06.千種区 名古屋を歩こう

別れても好きな人と再び...

記事公開日:2004年7月6日

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昭和5年のタンクはいざという時10万人を救う-東山配水場

 振甫町から東に歩くと県道30号線に出ます。道路の両側には東山配水場があります。道路のこの地点は北の谷口方面を見ると下り、南の末盛通方面を見ても下りとなる頂点です。東山配水場にある配水塔は1930(S5)年、このあたりの高台に給水するための配水塔として建設されました。1979(S54)年にはその役目を終え、現在は非常時の飲料水タンクとなっています。その量は約10万人が1日過ごせる量となっています。その後1985(S60)年には、東山配水塔が厚生省(当時)の近代水道記念企画「近代水道百選」に選定されています。坂の頂上には道路の両側にある配水場を結ぶ通路があるのですが、歩道橋として一般開放されています。そして配水池の上も公園として開放されています。しかし、やたらと張り紙がしてあり、不潔な行為があればすぐに閉鎖すると書いてあります。どうやら長い間閉鎖していたものを、2004(H16)年の4月に再度開放した様子です。水道施設なので清潔さは絶対です。普通の公園と違ってここは犬の散歩が厳禁となっています。いざという時に、口にする水が貯められているわけですから当たり前ですね。ちなみに配水塔は年に2回一般公開されます。

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▲今では非常用の水を蓄える東山配水塔。
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▲この下に水が貯められています。
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▲南を望むと急な下り坂。北側も同様です。

日本では稀な一大石造塔-日泰寺霊堂・奉安堂・西蓮寺

 通りを南に下っていくと、左手に日泰寺霊堂と奉安塔があります。残念ながらこの日は奉安塔は公開されておらず見ることはできませんでした。奉安塔は、日本や中国の仏塔の祖形と考えられるガンダーラ式で、高さは15メートル、全国でもまれな一大石造塔だそうです。姫ヶ池通1丁目の交差点を左に曲がると、左手には日泰寺の墓地が広がります。そして右手にはたくさんのお寺が並びます。並んでいると言ってもここは勾配が激しく、見てまわるには何度も坂を登ったり降りたりしなければなりませんし、途中までは車が通れる幅の道路が、何の予告も無しにいきなり階段になっていたりしますので面白いところです。その最も手前にあるのが西蓮寺です。ここは難なく見つけられます。そして少し奥に入ると急に緑が深くなります。

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▲日泰寺霊堂です。中はお墓のマンションです。
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▲この奥に奉安塔があります。
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▲西蓮寺は手前にあるのですぐ見つかります。

名古屋城建設工事の犠牲者が眠る-台観寺・尋盛寺・大龍寺

 階段を登りきったところにあるのが台観寺、そしてその台観寺から少し左に行ったところにある道路を進むとこのときは大規模な工事をしていた尋盛寺と、大龍寺があります。大龍寺は三代藩主綱誠の命により1725(享保10)年に新出来町に建立されたお寺で、1912(M45)年に現在地に移転しています。五百羅漢堂は、名古屋築城の際の犠牲者を供養するため1780(安永9)年に作られたものです。やはり当時あれだけのお城を作るには、犠牲者もやむなしだったわけですね。

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▲台観寺までは坂のふもとにあります。
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▲坂を登った所にある尋盛寺。工事中でした。
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▲大龍寺には、名古屋城建設工事の犠牲者が眠ります。

道路がいきなり階段に-善篤寺・正法寺

 坂を登りきって下りに差し掛かると急に階段になります。一度階段を下り、もうひとつ南にある階段を登ると善篤寺、正法寺があります。正法寺には特別尼僧堂・愛知専門尼僧堂が設置されています。それにしても起伏が激しくさらには道路も複雑で、地図を見ても思うように歩けません。行き止まりという案内看板があるところもありますが、階段だけではなく、道路がいきなり人が歩ける幅くらいしかない細さになったりと、絶対に車では迷い込みたくないところです。先ほどの通りに出ると、今はもう使われていないと思われる松坂屋千種配送所や、こちらは深夜0時までオープンしている松坂屋ストアがあります。そして末盛通の交差点の少し手前を左に曲がり、坂を上ったところにあるのが城山八幡宮です。

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▲善篤寺と正法寺はすぐ横に並びます。こちらは善篤寺です。
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▲正法寺には特別尼僧堂・愛知専門尼僧堂があります。
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▲車が通れる道路の先が、こんな階段になっていたりします。

復縁の願いも叶う・縁結びの木-城山八幡宮・昭和塾堂

 城山八幡宮は、もともと現在地より300メートルほど北東にあったのですが、明治時代に村内にあった浅間社、山神社、一之御前社、白山社を合祀し1936(S11)年に現在地へと移転しています。この場所は末森城があったところで、白山社は城内にあったものです。末森城は信長の父である織田信秀が1547(天文16)年もしくはその翌年、西三河をめぐる今川・松平勢力との争いの渦中、古渡城から居住を移したお城です。信秀はこの地で亡くなったと言われており信秀の死後は、信長の弟である信行の居城となったのですが、信行が信長に清洲城にて忙殺されると、末森城は廃城となりました。

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▲こんな街中で「警笛鳴らせ」の標識を見るとは...。
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▲城山八幡宮です。恋の神社ということで若い参拝者もいました。
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▲千種区の女子高生も多く参拝するとのこと。

 その末森城の二の丸であったところに建っているのが昭和塾堂です。これは1928(S3)年に愛知県が青年の訓育施設として建設したもので、戦時中は東海軍司令部として使用されました。内部には300人収容の講堂・教室といった設備があります。末森城址が城山八幡宮に払い下げになったのと同じくこの塾堂も県から八幡宮に移管されており、現在は愛知学院大学の大学院として使用されています。

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▲本殿にお参りをしたら、縁結びの神木に歩きましょう。
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▲昭和塾堂です。現在は愛知学院大学の大学院です。
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▲昭和塾堂には大きな塔があります。

 ところで、この城山八幡宮は清明山の晴明神社、今池の高牟神社とともに千種区恋の三社めぐりのひとつとなっていて、その問い合わせ先にもなっています。城山八幡宮は縁結びの神様として知られており、それを象徴する神木があります。本殿から少し左奥に入った参道に、連理木と呼ばれるアベマキの木があり、たくさんの縁結び絵馬が奉納されています。連理木とは2本の枝がひとつの木のように絡み合ったものを言います。連理木は夫婦・男女の仲の親密さを表していて縁結びの御神木として信仰されているのですが、ここの連理木は地上3メートルのところで二幹に分かれたものが、6メートルのところで再びくっついているという珍しいものです。

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▲本殿から左奥に歩くと、連理木への案内看板があります。
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▲縁結びを願う絵馬がいっぱい。
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▲この木が、分かれてもまたくっついている連理木です。

  一度挑戦するもダメだった恋、または一度は別れてしまったけれど、それでもやっぱり一緒になりたい、ここで願えばそんな恋も叶うかもしれないという、力強い縁結びの神様です。


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