11.港区 名古屋を歩こう

市民が選んだ・手間のかかる未来

記事公開日:2005年4月12日 更新日:

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 茶屋新田を南北に走る、市営西茶屋荘の東側の道路を南下します。茶屋新田を越え、1797(寛政9)年に完成した藤高新田に入っても周囲は田んぼのままです。しかし藤高4丁目の交差点を越え、橋を渡り藤高前新田の区域に入ると周囲の雰囲気はガラっと変わります。藤高前新田は、旧南陽町の区域の中で最も遅く1822(文政5)年に完成した新田で、現在の地名は「藤前」です。どう雰囲気が違うのかといいますと、それまでの水田の風景から一転して巨大物流基地になっているのです。藤前の中央には、この地方の物流の大動脈である国道23号線、通称名四国道が横切っていて、道路沿いには藤前流通業務団地が形成されています。また、輸送関係だけでなくメーカーの倉庫も多くあり、頻繁にトラックが行き交います。

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▲名四国道。「めいよんこくどう」と呼ばれますが、正式には「めいしこくどう」。

 そんな雰囲気の中で異彩を放っているのが、藤前の西端、日光川沿いに広がる日光川公園・サンビーチ日光川です。ここは市のプールなのですが、よくあるただのプールではなく、総事業費68億円、4年の工期をかけて1995(H6)年にオープンした巨大なプール公園です。波のあるプールに砂浜、アスレチック帆船遊具に、長さ90メートルのウォータースライダーが3基と遊園地のプール顔負けの施設を誇ります。開園しているのは、6月下旬から9月上旬までの土日で、夏休み期間のみ平日もオープンします。プールのすぐ外側には日光川が流れ、渡り鳥たちの姿を見ることもできます。そう、南へ歩くにつれ聞こえてきたのは鳥たちの声です。

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▲日光川公園のプール、サンビーチ日光川は巨大。
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▲ウォータースライダーも90メートルと公営を感じさせない。
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▲日光川の対岸は海部郡飛島村。

 その川沿いの歩道を歩いて南側の国道へと出ようとしたのですが、なんと道路が途中で無くなってしまい身動きが取れなくなってしまいます。日光川公園の外側は歩かない方が無難です。それではと、日光川公園の正門から南の国道へと歩きます。そして国道の下をトンネルでくぐるのですが、余程ここを歩く人がいないのか、トンネルの歩道は背の高い草に覆われていて歩くのが大変です。周囲には大きなトラックが行き交う物流基地と、巨大な駐車場を完備した公園しかない、この付近の歩道を歩く人なんてのは皆無なのでしょう。トンネルのすぐ横にある日光川大橋には、日光川の河口排水施設があります。国道23号はひっきりなしに車が往来し、ここが名古屋市と飛島村の境目になるためか、名古屋市らしい金属の円柱状モニュメントが立っています。

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▲あれ、この道続いてないの?
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▲歩道が...。誰もここ歩かないのかな。
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▲名古屋市はやっぱりモニュメントでお迎え。

 国道をくぐると、藤前の海岸に出ます。ここから南は名古屋港です。先には名港トリトンのひとつである名港西大橋が見えます。西側は飛島村、東側は金城埠頭へと埋立地が続いています。この藤高前新田が完成してから200年足らず。両サイドの埠頭はこの先5キロ、6キロと埋め立てられているのにもかかわらず、この新田の南側は埋め立てが行われていません。それには理由があります。ここは、市民の手によって守られた場所なのです。かつて、ここを埋め立てるかどうかで名古屋市を二分する大きな論争が巻き起こりました。

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▲ここで埋め立ては終了。
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▲埋め立てられなかった藤前の海岸。
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▲東を望むと、ずっと先にまで埋め立てが進んでいます。

 そう、ここは藤前干潟です。新川、庄内川、日光川から流れてきた泥や土砂が長い時間かかって堆積し形成された広大な干潟です。干潮になると、海岸からずっと向こうまで泥の地表が見え、ここが干潟であることがわかります。この藤前干潟は約323ヘクタールと広大で、干潟の泥の中にはバクテリアやプランクトンなど鳥の食べ物がたくさん含まれています。かつては長崎県の諫早干潟に次いで大きい、日本で二番目の渡り鳥飛来地でした。二番目と言っても諫早干潟の1万ヘクタールに比べれば30分の1でしかありませんでした。名古屋市は1960年代からこの藤前干潟の埋め立てを計画していました。確かに周囲の埋め立て状況から考えればそれは自然なことです。そして具体的になったのが1984(S59)年です。名古屋市はここに巨大なゴミ処分場建設を計画します。

 ここで一部の名古屋市民が立ち上がりました。干潟を守りたい、野鳥の飛来地を守りたいという想いからです。名古屋市に対してゴミ処分場の建設計画の中止や、代替地検討を申し入れます。この藤前干潟が埋め立てられるよりも先に、長崎県の諫早干潟では国による干拓事業が計画され実行されます。結果、諫早干潟は壊滅状態となり、皮肉にもこの名古屋市の藤前干潟は、日本一の干潟となってしまったのでした。日本一と言っても先述のとおり、諫早干潟の30分の1という小ささです。

 名古屋市の方針は変わりませんでした。それには理由があります。1999(H11)年、名古屋市の最終処分場はもうあと2年半しかゴミの処理能力が無いという状態だったのです。市は建設計画を進めようとしたのですが、諫早干潟が干拓によって渡り鳥が飛来できなくなってしまったことが名古屋でも大きく取り上げられ、最初は市の味方だった県や国も、「代替地」という声を上げるようになってしまい、結果名古屋市は、この藤前干潟埋め立てを断念せざるを得ない状況になったのです。新聞に大きく「藤前断念」という文字が躍りました。

 渡り鳥飛来地として残念ながら日本一となってしまった藤前干潟は、市の埋め立て断念、そして2002(H14)年にラムサール条約登録湿地として認定され、守られました。しかし、名古屋市民はこの藤前干潟を守ったことと引き換えに、大きな課題を市から突きつけられます。それはゴミ分別の細分化、総量削減です。ゴミは増え続けているにもかかわらず、当面ゴミ処分場の新設ができなくなってしまった以上、ゴミを減らすしか選択肢はありません。名古屋市はゴミを11種類に分別することとし、プラスチック、紙、ペットボトル、瓶、缶、紙パック、新聞、雑誌、段ボール、古着は全てリサイクルすることを市民に要求します。

 結果、名古屋市のごみ総量は、1998(H10)年の102万トンをピークに、翌年の1999(H11)年には92万トンと大きく減少し、2000(H12)年以降は70万トン台で安定しています。ゴミの排出量自体が大きく減ったとは考えにくいことから、それまでゴミとして出されていたもののうち、30万トンの資源がリサイクルに回るようになったと言うことができます。それにより、ゴミを30パーセントも削減することができたのです。

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▲皮肉にも日本一となってしまった藤前干潟。
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▲ラムサール条約登録湿地であることを示す看板。
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▲もともと以前から海岸には南陽工場という処理施設があります。

 ゴミの分別はとても手間のかかる作業です。しかもそれが毎日のことですから、名古屋市民ひとりひとりに対して大きな負担がかかることになりました。でも、そんな市民によるゴミの分別によって、この日本一の干潟を守ることができているのです。名古屋市のこの取り組みはモデルケースとして、マスコミに大きく取り上げられました。

 名古屋市民は、今日も渡り鳥のためにゴミを細かく分別しています。


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