12.南区 名古屋を歩こう

名古屋市南区の成り立ち

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南区プロフィール

南区概要

名古屋の交通今昔物語

 南区はその名のとおり名古屋市の南部中央にあり、ほぼ正方形の形をしています。南区の北側には熱田区、瑞穂区があります。新田開発によって埋め立てられた熱田区の南側であることからわかるとおり、南区もかつては海で、このあたりには良質な塩を産む干潟が広がっていました。塩は馬の背に付けられ、塩付街道、中山道を通って信州へと運ばれました。その後干潟は干拓によって田園に姿を変え、さらに今日ではその田園風景も無くなり、南区は工業地帯と住宅地に姿を変えています。南区の西側は、港区の臨海工業地帯と繋がっており、東側は住宅街の天白区・緑区の流れを受けています。南区の真ん中を南北に走る国道1号線がちょうどその境目となっています。また、南区の南側には緑区が入り込んでいて、南区でありながら、名古屋市の南端となっているのはわずか東西400 メートルの幅のみです。

 南区という名は、名古屋市が区制を施行した1908(M41)年から存在するのですが、当時の旧南区は現在の熱田区ほぼ全域と、熱田区と接している港区ほんの一部によって構成されていて、現在の南区の区域とは全く関係ありませんでした。現在の南区の区域は当時愛知郡で、笠寺村と鳴尾村と星崎村が1906 (M39)年に合併して出来た笠寺村と、呼続町に分かれていました。その後、旧南区には新川から西側の中川区の部分と、庄内川から堀川にかけての港区の部分、南区全域、瑞穂区全域、天白区の八事地区が編入され、旧南区は広大な区となりました。その後1937(S12)年に南区は、熱田区、中川区、港区、南区に分けられ現在の形になっています。

 現在の南区の部分だけの変遷を追うと、笠寺村の部分は1921(T10)年に旧南区となり、呼続町は現在は瑞穂区の部分にあった瑞穂村、弥富村の一部を併合して大きくなり、笠寺村と時を同じくして旧南区となり、1937(S12)年の区域変更で現在の南区の姿になりました。

南区のみどころ-歴史ある交通の要衝に未完成廃墟

 南区を南北に東海道が貫いており、塩付街道、鎌倉街道とともにこのあたりは古くから交通の要衝として栄えました。かつて名古屋市内に9つあった一里塚のうち、唯一現存するものが笠寺にあり、周囲には尾張四観音のひとつ笠寺観音から、見晴台遺跡、貝塚など歴史を感じるものが残されています。南区が交通の要衝なのは過去の話だけではなく、現在も国道1号線、23号線、JR東海道本線、東海道新幹線、名鉄名古屋本線、常滑線、名古屋高速などが区内を通過しています。

 南区には国道1号とJR東海道本線が並行して南北に走っていて、それによって区が二分されていると言っても過言ではありません。国道1号と東海道本線の東側には、先ほどの遺跡や貝塚といった史跡を残しつつ閑静な住宅街が広がっています。対する西側には名古屋の産業を支える工業地帯が広がっており、工場を中心に住宅や商店、古くからの繁華街の姿もあり下町風情を感じることができます。西側は実際に土地も低く、伊勢湾台風の際に大きな被害を受けました。そして工業地帯と住宅地に挟まれたJR笠寺駅近くには、コンサートなどでもよく使われ、名古屋の武道館とも言えるレインボーホールやプール、体育館からなる名古屋市総合体育館があります。

 工業地帯の懐かしい下町風景と、閑静な住宅街、そして史跡、と様々な姿を見せる南区を歩きます。東京の下町には当たり前のようにある景色ですが、これまでの散策では見られなかった、高架ではなく電車が街の中を走るという景色も見られるようになり、踏切や電車のある風景も南区では楽しめます。ただ、将来的には高架化される計画がありますので、今が見納めかもしれません。

MAP

南区地図

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