12.南区 名古屋を歩こう

お風呂で大っぴらに遊べ!

記事公開日:2005年6月21日 更新日:

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 今回は山崎川の南側を歩きます。山崎下水処理場と山崎汚泥処理場に挟まれた道路を南下します。歩道の幅も広く立派な道路なのですが、山崎川の豊生橋を渡ると、西の方向から国道23号線の高架が湾曲してやってきます。そしてこの道路の目の前に高架は下ってきて道路を奪ってしまいます。行き場を失ったこの道路は申し訳無さそうに国道23号へと合流します。国道23号は名古屋と三重県四日市を結んでいることから通称、名四(めいよん)国道と呼ばれていますが、国土交通省的には名四(めいし)国道です。国道1号のバイパスとして1972(S47)年に全線開通しましたが、現在は飽和状態になっており、港区の南端を国道302号、有料道路の伊勢湾岸自動車道がさらなるバイパスとして開通しています。

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▲汚泥処理場と下水処理場に挟まれた香ばしい道路。
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▲豊生橋から山崎川を望みます。白と水色のコントラストが鮮やかな工場。
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▲横入りしてきた国道23号に道路を取られてしまいます。

 先ほどの道路が国道23号と合流するあたりの東側には、名古屋市総合体育館「レインボーホール」があります。レインボーホールは1987(S62)年にオープンした10,000席の観客席を誇る大ホールで、スポーツ競技だけでなくコンサートやライブなども開かれます。名古屋の日本武道館といった存在で、名古屋のインディーズバンドの間では「いつかはレインボーで。」という合言葉があるとか無いとか。でも、バンドをやるならやっぱり東京を目指さないとね。レインボーで凱旋公演というのが理想かな。総合体育館には他にも競技場や、トレーニング室、レインボープール、アーチェリー場、弓道場、会議室や研修室のある「サン笠寺」が併設されています。また総合体育館の北には、名古屋城がすっぽりと入ってしまう水槽で伊勢湾や三河湾の水の流れを研究したり、港湾・海岸・空港・作業船に関する技術開発や調査、実験を行っている、名古屋港湾空港技術調査事務所があります。しかし名古屋城が入る大きさの水槽って想像がつかないなぁ。

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▲レインボーホール。コンサートから格闘技まで。
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▲レインボープールなどは名古屋南高校の南側。
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▲ガードレールにもレインボープールのイラストが。

 総合体育館の南側には環状線が走っています。東へと歩いてみます。すると、かつてはCMでよく「笠寺駅前」という言葉を耳にした、名古屋笠寺ワシントンホテルプラザと湯~とぴあ宝があります。「こんにちは、笑顔、こんにちは。笑顔の先に~夢があ~る~。」というCMソングがご記憶にある方もいらっしゃると思います。超音波気泡風呂や漢方薬湯風呂、露店ジャグジーなどいろんな種類のお風呂がある健康ランドなのですが、すべり台つきで子どもが楽しく遊べるお風呂なんてのもあります。よく「お風呂で泳いじゃいけません!」なんて言われるお子さんも、ここなら大満足。素っ裸ですべり台というのはどんな感じなんでしょう。私はもう子どもじゃないので、滑ることができずわかりません。

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▲環状線を東に望みます。真ん中の建物が笠寺ワシントンホテルプラザ。
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▲宝グループ。最近はマンション経営など手広くやっています。

 湯~とぴあ宝の前あたりから環状線は高架になり、東海道本線を越えます。跨線橋の北側にはJR笠寺駅が見えます。笠寺では東海道本線、東海道新幹線が並行に走っていて、さらに幻の国鉄南方貨物線も並行し、ものすごい幅になっています。この先には国道1号があるので、その向こうはまた後日散策するとして西へと環状線を戻ります。環状線の北側は国道23号を越えた所までが「東又兵ヱ町」、その先国道247号までが「西又兵ヱ町」、そして環状線を挟んで、東又兵ヱ町の南側が「弥次ヱ町」、西又兵ヱ町の南側が「北頭町」「中割町」となっています。変わった名前の町名が目につきます。もちろんこれらは人の名前から来ています。

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▲二つコンクリートの塊に見えるのが笠寺駅のホーム。
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▲新幹線は最も東側。もちろん笠寺には止まりません。

 東又兵ヱ町は1715(正徳5)年に完成した又兵衛古新田で、西又兵ヱ町は1749(寛延2)年に開墾された又兵衛新新田です。両方とも笠寺村(当時)の土豪、加藤又兵衛勝貞によって築かれました。また、弥次ヱ町にあった弥次右衛門新田と、北頭町から神松町にかけて環状線から大江川までの範囲にあった水袋新田は庄屋だった中村弥次右衛門が1725(享保10)年に開いたもので、このあたりでは前浜塩の生産も盛んでした。塩については塩付街道の起点で詳しくお話します。

 環状線を西に歩くと国道247号に出ます。その西側は、港区でご紹介した、昼間は列車の運行がストップする名鉄築港線が接続している大江駅のある加福町、かつての加福新田です。ここは何度も決壊をした新田で、1829(文政12)年に一度完成したもののすぐに災害に見舞われ、1835(天保6)年にようやく再度完成に漕ぎ着けます。しかし再び災害に遭い、1880(M13)年に再築されています。今の加福町には水田も住宅も無く、貯木場とゴルフ練習場と工場が建ち並び、狭い道路を大型トレーラーがびゅんびゅん行き交います。

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▲国道247号線。片側4車線とやたらに広い。
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▲名鉄常滑線大江駅。やがては高架化されます。
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▲先にあるのが大江グランドゴルフ。工場の合間を越えて行くしかありません。

 大江駅の北には、境内が一面の草で覆われた加福神明社があります。ここまで来ると名鉄常滑線は高架で無くなっていて、神社の横を赤い列車が走って行きます。神社の鳥居には材木業者や運輸業者の名前が書かれており、氏子の地域性がよく出ています。この大江駅からはオットセイの骨が発見されていて、さらに新田の堤防が決壊したときにはアシカが迷い込んできたという話も残っています。現在の加福町は一般の人が歩くような場所ではなく、地図上は道路があっても通れないところもあるため、アシカのように私も迷い込んでしまい、危うくトレーラーにひかれそうになってしまいました。

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▲境内は一面芝生。本殿は森の中の加福神明社。
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▲道路は各工場専用のような雰囲気。
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▲道路が貯木場で行き止まりに。地図だと続いてるはずなんだけど...。

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