路建設中で車両通行止めとなっていました。大型車どころか普通車もやっぱり通り抜け不可じゃないかと思っていると、手前に左へと細い道が伸びているので行ってみます。するとお寺と神社が隣り合ってあります。石山寺と高牟神社です。

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▲大型車どころか、車両通行止めなんですけど...。
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▲山門前で観音さまが微笑む石山寺。

 石山寺には立派な山門があり、その手前には穏やかな顔の観音像があります。石山寺は寛元年間(1243~1247)に道円が開基したと伝えられています。そして高牟神社は717(養老元)年に創建されたもので、その際に「高見」という称を与えられています。900(昌泰3)年、1825(文政8)年と社殿が再建され、さらに1945(S20)年5月には戦火で社殿が焼失してしまい、現在の社殿は1961(S36)年に再建されたものです。高牟神社は北側と南側に鳥居があるのですが、南側の鳥居の外側はもう矢田川です。川べりには天神橋緑地が広がり、対岸には北区の大きな住宅団地があります。一方、振り返ると田畑も残る瀬古界隈があり、ほっとします。さらに西へと足を進めるのですが、道は自転車同士でもすれ違えないような細さになってしまい、本当に西へと抜けられるのか不安になります。

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▲幾度も社殿が再建された高牟神社。
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▲高牟神社の南側は矢田川。川の向こうは北区。
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▲この先、この道路は通じているのだろうか...不安。

錆びたバス停・ガードレール心地よい場末感-守山新堀

 すると右手に車が通れる太さの太い道が現れたので一旦北へと歩きます。しばらく歩くと、神戸川と幹線道路が現れます。この道は瀬古交差点から西へと伸びている道路です。大型車以外は通り抜けられるといっても結局この道に吐き出されてしまいます。土地が三角形になっていて次第に行き場を失っていることがよくわかります。道路沿いにはコンビニやスーパー、カラオケボックスやテニスクラブなどがあるのですが、コンビニを除いてどこも看板が錆付いています。バス停さえもです。場末感が漂います。仕舞いにはバス停も降車場になってしまい路線が終わってしまいます。いよいよ三角形も細くなってきたということでしょうか。

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▲道路は自動車が通れるような太さに。
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▲コンビニ以外は錆付いた看板やコンテナが...。
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▲市バスもここで終点。バス停も錆び錆び...。

いよいよ道路は直進禁止に...名古屋市下水道局守西ポンプ場

 ゴルフ練習場を横目に歩いていくと、それまで太かったはずの道路は名古屋市下水道局守西ポンプ場でいきなり細くなり、さらに直進は進入禁止となってしまいます。ポンプ場には名古屋市内のマンホールでおなじみの、アメンボのイラストが描かれています。彼は下水道局のマスコットキャラクターなのでしょうか。この先には三階橋と水分橋を渡る旧国道41号線、県道102号線があり、その先で守山区は終了です。さらにそのむこう、北区地内で三角形は鋭角になります。そして南側には矢田川が流れ、その南側も北区です。南でも北区です。なので北へと歩きます。ポンプ場の北側には細いながらも水の綺麗な川が流れています。川べりを歩いてみます。

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▲そして道路は直進進入禁止に。
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▲名古屋市下水道局守西ポンプ場。よくマンホールでみかけるイラストが。
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▲ポンプ場の北側を流れる水の綺麗な川。

庄内川の水を名古屋城へ・とうとう袋小路-庄内用水元杁

 川沿いには木々が生い茂り、石垣に時代を感じます。水は透き通っています。信じられないかもしれませんが、実はこの川、堀川(黒川)なのです。川の先には古めかしいアーチがあります。庄内用水元杁です。これは1910(M43)年に改築された樋門で、長さ30メートル、幅2メートル、高さ3メートルの門が2つ並列で原形そのままをとどめています。名古屋市内に現存する唯一の人造石工法によるもので、貴重な産業遺跡であります。ここから庄内川の水を堀川へと取水しているのです。現在はポンプがその役目を担っています。樋門を越えると庄内川です。その北側はまたもや北区。とうとう守山区は袋小路になってしまいましたので、東へと戻ります。

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▲川べりを北へと歩いていきます。
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▲庄内用水元杁。明治時代の樋門がそのままに。
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▲庄内川を水分橋で越えるとそこは北区。

庄内川沿いは対照的に工業地帯-DNP東海工場

 庄内川には水鳥たちがたくさんいて、見ているだけで癒されます。そんな川沿いには住宅団地や昔ながらの戸建住宅もあるのですが、大きな工場がいくつも立ち並んでいます。そのなかでピカピカに光り、いくつも建物を構えているのが大日本印刷グループです。「DNP」という文字がいくつも目に入ってきます。このあたりは道路も細く、まるで工場敷地内にあるような道路で、さらには工場と工場が実際にグループだったりして、間の道を歩いて良いのか迷ってしまう様相です。それにめげずに太陽の方向を頼りに何度も突き当たりながら東へ東へと歩いていき、ようやく国道19号に出ることができました。

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▲庄内川にはたくさんの水鳥の姿が。
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▲庄内川河畔にはDNPの真新しい工場がいくつも。
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▲他にも様々な工場が立ち並んでいます。

 徒歩だったから良いものの、これがもし車で迷い込んだらと思うと、進入禁止もありますし怖いものがあります。

 国道19号に出ても庄内川沿いには工場街が続いているのですが、東春酒造やアサヒビールといった看板が目につきます。先ほどの堀川の綺麗さの取水元、やはり庄内川は今も水が綺麗ということなのでしょう。

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▲水が綺麗な証でしょうか。東春酒造。
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▲国道19号はこの先勝川橋を越えると春日井市に。

瀬古2010

 国道19号線の瀬古口から西へと伸びる道ですが、もちろん現在は建設工事が完了しており、矢田川を避けるようにカーブして、県道202号へと繋がります。しかし、その先はやはり当時と変わらず、庄内川にぶつかり行き止まりに。ここはやっぱり川に挟まれた地域なので、道路延長にも限界があります。でも、やれるところまでやるのが名古屋らしい。

 そしてその県道202号は、西へ向かうとやはり今も直進禁止となっていて、袋小路感は変わりません。南の矢田川沿いから北の庄内川沿いにかけて、下町と田畑、住宅地、工業地帯という棲み分けについても、変わっていません。


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