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8「辻」
夫婦一緒に人生を歩む
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s 2004.4月 取材

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画像日本の女優第一号が突然引退辻栄橋
画像仲良い夫婦を見守るお地蔵さん夫婦橋・辻地蔵
画像ここからお城への水を取水した黒川樋門
画像まずは村の名前から火を消そう 羊神社

画像日本の女優第一号が突然引退 −辻栄橋
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 旧名鉄上飯田駅の南側にある交差点から西に歩いて御用水跡街園へ戻ります。すると辻栄橋に出ます。見た目には普通の橋ですが、ここに6つ目の恋の話が残されています。明治から大正にかけて、一座を連れて全国をまわっていた川上貞奴という女性がいました。彼女は大変人気があり、全国どこへ行っても彼女を目的に大勢の客が押し寄せました。巡業先は国内に留まらず、アメリカでも上演。帰国後はシェークスピア劇にも力を入れました。
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▲辻栄橋です。特に変わった彫刻などはありません。

 また、帝国女優養成所(のちの帝劇養成所)を設立し、後輩女優を育てることにも尽力しました。もともと、一座を取り仕切っていたのは夫の川上音二郎だったのですが、彼は1911(M44)年に亡くなってしまいます。その後は貞奴が一座をとりまとめていました。
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 1918(T7)年、貞奴は47歳となっていましたが人気は衰えず、今日も鏡台の前で舞台用の化粧をしていました。するとそこに、「ビョウキ スグキテホシイ」という電報が届きました。それは15歳の時に出会った初恋の人・福沢桃介からのものでした。貞奴はその電報を見た瞬間、何もかもを捨て名古屋へと走ったのでした。そして二人は名古屋に新居を構え、ここ辻栄橋の近くに川上絹布株式会社を設立しました。
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 今でも貞奴は「日本の女優第1号」と呼ばれる存在なのですが、元々女優という仕事が好きだったわけではなく、この時初めて幸せを掴んだと言われています。しかし、その後も仕事の傍ら川上児童楽劇団を立ち上げ公演を続けました。福沢桃介は名古屋での事業が軌道に乗り始めたとき、人生を一緒に歩むのは貞(貞奴の本名)しかいないと思い、その「ビョウキ スグキテホシイ」という電報を打っています。つまり「ビョウキ」というのは恋の病だったわけです。
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▲綺麗な花が咲き乱れます。画像 ▲街園の案内図です。埋め立てられる直前はゴミだらけだったそうです。

画像仲良い夫婦を見守るお地蔵さん −夫婦橋・辻地蔵
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 川沿いを上流に歩いていくと、先ほどの御成通をぶつかります。その橋の名は夫婦橋です。ここは街園散策路の起点になっていて、大きさの違うタルに水が流れるオブジェなどがあります。この夫婦橋に7つ目の恋の話があります。それは大正時代のお話です。楠で農業を営んでいた利兵衛は、妻の志乃と二人で毎朝大曽根に野菜を売りに行きました。
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 大八車には積めるだけ野菜を積み、それはものすごい重さでした。庄内川、矢田川の向こうにあった楠村から、二人でその大八車を押します。まずは庄内川の水分橋を越えます。水分橋は上り坂になっていて、二人の肩にずっしりと野菜の重さが圧し掛かります。しかし、本当につらいのは矢田川にかかる次の三階橋でした。利兵衛は妻に声を掛け、力を合わせて坂道を上ります。三階橋を越えると道は下り坂になり、ほっと一息をつきます。そこに架かっているのが夫婦橋です。
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▲タルの噴水、だそうです。音が心地よいです。画像 ▲こちらが夫婦橋。現在も坂は健在。

 橋の袂には辻地蔵というお地蔵さまがおり、ふたりは大八車をお地蔵さんの前に止めるとお地蔵さまに手を合わせました。そして大曽根で野菜が売れた帰り道も、空になった大八車をここに止め、お地蔵様に手を合わせたのでした。二人はずっと仲良く一緒に大八車を押してこの橋を渡ったのでした。夫婦が二人で力を合わせれば、どんな坂道でも乗り越えられるというお話でした。あやかりたい…。この日もお地蔵さまには綺麗なお花が供えられていました。
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▲夫婦橋のお地蔵さま。お地蔵さまも二人揃って。

画像ここからお城への水を取水した −黒川樋門
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 そして、夫婦橋の上流には黒川樋門があります。これは明治時代の初期に作られたもので、矢田川の川底にトンネルを掘り、そこから庄内川の水を取水していました。その水量を調整していたのがこの水門です。現在はその後ろにある三階橋ポンプ所で取水を行っているので、この水門は形だけのものとなっています。名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されています。かつてここには黒川開削時に池が造成されました。そこからは庄内用水、志賀用水、黒川(現在の堀川)、御用水、上飯田用水に水が注がれていました。その池は「天然プール」と呼ばれ、夏場は界隈の子どもたちが水遊びや魚釣りにやってきたそうです。そしてその全ての注ぎ口にはこういった水門が設けられていました。1977(S52)年にポンプ所が建設されることとなりこの池は無くなってしまったのですが、この黒川樋門だけが当時のまま残されていると言うわけです。
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▲黒川樋門です。形だけ残されています。画像 ▲現在はその後ろにあるポンプ所が役目を果たしています。

画像まずは村の名前から火を消そう −羊神社
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 では堀川を後にします。夫婦橋の一つ北にある信号から西へと歩きます。このあたりはかつて辻村だった地域で、現在も辻町、辻本通といった地名が残されています。少し歩くと左側に修繕寺と羊神社があります。羊神社の創建は不明ですが、平安時代の「延喜式神名帳」に記されていて、既にこの地にあったようです。それよりも前、群馬県の多胡郡の領主「羊太夫」が、奈良の都に向かう時に立ち寄っていた屋敷がここにあり、この土地の人々が平穏に暮らせるようにとの願いをこめて火の神を祀り、「羊神社」と呼ばれるようになったと言われています。
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▲修繕寺です。手前の橋の欄干が小さくてカワイイですね。画像 ▲羊神社です。昔はこの辺に羊がたくさん…というわけではないのですね。

 羊神社があったことで、このあたりは火辻村という字を当てていたようなのですが、火という文字を嫌い、辻村と呼ぶようになったそうです。この羊神社の力が及んでいるのか、神社の氏子区域では火災が少なく、名古屋大空襲の際、辻村にも多くの焼夷弾が落とされましたが、ほとんど火災にはならなかったそうです。その証拠に、この神社の本殿は1613(慶長18)年に再建され、1838(天保9)年に改築されたものが今も残っています。
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 羊神社の力もあったのでしょうけど、村の名から火を消したことで火災が無くなった…。縁起を担ぐことで、村人の意識が変わったのかもしれませんね。火という文字を消したことで村人に、防火意識の火がついた…。お後がよろしい様で。
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