15.名東区 名古屋を歩こう

ここは極楽、あっちは地獄...

記事公開日:2006年6月14日

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 名東本通を東へ、高針を越えさらに新宿を越えると梅森坂交差点があります。梅森という地名を聞くと私の場合は日進市を思い浮かべてしまいます。実際このあたりでは名東区側にも日進市側にも梅森という地名があります。日進市との市境はもう目の前です。

 梅森坂交差点の東側には梅森坂という住宅地が広がります。市営梅森荘や県営梅森坂住宅といった大きな住宅団地から、戸建住宅の立ち並ぶ区画もあり静かな住宅街が形成されています。残っている土地はわずかで、梅森坂東土地区画整理組合の事務所もあと数年で役目を終えることでしょう。

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▲梅森坂交差点です。適度に緑が残された住宅街。
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▲いつも交通量が多い印象があります。さすが住宅街。
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▲この先は日進市の梅森へと住宅街は続きます。

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 この梅森坂の先は日進市の梅森台、梅森町、そして香久山といった住所になるのですが、見事に住宅地が一体になっているのです。特に梅森坂と香久山はどちらも戸建住宅が立ち並んでいて、しかも同じような街が形成されています。さらにそれが一体になっているので、どこまでが名古屋市でどこからが日進市なのか一見わからなくなってしまうのです。市境でここまで住宅地が融合しているのは珍しいケースでは無いでしょうか。緑区と豊明市のように太い道路でさえ接続されていないところもあるというのに...。ただ、やはり地価は大きく異なります。「名古屋市」のブランド力は大きいのです。当然、自治会や通学区域も異なります。一見一体の住宅地も、その細い道路一本で大きく分断されているのです。お向かいさんとの距離は近くとも、両家の心のなかには大きな壁がある可能性があります。「あっちは日進、こっちは名古屋...。」

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▲道路の西側は名古屋市、東側は日進市。地価が違う。

 梅森坂から今度は北へと歩きます。大針です。高針は高台を開墾したことから付いた地
名でした。ということは、このあたりは大きく開墾したから大針なのでしょうか。現在の
大針はそれほど面積が大きいわけではありません。大針には市立名東高校や衣の民俗館が
あります。衣の民俗館は、衣・食・住の研究交流の場として服飾文化について展示を行っ
ている施設です。看板は発見したのですが、どう見ても普通の住宅にしか見えませんでし
た。でもこういう隠れ家っぽい感じが逆に良いですね。通り沿いには商店街が形成されて
いて、新しいタイプのコンビニなども立ち並んでいて賑やかです。さて、その大針を越え
ると、不思議な名前の交差点が登場します。「極楽」です。

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▲住宅街のなかにある市立名東高校。
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▲大針・高針商店街にはなぜかやたらとコンビニが。激戦区です。
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▲バスの行き着く先は「極楽」。

 そうです。ここが、天国に一番近い島と言われたニューカレドニアよりもさらに天国に近い...といいますか、天国そのものですねこれは。極楽とは、浄土教の理想とする仏の国で、全てが満足のいく安楽の世界です。その極楽がこんなところにあったとは。極楽だからなのかどうかはわかりませんが、極楽交差点には宗教施設も見受けられました。バス停ももちろん極楽です。「次は極楽、極楽です。お降りの方はブザーでお知らせください。」と車内アナウンスがあるわけです。当たり前ですけど...。極楽交差点の東にはその名も「極楽苑」という特別養護老人ホームを発見しました。電柱にも「ここは極楽」とあります。

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▲「ここは極楽」。
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▲極楽苑という名の特別養護老人ホーム。
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▲極楽の先にあるのは日進市です。

 この極楽に行くバスは地下鉄本郷駅から出ています。ですので、例えば本郷の駅とかで「明日あたり極楽に行こみゃー。」「そうだなもー。明日は一緒に極楽に行こかー。」というおばあさんたちの会話を耳にしても、決して集団自殺を計画しているというわけではありませんので、「おばあちゃん。まだそんなこと言っちゃ駄目だよ!元気出して!」などと声を掛けることの無いようにお気をつけください。

 極楽3丁目には建築協定があって、背の高い建物や賑やかなお店などは建築できないようになっています。住環境としても確かに極楽かもしれません。ちなみにこの「極楽」という地名の由来ですが諸説ありまして、そのひとつに、1584(天正12)年の長久手の戦いの際、負傷した兵たちがこのあたりに逃げ込み、安息を得たことから「ここは極楽だ」と言ったことに由来するという説があります。なるほど。そういうことならわかります。それは本当に極楽だと感じられたことでしょう。

 しかしここで話は終わりません。この極楽に対して地獄とも言える場所が実はあるのです。この極楽は、長久手から見て南西に当たります。長久手の戦いで南西に逃げたものには極楽があったわけですが、地獄を見たのが反対の北東へ逃げた兵たちです。北東へ逃げた負傷兵は、かくまってもらえるように村人にお願いをしました。4月だったので、村人たちはちょうど鯉のぼりを立てる準備をしていました。ところがです。そこの村人たちは負傷兵をかくまうことで自分たちの身に危険が及ぶのを恐れ、その手に持っていた鯉のぼり用の棒で、負傷兵たち全員を殴り殺してしまうのです。まさに地獄です。その後、その村では鯉のぼりを立てるとその家の子どもが謎の死を遂げるようになってしまいました。負傷兵たちの呪いです...。

 今でもその瀬戸市のとある町では、鯉のぼりが空を泳ぐことはありません。


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