12.南区 名古屋を歩こう

命が惜しけりゃ跳べ、跳べ

記事公開日:2005年6月21日 更新日:

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 笠寺観音から旧東海道の笠寺宿を歩きましょう。笠寺観音の西門前は参道になっていて、その先は笠寺宿跡のある環状線、名鉄本笠寺駅へと続いています。そちらへ行く前に、笠寺観音の周辺にあるお寺を見てみましょう。

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 西門前にある西方院には烏瑟沙摩(うすさま)明王が祀られていて、婦人病や下の病気治癒、安産にご利益があると言われています。この明王像は木曽義仲の母が持ち歩いていたもので、義仲を無事安産できたことからご利益があるとされています。続いて、西方院の南にある泉増院は、笠覆寺の十二坊のひとつであった、笠覆寺を復興した兼平夫妻の妻、玉照姫の像を祀っているお寺です。泉増院では厄除け人形祈祷が行われています。人形に家族の名前と年齢を書き、悪いところを黒く塗りつぶします。そして人形を撫でたり、息を吹きかけたりして願いごとをしてお寺に預けます。すると毎月8日の縁日午前10時から祈祷をしてもらえます。厄除けの他にも、やはり縁結び、そして安産にもご利益があります。

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▲安産、そして婦人病、下の病気平癒の西方院。
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▲厄除け人形祈祷の泉増院。

 笠寺観音からまっすぐ南に歩くと東光院があります。このお寺も笠覆寺の十二坊のひとつ、宿坊として建立されたもので、現在の本堂は江戸時代中期に建てられたものです。星崎城主だった山口重勝が持っていた、菅原道真の肖像画「出世お神酒天神」が納められていて学問の神様として信仰を集めています。宮本武蔵はここに滞在していました。尾張徳川家に兵法指南役として就職しようとしていた武蔵です。あの武蔵が職に困っていたとは。しかしそれは叶いませんでした。一説には、給与面で折り合わなかったと言われています。武蔵の肖像画や、武蔵自作の木刀、また武蔵が左右両腕で書き分けたと言われる「南無天満大自在天神」という掛け軸が所蔵されています。書も二刀流だったわけですね。私は左利きなので、右も使えるようにとお祈りしてみました。仕事も両刀使いのように二足のわらじが履けるといいのですけどね。でも、就職に困っていた武蔵にそれをお祈りするのは...どうかな。

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▲東光院で菅原道真と宮本武蔵にお願い。

 笠寺観音の南側から西門の前を通る細い道路は旧東海道です。続いては、旧東海道を笠寺観音の西門から西へと歩いてみます。ここから旧東海道沿いには商店がずらっと並びます。「笠寺かんのん商店街」です。賑わっていて門前町の佇まいを今に残しています。旧東海道は環状線に笠寺西門交差点でぶつかります。交差点近くには笠寺宿について書かれた碑や、当時の常夜燈を模ったオブジェが立てられています。すぐ西側には名鉄名古屋本線の本笠寺駅もあり賑やかな門前町、旧宿場町なのですが、その中に、かつてユニーだったビルが廃墟と化して残されており、異様な雰囲気を漂わせているのが残念です。

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▲笠寺観音西門前で、旧東海道は折れ曲がります。
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▲かつての常夜燈をモチーフにしたオブジェ。
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▲笠寺宿跡の記念碑。当時の様子も描かれています。

 さらに西へと歩きます。するとテレビのCMでおなじみの「時計宝石のナイトウ」があります。ここにあったんですね。旧東海道が太くなり、最初の角を左に曲がって、みどり幼稚園のある角に大きなクスノキが立っています。そこには戸部新左衛門の碑があります。戸部新左衛門政直は戸部城の城主でした。戸部城は笠寺城、松本城とも呼ばれ、南北180メートル、東西30メートルの敷地があり、西側と南側は高さ十数メートルの断崖となっていました。しかし1929(S4)年の耕地整理によって全く痕跡がありません。戸部左衛門は信長の計略にかかって今川義元に豊橋で殺害されています。現在もこの界隈は戸部町となっていて、地名にその名を残しています。

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▲廃墟と化したユニー。壁面のひび割れが怖い...。
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▲時計宝石のナイトウ。明治時代から続く老舗。
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▲クスノキと戸部新左衛門の碑。角地にあります。

 さてこの戸部新左衛門、かなりの乱暴物でした。自分の前を横切る者は全て切り捨てたと言われています。ある日、新左衛門の前を蛙が横切りました。しかしさすがの新左衛門も飛び跳ねる蛙のスピードにはついていけず、蛙は切られずに逃げ切ることができました。東海道は呼続で訪れた山崎城を越えるとこの戸部城下に差し掛かります。この新左衛門と蛙のエピソードは「山崎越えたらとべとべ」と、戸部という地名と、蛙が跳んで助かったのを洒落にして童謡として歌われるようになりました。そして江戸時代の後期、瓦職人が遊び心で瓦粘土を使って蛙の置物「戸部蛙」を焼き、旧東海道で旅人相手にお土産として売るようになり人気となりました。呼続の湯浴地蔵にいた、背中に子どもを背負っている蛙の石像もこの話に由来しているのでしょう。なぜお土産として人気が出たのか、それはこの蛙を持っていると「無事帰る」と、旅の安全という縁起を担いだからです。笠寺は昔から商売上手な街のようです。だから商店街が今でも賑わっているんですね。商売上手というか、根っからのダジャレ好きなのかも。

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▲碑には戸部新左衛門政直の文字。
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▲湯浴地蔵のところにいた蛙。これも戸部蛙?

 名鉄本笠寺駅近くは、桜駅からずっと名鉄が地面を走っていて、名古屋市内では珍しい下町風情が漂います。駅前には若干繁華街が形成されていて、「まどか(仮名)は体調不良で本日休み」といった張り紙のある、指名のできる飲み屋さんもあります。中に「スナック募集」という張り紙のある空きビルもあり、ちょっと寂しさもありましたが。本笠寺駅は2つホームを地下道が結んでいます。夜はちょっと怖いかも。また、駅の南側の道路も線路の下をくぐる格好になっているのですが、やはり夜は怖そう。いきなり切り捨てられることの無いように、夜は跳んで跳んで急ぐように通り抜けたほうがいいかもしれません。

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▲本笠寺駅前。スナックなどが建ち並びます。
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▲細い地下道を通って本笠寺駅へ。
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▲夜歩いて通るのは、ちょっと怖そう。

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