09.瑞穂区 名古屋を歩こう

リストラと恋の悲しい音色

記事公開日:2004年10月22日

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熱田神宮の祠官による再興を称え-安楽寺・為麿塚

 地下鉄堀田の交差点から東、地下鉄名城線の上を歩きます。右側がブラザー瑞穂工場の巨大な建物から穂波小学校にかわり、妙音通2丁目交差点からが妙音通です。かつてはブラザーの工場の一部が妙音通1丁目だったのですが現在は存在しておらず、妙音通は2丁目からしかありません。今回はこの妙音通界隈を歩きます。妙な音とはどんな音なのでしょうか。

 名鉄名古屋本線の高架をくぐると、地下鉄妙音通駅はもう目の前です。では、その名鉄名古屋本線の高架に沿って左に曲がります。すると2つめの信号の無い交差点で5つに道路が分かれるので真北に歩きます。そして次の角に「安楽寺この上」という看板があるので矢印にそって右折します。急な上り坂になっていてそれを登りきる少し手前右側にあるのが安楽寺です。すると門前に岩が祀ってあります。これが為麿塚です。元禄年間(1688-1704)のころ熱田神宮の祠官だった長岡為麿、彼の熱田神宮再興の功績をたたえています。しかしそれは後から塚をそうしたもので、急坂の上にあることからもわかるとおり、元は古墳の跡だそうです。熱田から瑞穂にかけては少し盛り上がったところはほとんど古墳の跡なのかもしれません。

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▲この先には強烈な上り坂。
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▲安楽寺の入口に塚があります。写真右下。
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▲為麿塚です。長岡為麿による熱田神宮再興の功績をたたえています。

山車は保存されているものの...-長福寺・井戸田山車

 再び坂を下り元の道に戻ります。そして先ほどの5つにわかれた交差点を、今度は真東に歩きます。そしてやや太めの道路である3つめの角を左折するとつきあたりに長福寺があります。その門前には約300年前の農民の喜びを今に伝える井戸田山車が保存されている建物があります。正徳享保年間の頃(1711-1736)、当時は天白川がここに流れていてたびたび氾濫して村人は飢饉にあっていました。そこで嘆願書を御政所に提出すると同時に若宮八幡(津賀田神社)に祈願をすると、川替がすぐに行われ以降水害は無くなりました。喜んだ村人は山車を若宮八幡社に献上し、豊作のたびに曳きまわしました。しかし戦争で焼失し、1950(S25)年に再現されたものが現在残されています。少し前までは津賀田神社の祭礼で見ることができたのですが現在は見ることができません。もちろん外から中の様子も伺うことはできません。もはや周辺に田畑は無くなり、豊作を喜ぶ人がいなくなってしまったからでしょう。妙音とはその祭囃子のことでしょうか、いえいえ違います。

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▲まだ町工場の雰囲気も残っています。
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▲角をまがると長福寺が見えます。
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▲ここに井戸田山車が保存されています。日の目を見るといいですけど。

 この長福寺には敷地内に秋葉神社(秋葉山)があります。秋葉神社といえば火の神さま。戦争で井戸田山車が焼失してしまったことからわかるように、このあたりは空襲で大きな火災で街のほとんどが燃えてしまいました。しかしこの神社だけは火災を免れたことから、より信仰を集めるようになり、現在は工業火災が発生しないようにと街を見守っています。この界隈は爆撃が激しかったようで、その面影を残すものが他にもあります。ではその面影を見に行きましょう。再び長福寺の前の道を南に戻ると、左側に木が覆い繁る龍泉寺、その奥には最経寺があります。

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▲長福寺にある秋葉山。B29にも負けませんでした。

神仏習合・お寺に赤い鳥居-最経寺

 最経寺は日蓮宗のお寺です。赤く鮮やかな鳥居の最上稲荷があり神仏習合の祭祀形態を残しています。地域により異なりますが、最上稲荷は岡山県岡山市に本山を置き、伏見稲荷、豊川稲荷と並んで日本三大稲荷と言われることがあります。本山も最上稲荷教総本山妙教寺という神仏習合の形態になっています。ちなみに豊川稲荷は曹洞宗妙厳寺で神仏習合ですが、伏見稲荷は愛染寺が廃絶となっています。このあたり、拍手を打ってはいけないなどお祈りの方法に違いがあるので気をつけたいところです。せっかくお参りするならご利益があってほしいですものね。というかそれが目的...。

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▲緑の奥に見える最経寺。
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▲近づくと鮮やかな赤い鳥居が目に入ります。

源頼朝の産湯-龍泉寺・亀井水

 そして緑に覆われた龍泉寺にはこれまた体にまつわるお地蔵さんがいます。その名も歯痛地蔵で、なでるの歯の痛みが治まるといわれています。しかしこのお地蔵さん、顔が半分ありません。実は終戦間際の1945(S20)年5月17日、爆撃によって顔の半分を失い、体もまっぷたに割れ、そして龍泉寺の本堂も燃えてしまったのでした。傍らにはししおどしがあり、静かに水の垂れる音が聞こえます。昔からここには湧き水があり、亀井水と呼ばれています。熱田区白鳥で源頼朝出生地をご紹介しましたが、この水はその際に産湯として使われたそうです。お寺の外にはその石碑があります。この水の流れる音が妙音なのでしょうか、いえいえ違います。

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▲寺の石垣の外に亀井水が湧き出す龍泉寺。
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▲歯痛地蔵は、お顔が割れて痛々しいです...。
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▲源頼朝の産湯の水。いい国作ろう鎌倉幕府です。

藤原師長との実らぬ恋の末に娘は-北川天満宮・嶋川稲荷

 妙音通駅の北側は井戸田町なのですが、その北端にあるのが北川天満宮です。学問の神様として知られています。惣作郵便局の隣りにあるので白竜社の方から行った方が近いかもしれません。では南に歩いて再び妙音通に出ます。妙音通3丁目交差点のすぐ南に、ビルと駐車場に挟まれて窮屈そうに嶋川稲荷があります。実はこのお稲荷さんのある場所が妙音と深くかかわっているのです。ここには藤原師長の家がありました。

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▲学問の神様、北川天満宮。南側から行こうとすると迷います。
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▲妙音通駅の真南にある嶋川稲荷。
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▲藤原師長は1年半、ここで琵琶を奏でました。

 その昔、藤原師長は京の都で太政大臣の職についていました。しかし1179(治承3)年、平清盛がクーデターを起こし後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、太政大臣だった藤原師長をクビにしました。現代で例えれば、社長が突如交代しリストラに遭ったようなものです。そして師長はこの井戸田村に流されてしまったのでした。師長は琵琶の演奏を得意としており、ここで琵琶を奏でながら京の都を偲んでいたそうです。その際、師長の世話係をしたのが井戸田村長の娘でした。師長はその後出家し妙音院と号しました。これが直接的な妙音通の地名の由来ですが、妙音とはリストラされた師長の悲しみの音色でもあるのです。

 師長は約1年半後、京へ戻ることを許されるのですが、その時村長の娘が後を追ってきました。師長は形見として片貝の琵琶白菊を与えたのですが、娘は別れの悲しみのあまり入水自殺をしてしまいます。その際、袖を掛けた松が栄の久屋大通にあった「小袖掛けの松」で、あのあたりの池に入水自殺したという説があります。またもう一つの説では、西区の美濃路で立ち寄った清音寺がこの娘を弔うために建てられたといわれるように、娘は庄内川に身を投げ、それを由来して枇杷島という地名がついたとも言われています。

「四つの緒のしらべもたえて三瀬川、沈みはてぬと君につたえよ」

 その娘はこう琵琶の裏に書き残したそうです。なぜそれがわかっているかというと、後に琵琶のみは発見され、清音寺に納められていたそうだからです。

 妙音、それは師長の奏でる琵琶の美しい音色。仕事を失い都から流された悲しみ、そして束の間の愛の幸せ、いろいろな想いが交錯したものだったのでしょう。枇杷島と妙音通、10キロ以上離れた二つの地名の由来は同じ師長の琵琶なのです。

 仕事と趣味と恋。この3つはバランスよく調和しないとどこかで悲しい結末を迎えてしまう...。妙音で奏でた師長の音色は、恋も趣味もうまくいっているものの仕事が無い寂しさを表していたことでしょう。そして、京に戻ってからはどんな音色を奏でたのでしょうか。

 今は自動車の騒音と、名鉄電車の走る音しか聞こえません。残っているのは妙音という地名と、山崎川にかかる師長小橋と師長橋、師長町にその名を残すのみです。師長小橋から名鉄電車を眺めると、名古屋本線の高架はここで終わりここからは地を走るようになり、その電車の音は先程より大きく感じるようになります。

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▲今は電車の音が響く妙音通。

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