13.緑区 名古屋を歩こう

江戸時代の最先端!?お城をリサイクル

記事公開日:2005年10月20日 更新日:

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 前回は東海道40番目の宿場町、鳴海宿の東入口にある常夜燈から名鉄名古屋本線鳴海駅までを歩きました。今回は鳴海駅から鳴海城址とその周辺にある砦跡を見ていきます。

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 鳴海駅から北へ、扇川を越えたところにある本町交差点を左右に走るのが旧東海道です。右へ曲がると東の常夜燈へと戻ることができます。西へ歩いてみましょう。三重銀行を越えると左手に比較的新しい蔵が登場します。ここが本陣跡です。本陣とは江戸時代に大名や公家、勅使など身分の高い人が公的に宿泊する宿でした。幕末の頃の鳴海宿本陣の規模は間口39m、奥行き51m、建坪は235坪、総畳数は159畳もありました。1843(天保14)年の記録によると他にも予備本陣が2軒あり、さらに鳴海宿内には一般の旅人が泊まる旅籠が68軒あり、人口は3643人、847世帯が暮らしていてかなり大きな宿場町であったことがわかります。東海道はこの先で北に笠寺方向へと曲がります。鳴海宿はまだまだ続きます。西の入口は600メートルほど先にあります。それは後程見ることにしまして、今回はこの本陣周辺を散策します。

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▲鳴海宿本陣跡。この蔵には祭りの山車が安置されています。

 東海道を少し西に歩くと、右手に「如意寺蛤地蔵尊」という看板が登場します。入っていいのかどうか迷ってしまいそうなくらいの細い路地を歩きます。すると鳴海宿十一ヶ寺巡り朱印請所となっている如意寺があります。1059(康平2)年に、ここから2.5キロほど北の上ノ山に青鬼山(せいきざん)地蔵寺として創建され、1398(応永5)年に東区長母寺の無住国師が現在の場所に移転、そして1413(応永20)年に如意寺となりました。本尊は地蔵菩薩で、尾張六地蔵第4番の蛤地蔵さんとして親しまれています。このお寺の6世玄翁文英は鳴海六歌仙のひとりで、松尾芭蕉の没後に法要を行って供養塔を建立しました。その供養塔は現在、近くの誓願寺にありますので後程行ってみます。

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▲この看板が無ければ、見つけられなかったと思います。
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▲幼稚園の横を歩いてくと、如意寺の山門が見えてきます。
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▲蛤地蔵尊を本尊とする如意寺。

 鳴海宿本陣跡から真北に歩きます。この道も民家を縫うような路地で、もちろん車では通り抜けできません。急坂を上りきると公園があります。城跡公園です。鳴海宿を一望できます。公園のつきあたりを左に曲がり、当時の面影が残る石垣の脇を通るように下っていくと、根古屋(鳴海)城の廃材を使用して山門を作ったといわれる東福院があります。

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▲如意寺の北側にある急坂を登ると城跡公園。
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▲南側は開けていて、大高方面まで見渡せます。
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▲公園の北側、石垣が城跡を物語る坂を下ります。

 東福院はかつて鎌倉街道沿いにあったのですが、寛永年間(1624-43)年に現在地に再興されています。本尊は大日如来像で、山門脇の小堂には三尊仏33観音の石仏や子安観音木像が安置されています。そして現在も残る山門。これが1590(天正18)年に廃城となった根古屋城の廃材をリサイクルして建てられたものだそうです。どういう経緯で廃材を使用したのかはわかりませんが、江戸時代初期に「もったいない」という考え方、つまりリサイクルという概念があったというならば、この東福院は最先端ということになりますね。400年ほどたった今、ようやく「もったいない」という概念が世界に広がろうとしているのですから。

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▲根古屋城の廃材が使われた、東福院の山門。
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▲小堂の33観音石仏。迫力があります。

 東福院の前を東へと歩いていくと、大きな通りにぶつかります。鳴海駅から北進した道路です。南へ、鳴海駅方面に戻ると左側に根古屋(鳴海)城址があります。このお城は応永年間(1394-1427)に安原宗範が築城したといわれるもので、織田家の支城でした。しかし城主が山口左馬介になると織田方から今川方に寝返り、今川の将である岡部氏が城を守るようになります。1560(永禄3)年の桶狭間の戦いでは岡部五郎衛門元信が城に配され、義元が討たれた後も奮戦し、天下に勇名をはせました。その後は信長の臣であった佐久間信盛、正勝らが城主となりましたが、1590(天正18)年に廃城になったと伝えられています。そして廃材が東福院の山門となるわけです。ところで、先ほど東福院の近くにあった公園の名は「城郭公園」といいます。この城址から公園までお城の敷地だったわけです。

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▲根古屋城址にある天神社。
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▲お城になるもっと前は、ここが海岸で船にある人が乗りました。

 根古屋城址には天神社があります。現在は600メートルほど北にある、成海神社がかつてはここにあったことを示すもので、根古屋城築城の際に成海神社は移転させられたとのことです。根古屋城の大きさは東西166メートル、南北36メートル。先ほどの城跡公園が西の城郭だったほど大きかったのです。境内には「杜若 われに発句の おもいあり」という芭蕉の句碑のほか、造成のために無残にも切株だけになってしまった天神社の神木もあります。この周辺には芭蕉の句碑がたくさん残されています。そしてその根古屋城址の向かいには圓道寺と芭蕉の供養塔のある誓願寺があります。

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▲天神社の社殿です。ここで船に乗ったのは成海神社が祀る神さまです。
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▲芭蕉の句碑です。芭蕉はよく東海道を歩いたのでしょうね。
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▲こちらは切り株だけになってしまった神木。

 圓道寺は天正年間(1573-92)に仁甫良義和尚によって猿堂寺として創建され、その後1757(宝暦7)年に地蔵寺、1774(安永3)年に庚申堂に、そして1942(S17)年に圓道寺となりました。本尊は青面金剛尊(庚申さま)、本堂の屋根にはその使徒である三猿が据えられています。そしてその南にある誓願寺は僧俊空が1573(天正元)年に開山したお寺で、本尊は阿弥陀仏です。境内には芭蕉堂と芭蕉の供養塔があります。この供養塔は1694(元禄7)年、芭蕉が亡くなった翌月の命日に、先ほどの如意寺に建立されたもので、芭蕉の供養塔としては最古のものです。1977(S52)年には名古屋市指定文化財となっています。芭蕉堂は安政年間(1854-59)に門人が建てたもので、芭蕉手植えの古木を彫刻した芭蕉像が安置されています。ところで、供養塔は如意寺の和尚が建てたもので、しかも如意寺は現存しているのにどうしてこのお寺に移されたのでしょうね。

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▲本堂の屋根に三猿のある圓道寺。
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▲芭蕉の供養碑、芭蕉像が安置されている誓願寺。

 では、根古屋城跡から東へと歩きます。このあたりは宿場町の別の形での名残ともいえる旅館の姿がちらほらと見受けられます。右側には、宝物の薬師如来像の台座が龍であることから名付けられた圓龍寺があります。当初は善照寺砦跡にあったのですが、桶狭間の戦いの際に、奈良の法隆寺ほどの大きさがあったといわれる七堂伽藍が焼失、その後各所を転々として1633(寛永10)年に現在地へと移っています。1757(宝暦7)年には伊勢のお寺から本堂がリサイクルされて移築されたのですが損傷がひどく、1986(S61)年に現在の本堂が再建されています。このあたりはやはり、リサイクルという精神が昔から根付いていたのかな...。

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▲鳴海宿の面影を残す?旅館街。
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▲かつてはリサイクル本堂だった圓龍寺。

 さらに東へ歩くと、須佐之男命を祀る雷社があります。地名も「鳴海町字雷」です。その雷神社の先にある急坂を南に下ると、東海道からも程近い萬福寺と浄泉寺があります。西側の萬福寺は、永享年間(1429-41)の創建です。1560(永禄3)年に兵火によって焼失するも再建。現在あるのは江戸時代末期に建てられたものです。そして東側は1432(永享4)年に開基された浄泉寺。当初は専修念仏の道場でした。このふたつのお寺には共通することがあります。それは学校が置かれたことです。萬福寺には1873(M6)年に鳴海小学校の仮校舎が、浄泉寺には1887(M20)年に愛知郡第三高等小学校が置かれました。現在の鳴海小学校は、先ほどの雷社の北側にあります。では再びその鳴海小学校の南側の道へと急坂を戻って、東の砦跡へと向かいます。

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▲どこかの敷地の片隅にある様子の雷社。
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▲江戸時代末期の本堂を残す萬福寺。
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▲愛知郡第三高等小学校が置かれた浄泉寺。

 雷社から東へ400メートルほど歩くとあるのが砦公園。善照砦跡です。この善照砦は1559(永禄2)年に織田信長が築いたもので、もちろん、寝返って今川氏の手中となってしまった根古屋城を見張るためのものです。今は木々が覆い繁り見難い部分もありますが、ここからは鳴海界隈を一望でき、監視するには抜群の場所です。桶狭間の戦いの際には、信長が奇襲をかける直前にここへ兵を集結させました。

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▲さすがに砦は丘の上にあります。住宅街の急坂を上っていきます。
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▲これまで見てきた砦跡とは違い、公園として綺麗に整備されています。

 公園内には「鳴海絞開祖三浦之碑」という石碑も鳴海絞組合によって建立されています。先ほどの雷社同様、ここの地名は「鳴海町字砦」。しかも砦跡は「砦公園」として整備されています。砦跡もちゃんと公園としてリサイクルされているというわけです。まとめにちょっと無理がある気がしますが、緑区内に残されている他の砦跡は草も生え放題で、案内もちゃんとされていないのに比べれば、ここは比べ物にならないくらい、立派に公園として整備されているということを言いたいのです。

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▲晴れていたら桶狭間辺りまで見渡せそう。
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▲北側にも開けています。
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▲鳴海絞開祖の碑。有松絞とどっちが先?そういうこと言っちゃダメ?

 しかし、徒歩では来ない方がいいかも。砦跡までも急坂が続きますが、公園内にもさらに急な階段があります。激しい息切れで、まとめのオチも思い浮かばないほどです。と言い訳してみます。でも、それを登るからこそ遠くまで見届けられるわけで、ここに砦を置いた意味がわかるというものです。

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▲砦の高さに近いマンションが...。
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▲住宅で見渡せない方向もありますが、かつては360度パノラマだったよう。

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