16.守山区 名古屋を歩こう

次々と塗り替えられる地図

記事公開日:2006年10月16日 更新日:

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キツネと猿が仲良く鎮座そして耳ふさぐ...久岑寺・志段味稲荷

 県道15号をさらに東へ歩きます。下志段味から中志段味へと、次第に昔の農村風景が広がってきました。いよいよ最果ての地「上志段味」です。野添橋を越えると左手に志段味東小学校があり、その向かいには畑に囲まれて曹洞宗久岑寺と志段味稲荷があります。このお稲荷さんは変わっていまして、社殿の前に一対のキツネが鎮座しているのは普通なのですが、その前に一対の猿も鎮座しているのです。しかも耳を押さえています。狛犬ならぬ狛猿です。しかも「聞か猿」。一体何に耳をふさいでいるのか...と思いながらその前方を見て私はあ然としました。

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▲この先が上志段味です。拡張工事が進む県道15号。
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▲曹洞宗久岑寺と志段味稲荷。この周囲にはまだ畑も見れます。
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▲耳をふさいでいる猿。何かうるさいことでもあるのかと思ったら...。

民家の周囲はどんどん区画整理-上島・海東

 地図を見ると、その先県道の北側は細い道があるだけで、何も無い場所になっているのですが、実際には大規模な工事が行われており、大きな道路や宅地が造成され、既に住宅が立ち並んでいる場所もありました。上志段味は中志段味よりも先に宅地開発が進んでいました。この工事の音が大きいことから猿は耳を押さえていたのかもしれません。なんて...まさかね。立派な道路が出来上がっているのですが、今はまだ袋小路です。将来的には春日井市方面に橋が架かるとは思うのですが。ここに間違っても車で迷い込まないようにして下さい。出られないだけでなく、今のご時世不審者と思われます。この区画に用のある人以外は進入しない道路なのですから。

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▲道路建設真っ只中です。
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▲既に道路や住宅が完成している場所も。
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▲街はまだ作られている途中。こんな道が指定通学路だったりします。

 しかしそんな新しい道と隣り合うように、山里風景を忍ばせるような昔ながらの道も残っていますので、庄内川の河川敷まで歩いてみます。「水野一族の石塔群」といった史跡を示す昔からの案内看板があるものの、肝心のその石塔群とやらは見つけることができませんでした。民家の軒先に石が積んでありましたけど、まさかそれが石塔群ではあるまいし...。かつての志段味を思い起こさせる風景も残っていますが、もうそれもわずか。周囲はブルドーザーによって整地されつつあります。そんな工事現場のような道を歩いて庄内川に出ると右には交通量の激しい新東谷橋が見えます。この志段味と高蔵寺ニュータウン方面を結んでいます。この河川敷はそれほど遠くない未来に一大住宅地となることでしょう。

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▲かつてのこのあたりの風景が残る場所もあります。
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▲庄内川河川敷から見る新東谷橋。
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▲まさかこれが石塔群のわけないですよね...。

こんもりとした森は古墳-勝手社・勝手塚古墳

 対して、まだまだ昔ながらの風景が残る県道の南側へと行ってみます。エネオスのガソリンスタンドから南へと、森林公園方面に繋がっている細い市道があります。この道も細い割りに意外と交通量があります。するとこんもりと小さな森が見えます。勝手社です。森のように見えたのは古墳で、社殿はその古墳の上に建てられています。この勝手塚古墳は全長53メートル、後円部径40メートル高さ6.5メートル、前方部高さ2.3メートルの前方後円墳で、前方部が低くて短い帆立貝式になっています。後円部が二段に築かれているのが今もわかる状態で残っています。濠は現在西側周堤だけが残っているのみですが、元々は二重であったといわれています。5世紀に造られたという説と6世紀という説があります。

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▲市道沿いにこんもりと森のようなものが見えます。
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▲森は勝手社という神社でした。
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▲勝手社は勝手塚古墳の上にあります。

 勝手社の創建はわかっていませんが、1752(宝暦2)年に書かれた張州府志に由来の記述があるほか、南北朝時代(1334-1392)に水野又太郎良春という人物が吉野山の勝手明神を勧請したという言い伝えがあります。このあたりは古墳がたくさん残されており、畑のなかにポツンポツンと小さな森のようなものが点在しています。しかし宅地造成が次第に進められており、全ての古墳が現状を留めるかどうかはわかりません。その点在する古墳を見に市道をさらに進みます。

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▲社殿の前から見下ろした写真です。古墳が大きいことがわかると思います。

何も無い空間に古墳がポコポコ・自己責任で-大久手池

 300メートルほど歩き左に曲がると、大久手二号墳、五号墳、一号墳が大久手池の周りに点在しています。民家や畑がポツポツとあるのみで、何も無い空間が広がっています。一見静かに見えるその景色ですが、全く何も無いということは、畑としての役目をすでに終えていて、後は住宅地へと変身を待っている場所だということです。池のほとりには一部既に新しい住宅も見受けられます。その名のとおり大きな大久手池の向こう側には、名古屋市内最高峰の東谷山が見えてきました。いよいよこの散策も間もなくゴールを迎えようとしています。

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▲この覆い茂る木々のあたりが大久手古墳群のはずなのですが。
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▲不気味なほどに何も無い場所です。
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▲対岸に東谷山が見える大久手池。

 この大久手池ではカワラヒワやホオジロ、ツバメ、モズといった野鳥を観察することができます。またアオサギやカルガモなんかもいるとのこと。この日も白く鮮やかな野鳥の姿を見ることができました。宅地になってもいつまでもそんな野鳥の住める環境が残るといいですね。周囲は区画整理中ということもあり「通り抜けできません」だの、通っても良いけど道路法による道路ではないので事故の責任は追いませんだの、徒歩で歩くにも思わず迷ってしまうか看板がいくつも置かれています。

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▲池のほとりには既に住宅が建っている場所も。
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▲街はこうやって出来上がっていくわけですね。
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▲近い将来にはガラっと風景が変わることでしょう。

 古墳らしきものがいくつもあり、なかにはお酒が供えられているものも見受けられるのですが、ちゃんとした説明看板は無くどれにどういった由来があるのか全くわかりません。するとかなり昔に設置されたと思われる、守山区役所の「尾張のあすかめぐり」という看板が登場しました。古墳の場所が道路とともに書かれているのですが、もはやその道路が現状とは全く異なっている上に、色あせによってまるで抽象的絵画のようになってしまっており、文字が文字では無くなっていて全く参考になりません。

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▲これも古墳だと思うのですが...。
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▲役立たずの案内看板。道路案内図としても使えません。
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▲お酒が供えられていました。ここも古墳なのでしょうね。

 古墳のような森はかなりの数ありましたけど、全てがそのまま残されることは無いでしょうね。同じ守山区内でも既に宅地化された瓢箪山の古墳も全てが残されているわけではありませんでしたし、翠松園近くの小幡茶臼山古墳もかなりの部分が削り取られた状態になっていましたからね。こうやって池のまわりにいくつも古墳がボコボコとある風景が見られるのも、今のうちかもしれません。

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▲古墳群を見渡せるのも、今のうちかもしれません。

上志段味(西)2010

 この地域は、手前の中志段味よりも開発が進んでいて、当時、道路建設真っ只中だった場所は道路も完成し、新しい住宅が雨後の筍のごとく現れ、全く違う場所のようになってしまったところもあります。

 当時は長閑だった勝手塚古墳周辺も、古墳手前まで大型スーパーや書店が進出、さらに大久手池周辺の区画整理も進んでおり、当時は作りかけの道路と更地しかなかった場所も、街に姿を変えつつあります。


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