08.熱田区 名古屋を歩こう

夢の跡地

記事公開日:2004年9月14日

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尾張の豪族・尾張氏の古墳-熱田神宮公園

 伏見通を地下鉄神宮西駅から北に歩き、熱田西町に向かいます。この界隈には6世紀に作られた断夫山古墳がある熱田神宮公園、15年前に大きなイベントが開かれた白鳥公園と、堀川の両側に大きなふたつの公園があります。かつてのこのあたりの様子を想像しながら歩くことにします。

 伏見通を北上し、最初の歩道橋があるあたりでうなぎの香りが漂ってきました。確か蓬莱軒は神宮の南のはず...と思って近づくと、うなぎの大和田というお店でした。この日は36℃の猛暑、しかも少し前に熱田神宮できしめんを食べたのですが、それでもうなぎの香りは食欲をそそります。ここをまっすぐ歩くと熱田教会、ホテル熱田の杜深翠苑を経てJR熱田駅に出ます。このホテルは熱田駅前で神宮にも程近いことから参拝のために宿泊するのに便利です。ビジネスホテルですが80年の歴史を持ち、和室も用意されています。 

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▲どんなに蒸し暑くてもうなぎの香りは食欲を誘います...。
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▲中央の白い建物が熱田教会。ホテル熱田の杜深翠苑はこの先。

 さて、その伏見通の歩道橋を西に渡り、少し歩くと左手に熱田神宮公園が見えてきます。公園といっても伏見通側は古墳が残されているので、神宮と同じように森に見えます。駐車場もありますが、平日は大抵休憩中の営業車で満車になってしまっています。この古墳は東海地方最大の前方後円墳で、全長は151メートル。前方部の幅は116メートルで高さは16.2メートル。そして後円部の直径は80メートルで高さは13メートルという巨大なもので、1987(S62)年に国の史跡に指定されています。古くから日本武尊の妃である宮簀媛命の墓だといわれていたのですが、現在では6世紀初頭の築造で尾張氏の首長の墓と考えられています。これだけの古墳を残しているのですから、当時の尾張氏は強大な力を持っていたのでしょう。

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▲駐車場が無料なので、平日は特に営業車で満車。
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▲古墳横から駐車場を望みます。
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▲古墳は木々が覆い全景はよくわかりません。

幕末生まれ・名古屋弁の新興宗教-青大悲寺

 他に熱田神宮公園には高校野球愛知大会の舞台となる熱田球場、球技場、テニスコートがあります。球技場では熱い高校生たちが炎天下ラグビーの練習をしていました。それを見守る一途な女子高生、といった姿は残念ながら見られませんでした。この公園のすぐ北側には寿琳寺、青大悲寺があります。青大悲寺は、1756(宝暦6)年にこの地で生まれた「きの」という女性が1802(享和2)年に開いたのが始まりです。室町時代に鋳造されたいわれる鋳鉄地蔵菩薩立像は愛知県の指定文化財で、それは等身大という大きなもので「鉄地蔵」と呼ばれています。きのはこの青大悲寺を如来教の本山として開き独自の説法を行いました。経典はその説法を速記録した「御経様」で、全て名古屋弁で語られている特異なものとなっています。つまり、幕末に開かれた名古屋弁の新興宗教です。「たわけたことをやっとってはいかん」といった感じでしょうか...。

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▲熱田球場では毎年甲子園を目指す熱い戦いが。熱い戦い略して「あつた」。
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▲寿琳寺は断夫山古墳のすぐ北隣り。
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▲名古屋弁経典の青大悲寺。

材木が浮かぶそのわけは-熱田記念橋・旧貯木場

 熱田神宮公園から白い大きな吊橋である熱田記念橋を渡って堀川の西側へ歩きます。橋から堀川を眺めるとたくさんの材木が浮かべられています。堀川は名古屋城築城にあたって1610(慶長15)年に開削されました。当時はこの熱田が堀川の河口で、ここには材料場や船置場として大池が掘られました。その後ここは貯木場となり長野の木曽からたくさんの木が伊勢湾を経由して運ばれてきたのでした。しかし、今堀川沿いにある製材所や木材店はその名残に過ぎず、貯木場はすでに埋め立てられ移転しています。

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▲熱田記念橋を渡ると、いきなりオブジェがお出迎え。
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▲今でも製材業者が材木を堀川に浮かしています。
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▲風の環は最近作られました。オブジェはまだまだ増える模様。

 熱田から南が埋め立てられても貯木場はずっとここにあったのですが、1959(S34)年の伊勢湾台風の際に堀川は氾濫し、ここからたくさんの材木が流出して大きな被害を出してしまいました。そのため貯木場の移転が検討され1968(S43)年に西部木材港が完成、そして白鳥貯木場の歴史は幕を降ろしました。熱田記念橋を渡ると白鳥公園があり、その南端にはここが貯木場であったことを示す「名古屋営林局熱田木材販売所・白鳥御材木場・御船蔵跡」という碑が建っているのですが、マンション建設予定敷地内にあり見ることはできません。マンション建設とともに取り壊されてしまいそうです。貯木場だった大池はのちに名古屋市が土地を買い上げ埋め立てを行いました。そしてその埋め立てられた広大な敷地で開催されたのが、名古屋市の街並みを大きく変えたあのイベントでした。

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▲白鳥御材木場・御船蔵跡はマンション建設とともに消えてしまうのかな。
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▲かつての貯木場には次々とマンションが建てられています。
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▲ここには名古屋学院大学が瀬戸市から移転予定。

デザイン都市宣言の夢の跡-名古屋国際会議場

 1989(H元)年、名古屋市は市制100周年を迎えました。1985(S60)年、名古屋市は世界インダストリアル・デザイン会議の誘致に成功し、1989(H元)年10月に世界デザイン会議(ICSID'89NAGOYA)が開かれることとなりました。当時はバブル景気まっただなか、全国各地で地方博覧会を開くことがブームになっていました。そこで名古屋市も、デザイン会議をするからには街全体にデザインを、そしてデザインに関するプレイベントをということで世界デザイン博覧会を開催することとなりました。そしてそのメイン会場としてこの白鳥公園が選ばれたのです。

 名古屋で国際会議が多く行われるきっかけとなった名古屋国際会議場(白鳥センチュリープラザ)をメインテーマ館として、この貯木場跡の白鳥会場と名古屋城会場、名古屋港会場の3会場で開催されました。この時名古屋市は「デザイン宣言」を行い、それ以来名古屋市内に至る所に彫刻やオブジェが置かれ、芸術の香り漂う街を目指すことになったのです。それが良かったのかどうかは微妙ですが、いろいろな意味でネタになる街になったことは間違いありません。

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▲名古屋市国際会議場。「転職フェアは名大社」と思わず口走りたくなる。
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▲突き刺さりそうな銀の柱状オブジェ。
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▲デザイン博期間中は人が溢れた噴水広場。

 この世界デザイン博、一応「成功」ということになっているのですが、その後、市による赤字隠しがあったのではないかという裁判になりましたが「資料を燃やしてしまったのでわからない」という答弁が出るなど実態がよくわかりません。この経験は愛・地球博にも生かされることでしょう。

 白鳥公園には、そのデザイン都市の原点となったさまざまなオブジェが残されています。長さ60メートルの巨大なタイル絵「夢丸」は35分の1にスケールダウンされ、国際会議場の前にはデザイン博のパビリオン「創造工房東海銀行館」に出展されていた「幻のスフォルツァ騎馬像」が「寄贈 株式会社東海銀行」という今では幻となった銀行の名を入れられたまま飾られ、デザイン博のシンボルだった「創造の柱」は古代全ての元となっていると思われた木・火・土・金属・水をイメージしたものですが、周囲の樹木の方が高くなり存在感を失っています。他にも鋭角で斜めに建っている銀の柱や、つい最近建てられた「風の環」というモニュメントなどとにかくオブジェだらけ。

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▲「夢丸」巨大だったからこそ価値があったのでは?
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▲幻のスフォルツァ騎馬像は、寄贈した銀行が幻に。
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▲創造の柱は自然回帰中?

 15年前、中学生だった私は遠足でここにやってきました。デザイン博の面影を見れば当時の気持ちを思い出すかなとも思ったのですが、草木が覆い繁り、夢の跡の廃墟といった印象で寂しくなってしまいました。いえいえ違うのです。2005(H17)年の「愛・地球博」のテーマのようにこれからは自然との調和が大切なのです。木々や草が覆い、次第に人工的なオブジェが埋もれて、自然にそして土に帰って行くのが正しい姿なのです。

 ということでいいのかな。


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