04.北区 名古屋を歩こう

七夕に逢えなかった二人

記事公開日:2004年5月5日 更新日:

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県下初の商店街組合は日本初を狙ったが...-柳原通商店街

 名鉄瀬戸線清水駅から東の名城公園方向へと歩きましょう。名鉄瀬戸線の高架の下をずっと歩いていき、高架を逸れて真っ直ぐ行くと柳原通商店街に出ます。商店街とはいえ車道の幅が広いので、道路の両側の歩道にのみアーケードが設置してあります。惣菜をその場で作りながら売っているおばあちゃんのお店や、威勢のいい八百屋さんなど昔ながらの商店街の面影を残しています。近くに市営城北壮や公務員の合同宿舎があることからか人通りは結構ありました。魚屋さんからは潮の香り、乾物屋さんからは昔の仏壇のような、おばあちゃん家の香りが漂ってきました。ちなみにこの商店街、商店街振興組合設立の県内第1号なのだそうです。商店街振興制度の実施に合わせて、全国第1号を狙っていたとのこと。しかし結果は2位でした...。残念、名古屋の日本初ならず。

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▲柳原通商店街です。懐かしい香りが漂います。

名古屋城鬼門の守護神-深島神社

 かつてこのあたりは大河の両岸に柳が多く茂った野原で、名古屋城が築城される前は、沼や沢のある大地に柳が多く茂っていたことから柳原と名づけられたそうです。そんな商店街を見守るのが深島神社です。商店街の北西にあります。かつては那古野庄の三弁天のひとつとして信仰が厚かったそうで、名古屋城の鬼門の守護神としても崇敬され、2000坪の敷地がありました。しかし1885(明治18)年に村社となるものの敷地は10分の1ほどになってしまいます。そして戦争で燃えてしまい現在あるのは1952(S27)年に再建された本殿です。この日はお昼寝をしていた猫の邪魔をしてしまったようです。本当に名古屋ではよく猫に出会います。

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▲かつては2000坪の敷地を誇った深島神社です。
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▲起こしてしまってゴメンね。

三井の製糸所の建物はそのまま-東急鯱バス・金城橋

 商店街の筋に戻り、さらに北へ歩くと丸栄の柳原集配センターがあります。デパートの配送センターは丸栄だけでなく三越も北区に構えています。そしてその丸栄の横にあるのが東急鯱バスの本社なのですが、煉瓦造りの古い建物に目が止まりました。これは東急鯱バスの寮なのですが、かつては三井の製糸所でした。リフォームされてはいるようですが、建物の形は当時のままでかつてこのあたりで繊維産業が盛んだったことを証明するものです。そしてその西側に架かるのが金城橋です。金城とは名古屋城の別名で、堀川の向こう側は金城という地名になっています。金城橋と言うからには金箔でも塗ってあるかと思ったのですが、いたって普通の橋でした。

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▲丸栄の配送センターです。うーん、時代を感じます。
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▲さらに時代を感じる、元三井製糸所の建物。
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▲金城橋。金色に光り輝いては...いませんね。

メロディー噴水で遊んでみよう-下水道科学館

 では、その橋を渡らずに西にある名城公園へと向かいます。途中左手に公務員宿舎があるのですが、ここから県庁・市役所界隈には自転車で行けばすぐです。うらやましいですね。すると城北橋のところに名城下水処理事務所があります。ここには下水道科学館という展示館があります。館内だけでなく周囲にも下水道に関するオブジェがあり、鍵盤に見立てたボタンを押すと水がボールを噴き上げ音が鳴るというメロディー噴水や、下水管から水が吹き出る様子をテーマにしたかのような噴水が目を楽しませてくれます。実際横では処理を行っているのですが、匂いが漂うことはありませんでした。

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▲公務員宿舎です。通勤に便利でいいなぁ。
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▲下水道科学館前のメロディー噴水です。押すと音が出て噴き上がります。
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▲こちらの噴水。上の水が噴き出る部分が下水管っぽいですよね。

戦争を乗り越えた二人が散歩した-名城公園

 そこを南へ歩くとすぐに名城公園があります。名城公園の交差点から公園に入るとフラワープラザがあります。ここでは花に関する展示会や講習会を開催しています。また、植物の育て方について相談に乗ってくれるコーナーもあります。朝9時から午後4時半まで開いています。そして入口に不思議な案内看板を発見しました。かなり古そうな看板なのですが、真っ直ぐ行くと芝生広場、右へ行くと野球場、そして左には「噴水予定地」と書いてあります。どうみてもかなり前に建てられたものです。実際左に歩いていくと噴水は既にありました。どうして「予定地」などという文字を入れてしまったのでしょうか。それに完成したなら隠せばいいのに。いや、ひょっとするとものすごい噴水を作る計画があるのかも、地上100mに水が噴き上げるとか...。

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▲噴水予定地...。なぜそんな表記をしたのか、そしてなぜ直さないのか。
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▲プラワープラザです。無料相談ですよ、無料。

 そして芝生広場に行くと、花が一面に敷き詰められなんと風車が回っています。まるでオランダのよう...と思っていると、視界に黒っぽい色の塊が入ってきました。まさか...。そうです。やはり名古屋の公園に彫刻は欠かせません。娘の像や、片手に方位磁針を模ったものを持って、東を指差している男の像がありました。東に一体何があるというのでしょう。「いつか首都を奪いとるぞ、東京」と勝手に名づけておきました。

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▲風車もありオランダのような景色が広がります。
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▲「見てろよ、東京」

 この名城公園に一つ目の恋の話があります。名城公園は戦時中、旧陸軍の錬兵場だったところで、上等兵の号令にあわせて兵隊たちはここから守山区の小幡ヶ原の演習場へと行進していきました。途中にある御成通は兵隊通とも呼ばれていました。この行進、陸軍の兵隊は皆嫌がっていたのですが、信吾という青年はその行進が楽しくてたまらなかったのだそうです。それは、途中の大曽根にある煙草屋さんの娘がとても可愛かったからです。信吾は訓練が休みの日に大曽根に出かけ、その弥生という娘と仲良くなったのでした。戦争が終わったら結婚する約束をし、信吾は中国の戦地へと赴いたのでした。今はそんな面影はありませんが、市役所のところには陸軍病院があり、お城も空襲で焼け、このあたりも終戦時には焼け野原だったそうです。ちなみに信吾さんと弥生さんは戦後、当時のことを思い出しながら、平和になった名城公園によく散歩に出かけたそうです。

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▲佐藤忠良さん作の「娘の像」です。
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▲この噴水は池の中にあるので、先ほどの看板方向とは違います。

七夕に逢えなかった二人-多奈波太神社

 では、名城公園を後にして、もうひとつの恋の話がある多奈波太神社へと向かいます。今歩いてきた道を戻り、城北橋を越えたところで右に曲がる左手に鳥居が見えてきます。「尾張志」にも「田幡村にあり、今七夕の森と称して、旧暦7月7日の例祭には、灯をかかげて緒人参詣す」とあり、その昔からの祭礼は今も続いています。戦時中一度焼失していますが、1964(S39)年に復興再建されています。七夕にまつわる神社といえば、西区「小田井編」で星神社を紹介しましたが、これらふたつの神社を結ぶ伝説があります。

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▲多奈波太神社です。田幡村の語源でもあります。
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▲この日は陽気がよく、敷地内でゴロンと寝転がっている人がいました。
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▲堀川は穏やかに流れます。流されたのは庄内川です。

 昔、小田井村の星神社の近くに若者が住んでいました。若者は田幡村の娘と七夕の夜に出会い、その後も度々会うようになりました。そして翌年の七夕の日も、会う約束をしていました。しかし村は大雨による洪水でとても行ける状況ではありませんでした。約束は守らなければ、娘は待っている、と若者は必死で濁流の庄内川を泳いで、娘の待つ田幡村に行こうとしました。しかし水かさは増すばかり、とうとう若者は川の水に飲み込まれてしまいました。娘は約束を破られてしまったと思ったのですが、そんな天気のこともあって来られなかったのだと思い、毎日この多奈波太神社で若者を待っていました。

 しかし、娘の耳に入ってきたのは枇杷島に若い男の水死体が上がったという話でした。娘はその話を聞くと、そのまま庄内川に身を投げたのでした。田幡村の人達だけは、牽牛星は小田井村の若者、織女星は田幡村の娘なのだと思っていたそうです。一途の恋もすばらしいですけど、やっぱり無茶はいけませんね。男も引くべき時は引かなければならないと、小田井村の若者に時を越えて教えられた気がしました。


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