13.緑区 名古屋を歩こう

新しい学校、新しい公園、そして...

記事公開日:2005年10月20日 更新日:

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 滝の水公園から滝ノ水界隈を歩きます。公園の南側には滝ノ水小学校があります。開校は1990(H2)年と比較的新しく、この界隈が新興住宅地であることがそんなことからもわかります。その小学校の東側の道路は歩行者専用になっています。押ボタン信号を渡るとその先に森が見えてきます。ここは意図的に残された森「滝ノ水緑地」です。敷地内には本格的な森と池があり、住宅街の一服の清涼剤となっています。そしてその緑地を越えると不思議な空間があります。国道302号線の建設予定地です。

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▲滝ノ水小学校のあたりは坂が多い。
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▲滝ノ水緑地は里山がそのまま残された格好。結構本格派。
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▲将来はここに国道302号が通ります。

 と言いましても、仮の道路も建設されておらず、とりあえず用地が確保してあるだけで、草が覆い繁っています。にもかかわらず、将来の道路建設を見越してマンションは既にボンボンと立っており、草の繁った空き地沿いにマンションが建ち並ぶという異様な光景になっています。この光景どこかで見たような...。そうです、二十年程前の名東区引山界隈とそっくりです。名東区は国道302号が開通して景色が一変しました。このあたりも国道が開通すると全く違う様相になることでしょう。そのとき、先程の滝ノ水緑地が大きな意味を持つことになるのです。しかし...この様子だと道路の開通はいつになることやらといった感じです。ちょっとそのマンション群が国道の恩恵を受けるのは一体何年後のことでしょうか。国道が通るとうるさくなるからと、実は住人は開通を望んでいなかったりして。

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▲国道用地はまだ舗装もされていません。
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▲滝ノ水緑地を裏側から見ます。将来は幹線道路沿いの森に。

 小学校の前の押ボタン信号に戻り、その道を南に歩くと滝ノ水川が姿を現します。すると滝ノ水中学校があります。こちらは1985(S60)年の開校です。更に川下に下ると、今度は滝ノ水中央公園という南に開けた公園があります。この公園には区画整理、宅地造成の完成を記念する碑も建てられています。このあたりはかつては7割が森、2割が畑だったそうです。南側の景色が良く見えるなぁと眺めていると、同じように眺めている人の姿を発見。と思ったら戸笠公園、滝の水公園に続いてこれまたオブジェ。三人の子どもが南側の空を眺める像が置かれています。名古屋市は、公園にはどうしてもオブジェを置かずにはいられないということがよくわかります。

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▲続々とスーパーなどが進出。
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▲滝ノ水中央公園。南を向いて座ってる人がいる?
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▲おお、子どもたちの姿が。

 滝ノ水中央公園の南側の道を西へと歩きます。スポーツクラブアクトス、中古子ども用品のB-キッズを越えた大形山交差点には、尾張地区に店舗展開する和菓子店「亀屋芳広」があります。亀屋芳広は「尾張銘菓」という名古屋にちなんだ名前をお菓子に付けたシリーズが有名です。本店のある熱田にちなんだ「七里の渡し」「あつたの杜」のほか、この緑区に由来した「有松絞」という商品もあります。そんな中で私が最も気になるのが「尾張のいもっこ」。その名のとおりサツマイモを使ったお菓子なのですが、このネーミングが意味するのは、尾張の人間は皆「イモ」ということでしょうか...。まあ、確かに東京や大阪に比べたらイモでしょうね。「あなた達ハッキリ言ってイモね」というセリフを漫画に書いていたあの漫画家もそういえば尾張の人間でしたっけ。でもイモで良いんですよ、イモにはイモの良い味があるのですから。

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▲大形山交差点から滝ノ水中央公園方向をふりかえります。
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▲スーパーだけでなくさまざまな業態が進出。
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▲尾張銘菓の亀屋芳広、滝の水店。

 大形山交差点を左折してさらに南へ。すると滝ノ水は終わり今度は相原郷地内へと入ります。右側にそれなりに遊具が一応置かれている大形山緑地が見えてきます。それを越えると南側に諏訪社があります。諏訪社は南側を東西に走っていた鎌倉街道沿いに昔からあり、創建は不明ですが鎌倉時代には街道も神社も既にあったとのことです。敷地も広い上に、裏側の緑地と一体になっていてかなりの存在感があります。現在は諏訪社の南側には県道諸輪名古屋線が走っています。近くには浄蓮寺や緑高校、モスバーガーやどんどん庵などもあり賑やかです。その道路を越えると東西に扇川が流れています。

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▲大形山緑地です。ポツンとすべり台。一応整備しましたって感じ。
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▲大形山緑地の南側にある諏訪社。
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▲緑高校、緑図書館は坂の上。

 扇川沿いにある石神堂公園にはまた像があります。「豊饒の里」という農民たちの像があります。かつてこのあたりは、室町時代の後半に作られた干潟でした。今はその面影はありません。では扇川沿いに東へ歩いてみましょう。石神堂公園のすぐ東側では、滝ノ水川が合流しています。ここに将来的には国道302号線が通ることになります。その際は景色が大きく変わることでしょう。滝ノ水川を越えると相原郷は終わり、鳥澄界隈になります。鎌倉街道は現在のハローランドの先にある砂田橋から南東へ続いています。その先にある鎌倉台にその名を残しています。

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▲結構川幅のある扇川。
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▲石神堂公園にある「豊饒の里」という農民たちの像。

 砂田橋を越えると今度は地名が鴻仏目(こうぶつめ)になります。扇川にかかる橋も「新鴻仏目橋」です。そしてサンユーという酒屋さんを越えたら左に曲がって丘を上ります。篭山交差点を越えてさらに丘を登っていき、ちょっと難しいのですが、二本目を左に曲がってすぐ右折、そしてすぐ左折をしてすぐ右折して左折すると篭山神社があります。これは地図が無ければ辿りつけません。このあたりはかつて広大な山野だったのですが、幕末に開墾され田畑となり、その頃農耕の守護神として山神社が置かれました。その後その田畑は、平手北部土地区画整理事業によって現在の宅地の姿となりました。そして山神社は地主から土地の寄進を受け、1980(S55)年11月に篭山神社として宗教法人登記されるに至っています。

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▲サンユー。この右側を北へ。
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▲鍋山方面へ登っていきます。
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▲住宅街にポツンとある篭山神社。この街は神社も新しい。

 境内にはその平手北部と、池ノ水土地区画整理事業の完竣奉祝記念碑が建てられています。滝の水公園からこのあたりまではずっと新しい街が続きました。公園も学校も新しいものばかりでしたが、まさか神社までもがわずか25年前に創建の新しいものとはさすがです。

 まあ、山神社の頃から考えれば歴史のある神社なのですけどね。

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▲神社にある記念碑。こちらもピカピカ。
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▲もちろん、神社周辺の住宅街もピカピカ。

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