05.東区 名古屋を歩こう

江戸・明治の景観が当時のまま

記事公開日:2004年5月28日

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高速道路もよけるクスノキ-空港線のクスノキ

 洋菓子のボンボンがあった東片端の交差点からさらに空港線を北に行くと、道路に大きなクスノキが立っています。片側3車線の道路は、木の左に1車線、右側に2車線と木を迂回しています。さらに上を走る高速道路もこの木をよけて建設されています。木を切ろうとしたら作業員が死んだ、といった都市伝説もありますが実態としては、これほどまでに育っている木を切るのは景観上もったいないということから残されているとのこと。しかし、木に巻かれている注連縄を見るとやはり何かがあるのかと思えてしまいます。

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▲道路の真ん中に突如現れるクスノキ。
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▲よく見ると高速道路もこの木を除けています。

明治の長屋でイタリアン-橦木町・アンティキ

 主税町・橦木町といった界隈になります。藩政時代の名古屋城下は、西に商家、南に碁盤の目の町割、そして東には武家屋敷が集まっていました。このあたりには、江戸時代当時の屋敷景観や地割が残っています。さらに、明治維新で武家がいなくなると起業家の屋敷町となりました。そのため、今も武家屋敷、洋館、そして長屋が混在し建物の博物館状態となっています。

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▲武家屋敷の雰囲気を残す街並み。

 そのクスノキの西側に広がるのが橦木町です。ここには明治時代の長屋が多く残されています。中に築100年の民家を改装したイタリアンレストラン「アンティキ」があります。旬の素材を生かしたイタリア料理を、明治時代を再現した空間で食べることができます。再現といっても建物自体は実際に古いので本物です。

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▲アンティキ。店内はオシャレな大正ロマンです。

建物自体が資料です-名古屋市市政資料館

 周囲の長屋には「あかね印房」といった印鑑屋さんや、「辯護士」という旧字の残る事務所がある法務ビルがあります。それはなぜか。かつてここには名古屋控訴院地方裁判所があったのです。現在もその建物は残されており、名古屋市市政資料館となっています。建物は赤い煉瓦と白い花崗岩の組み合わせが鮮やかなネオ・バロック様式で1922(T11)年のままとなっています。周囲に当時の面影が残っているのは、1979(S54)年まで現役だったためです。現在では国の重要文化財に指定されています。鮮やかさは今も失われること無く、大正ロマンを体感できます。

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▲あかね印房。裁判で印鑑は欠かせない!?
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▲名古屋市市政資料館。かつて裁判所だったその建物は大正そのもの。
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▲未だに周囲には法務事務所が多くあります。

明治・大正の高級住宅街がそのまま-主税町・旧豊田佐助邸

 そして空港線の東側にも歴史的建造物があります。まずは名古屋最古の教会堂で、都市景観重要建築物となっている主税町カトリック教会。こちらは1909(M42)年の創設で、1912(T元)年以来この教会が中部各県のカトリック布教の中心となっています。大正末期までは名古屋唯一のカトリック教会でした。

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▲主税町カトリック教会は、今も中部の中心。

 この主税町には明治から大正にかけて起業家、多くの貿易商、財界人が移り住み閑静な住宅街となりました。橦木館は、名古屋で陶磁器輸出業・井元産業を興した井元家の屋敷です。洋館の1階がギャラリー・喫茶として使われたこともありました。

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▲橦木館。喫茶店だった頃の看板の跡が残ります。

 他にも1923(T12)年に和館が建てられたと言われているトヨタ自動車創業者・豊田佐吉の弟佐助邸。洋館部分はそれよりも古いと言われています。洋館は白いタイル貼りになっていて、今見てもとてもモダンです。現在の所有者はトヨタの関連会社アイシン精機ですが、名古屋市が無償で借り受けイベントなどに使っています。

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▲豊田佐助邸。正面は洋館。左側が和館です。

都市住宅の元祖-春田鉄次郎邸・春田文化住宅

 そして佐助邸のすぐ左隣にあるのが、レストランになっている春田鉄次郎邸です。こちらは1924(T13)年に武田五一の設計によって建てられたと言われています。そしてそのすぐ横には都市住宅の元祖とも言える春田文化住宅があります。ここには立入禁止看板がありました。

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▲春田鉄次郎邸はレストランになっています。
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▲立ち入り禁止の春田文化住宅。

 都心からこれ程近くに生きた博物館とも言える地区があるのに、なぜ観光の目玉とされていないのか、そして歩いていて面白そうな建物があっても、それぞれの建物に全く案内看板が無いだけでなく「一切の立ち入りを禁ず」といった拒絶を示す標識が立ち、さらには「長屋を壊さないで!キチンと説明してください」という切ない張り紙を見る始末。新しいものを作るだけが観光資源ではないはず。昔の建物自体には感動しましたが、ここは名古屋が観光地になり得ないことを象徴しているような場所でした。
住民の方が書いて貼ったと思われる張り紙にこうありました。

文化のみち構想でどうなる-長屋

「百年の世の中見てこしこの長屋、今日を限りの命ものがな」

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▲ランプも当時の雰囲気を再現しています。
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▲こういった庶民の長屋も残っていますが...。
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▲どういう事情か、取り壊されるようです。

 名古屋市の「文化のみち構想」では、名古屋城から徳川園にかけてのこの地区を整備する計画があるといいます。2004(H16)年度末には、1920(T9)年に当時の住宅専門会社「あめりか屋」の設計施工によって建てられた、日本の女優第一号川上貞奴邸が復元される予定になっています。この界隈の拠点施設として休憩施設・川上貞奴についての資料展示施設になるということなので、市もここの観光地化にようやく重い腰を上げたというところでしょうか。
しかし、著名人の建物だから復興する。庶民の長屋は邪魔だから潰す。これでいいのでしょうか。文化というのは金持ちのものだけなのでしょうか。

※「文化のみち二葉館」(旧川上貞奴邸)は2005(H17)年2月8日開館。


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