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11「東ノ割」
「我を海に流せ」−流れ観音
空白
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 地下鉄名港線の東海通駅で下車します。ここからは中川運河と堀川にはさまれた、熱田前新田東ノ割を歩きます。ここには名古屋のベイエリアを代表するスポット、ガーデン埠頭があります。東海通からガーデン埠頭へと歩き、その後は金城ふ頭線で中ノ割にある大手町を経由して、西ノ割の南となる稲永、野跡、金城ふ頭へと歩きます。
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 地下鉄東海通駅から地上に上がると、かつては競馬新聞を握り締めたオジサンが、バス停にずらっと並んでいる光景を目にすることができました。この東海通駅から土古の名古屋競馬場まで無料バスが走っていたのです。しかし2004(H16)年10月にあおなみ線が開業し、競馬場近くに名古屋競馬場駅が設置され無料バスは廃止になりました。今はもうバスの案内をする係員や、競馬新聞の販売員の姿は無く静かなバス停となりました。バス停の横にあるサークルKの売上が減少してしまったのではないかと心配です。
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▲江川線から東海通を望みます。次第に港の香りがしてきます。

 東海通駅のある東海通交差点は、東海通と江川線が交差しています。江川線はこの先、レジャースポットであるガーデン埠頭に繋がっています。その江川線を少し南に歩くと、左手の1本目の細い路地に稲荷神社があります。ここから南西一帯に広がる熱田前新田は津金文左衛門によって1801(享和元)年に干拓されたもので、文左衛門は各地で農民志望者を募集して、集まった人々を干拓そして耕作に従事させました。中川(現在の中川運河)の東側であるこの周辺を東ノ割、荒子川より西を西ノ割、そして中川と荒子川の間を中ノ割と区分して、それぞれに氏神を祀ったのです。この稲荷社は東ノ割の氏神です。大通りと路地の角にひっそりと佇んでいます。近々この路地が拡張されるとのことで、移転が計画されています。津金文左衛門はこの熱田前新田で大きな出会いをしています。それについてはこの後ご紹介します。
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▲熱田前新田東ノ割の氏神さま、稲荷神社。画像 ▲かつて尾張磁器発祥之地碑がありました。なぜここで陶磁器なのかは次回。

 稲荷神社の南にある中川小学校には、名古屋市内、とりわけ港区や南区に甚大な被害を与えた1969(S34)年9月26日の台風15号、通称伊勢湾台風の浸水位標があります。稲荷神社と中川小学校の間の路地を左へと歩いていくと、東海通沿いに弘禅寺というお寺があります。ここには海を流れてきた「流れ観音」が安置されています。
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▲伊勢湾台風の浸水位標は門の高さよりも上。画像 ▲流れ観音を安置する弘禅寺。

 観音さまは本堂の中にあります。ちょうどお寺の方が外にいらっしゃり声を掛けると、中へと案内され、経緯をお話してくださいました。弘禅寺にある十一面観世音菩薩は、北区の高木鍠一郎さんという方が彫ったものです。高木さんは若い頃に眼病を患い、失明を宣告されていました。次第に視力を失っていったのですが、地元の観音さまに念願したことで若干視力が回復しました。しかし35歳のときに過労から再び目を悪化させてしまいます。
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 高木さんは観音さまの力を信じ、自分で観音像を彫ることを決意します。しかし既に目がもうほとんど見えない状態でしたから彫るのは手探りでした。一刀三礼をしながら彫り続け、1932(S7)年に観音像を完成させました。すると右目が見えるようになったのです。家族一同それに喜びました。観音像が完成して1ヶ月すると、観音さまは夜半に高木さんの夢枕に立ち、「我、世間に出現し人々を救済せん、海に流せ」とお告げをしたのです。高木さんはその6日後、8月14日の夕方に観音さまを大八車に乗せ、北区から名古屋港まで運びました。もちろん徒歩ですから名古屋港に到着したのは夜中。目が見えるようになったと言っても夜中に港を歩くのは危険です。すると夜中にもかかわらず港にお坊さんがいて、観音さまを流すのを助けてくれたというのです。その話を聞いた家族は、それこそ神のお導きだと喜んだそうです。
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 観音さまはその翌日、海底を掘削する浚渫船に引き上げられ、船のデッキに安置されました。「流れ観音」は話題となりたくさんの人々がお参りするようになったのですが、警察によって没収され、しばらく倉庫に眠ることになってしまいます。そして戦後、名古屋港管理組合の職員によって倉庫から発見され、事務所にお堂を建てて観音さまを祀りました。しかし1962(S37)年頃、このまま事務所に置いておくのも…という声が上がり、1964(S39)年、この弘禅寺に安置されることになりました。
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 この観音さまを彫った高木さんは、観音さまを流した後も視力が回復しつづけ、仏画を描くようになりました。流した観音さまがここにあるということを知り、何度もこの弘禅寺に訪れ、観世音菩薩画を寄贈したそうです。高木さんは91歳で逝去されています。毎年2月18日には観音さまの星祭祈願会が、毎月18日には供養会が午後3時から開かれています。多くの人々を救済するためにこの地へ流れてきた流れ観音。この不思議な観音さまに多くの人が長寿無病を願っています。
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▲中央にいらっしゃるのが流れ観音さま。画像 ▲顔などは表装してあります。それにしても見えない手で彫ったとは思えない。

 それにしても、目がほとんど見えない状態で彫られた観音さまにはとても見えません。心眼と信念の成せる技とでもいいましょうか。私がたまたまこの界隈を歩いていた際に、道路でばったりお寺の方と出会えたのも、何らかの導きがあったのでしょうか。
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