12.南区 名古屋を歩こう

大同町と言うだけのことはある

記事公開日:2005年6月21日 更新日:

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 再び国道247号線に戻り、大江川緑地に架かる港東橋から南へと歩きます。大江川から南、国道247号線の西側にある現在の滝春町、大同町のあたりが、1806(文化3)年に菱屋太兵衛が完成させた大江新田となります。大江新田は塩害が酷く、数多くの用水路を作ったと記録にあります。そのため瓜を栽培したり、海苔を養殖するなどして生活をしていたようです。国道247号は大同町の真ん中を貫く形になります。その名のとおり、ここから先は「大同」の町となります。

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 南に向かって左手には、大同特殊鋼星崎工場がそびえています。南区の西側は、名古屋の産業を支える大きな企業がたくさん建ち並び、工場近くの歩道というのは殺風景になりがちです。そこで大同特殊鋼は工場敷地の塀にハーブを植え、なおかつ外から見えるところは芝生を敷き、少しでも工場沿いの歩道の環境を良くしようと工夫しています。ふと見るとその芝生の中には赤い鳥居の神社もあります。緑と赤のコントラストが目にも鮮やかです。その先、大同町3丁目交差点が工場の入口です。交差点の4方向のうちひとつが工場という形になっています。間違って左折しないようにお気をつけ下さい。多分守衛さんに止められます。

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▲ハーブを植えたり、芝生にしたり、街に配慮。
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▲この交差点を直進してしまうと、大同特殊鋼の工場へ。

 その大同町3丁目交差点の北西角に、伊勢湾台風の看板が立っています。宮の渡し公園にあったものと同じで、名古屋市内の浸水状況を示したものと、この場所の浸水位が示されています。私はそれを見て目を疑いました。なんとこの場所の浸水位は3.07メートルです。これは平屋の建物ですと、屋根の上に避難しても逃げ切れるかわからない程の洪水です。もちろんここの浸水位が3.07メートルですから、大同特殊鋼(当時は大同製鋼)星崎工場は水没しました。当時名東区に住んでいた私の祖母が、この南区へ炊き出しに行った時の話を聞きましたが、数え切れないほどの死体が水に浮かび、それは見るも無残な光景だったそうです。

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▲3.07メートルまで浸水。手も届かない。

 この交差点から250メートルほど南、せせらぎ水路が大江新田の南端となります。せせらぎ水路は国道23号の丹後通交差点から、大同工業大学の南側まで約1.5キロに渡って流れる水路です。大同排水路とも呼ばれていますが、元は大江新田の塩害を減らすための汐貫用水路として作られた歴史のある水路で、かつては魚が養殖されていたとのことです。1977(S52)年に遊歩道として整備され、さらに国による改良工事も行われ、現在は再び魚が姿を見せる憩いの場となっています。もう排水路とは呼ばせません。

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▲国道247号を南へ歩くと...。
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▲かつて排水路だったせせらぎ水路が。

 大同町3丁目交差点へと戻り、今度は名鉄の駅がある西へと歩きます。すると右手に大同工業大学大同高校があり、その入口には筏を力強く漕ぐ学生の像があります。「愛と力の筏像」です。伊勢湾台風の際、4階建ての大同高校本館には2千人あまりの人々が避難しました。生徒たちは筏を作り、人命救助、傷病者救護、人員物資の輸送、汚物の清掃、復興などに力を尽くしました。その活動は総理大臣に表彰されました。この像はその行いを称えるとともに、後進の励みとなるようにと建てられたものです。当時の本館は老朽化のため2003(H15)年に取り壊され、この像のみが歴史を語っています。ちなみにこの銅像は、名城公園にあったブロンズの青年像と同じく、名古屋市在住の野々村一男氏による作品です。像はかなり高い位置にあるのですが、それには理由があります。実はこの像の筏の台座がある高さが当時の浸水位を示しているためです。想像しただけで恐ろしい水位です。

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▲大同町駅前には居酒屋などが並んでいます。
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▲大同工業高校前にある愛と力の筏像。
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▲実際にこの高さで筏を漕いだのです。

 大同高校は現在「大同工業大学大同高校」という大学の附属かのような名前になっていますが、大学よりも高校のほうが歴史は古く、1939(S14)年に大同製鋼の下出社長が、大同製鋼の2代目社長であり、かつて道徳地区を開発し、日本の女優第一号の初恋相手として知られる電力王・福沢桃介の遺志を次いで、財団法人大同工業教育財団を創設し、高校を創立しました。そして伊勢湾台風を乗り越えた1964(S39)年、大同学園は大同工業大学を設立しています。その目的は、名古屋の産業を支える技術者の育成です。物作りの会社が将来のことを考えて学校を作ってしまう。それが名古屋なのです。現在もトヨタ、中部電力、JR東海が共同で、2006(H18)年開学を目指して学校を設立しようと準備をしています。

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▲立て替えられた大同工業高校。

 大同高校のすぐ横には、名鉄常滑線大同町駅があります。駅前にはお店が少しあるものの賑わいは感じられません。しかしどことなく、昔はもっと活気のある繁華街だったんだろうなという雰囲気が漂います。現在は高架化工事が行われており、見た目にも騒然としています。古くからあると思われる木製の駅舎も、高架化が完了すると姿を消すことになるでしょう。大同町駅の西側に進みます。三井化学の社宅を越えると、大同工業大学滝春校舎があります。周辺をうろうろしていると案内看板がありました。「大同特殊鋼株式会社滝春テクノセンター」「大同プラント工業株式会社」「大同環境エンジニアリング株式会社」「株式会社大同ライフサービス」「株式会社大同機械製作所」...。まさしく大同町です。そして駅の南側には、大同の名を冠した大同工業大学白水校舎と大同病院があります。

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▲大同町駅の木造駅舎。高架化が完成したら撤去かな。
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▲今は片方のみの高架が完成した状態です。
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▲大同、大同、大同...。

 この状態なら、企業名が地名でも誰も嫌だとは思わないでしょうね...。


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