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11「伝馬」
どこのどどいつだ
空白
s 2004.7-8月 取材

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画像自ら戻ってきたお地蔵さんほうろく地蔵・東海道道標
画像ほんの少し遊郭の名残東海道
画像名古屋出身の役者第一号 中村宗十郎出生地
画像幼少の家康が幽閉された鈴之御前社
画像戦死した息子を思う母が形にしたもの姥堂・裁断橋
画像では都々逸をひとつ歌ってみます 一里塚・神明社・正覚寺

画像自ら戻ってきたお地蔵さん −ほうろく地蔵・東海道道標
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 では宮の渡し公園から旧東海道の陸路をたどります。景清社のあった斜めの道を戻り国道に出ると長い歩道橋があるので東に渡ります。渡って少し北に歩くと、先ほどの斜めの道に続いているかのような細い斜めの道があります。すると右にほうろく地蔵、左に旧東海道の道標があります。
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▲歩道橋からはあつた蓬莱軒が一望。まずここで混み具合をチェック?画像 ▲国道247号は新内田橋で新堀川を越えます。片側2車線に半減。画像 ▲不思議な経緯のほうろく地蔵。

 道標には東面に「北 さやつしま 同みのち 道」西面に「東 江戸かいとう 北 なこやきそ道」北面には「南 京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社弐丁 道」、そして南面には「寛政ニ庚戍年」と彫られています。ここは旧東海道と美濃路、佐屋街道の分岐点で、この道標は1790(寛政2)年に建てられたものです。ここがいかに交通の要衝であったかを今も物語ります。
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 そしてこのほうろく地蔵は不思議な由来を持つ地蔵です。この石地蔵は三河の国の重原村(現在の知立市)にあったのですが、野原の中に倒れていました。すると三河の焙烙(素焼きの平たい土鍋)売りが荷物の片方の重しとしてこの地蔵を運んできました。そしてこの地で焙烙が売り切れたのでこの地蔵は海岸に捨てて帰りました。しばらくして地元の人が捨てられている地蔵を発見し、祀ろうと動かそうとしたのですが動きません。すると、なんとその下の土の中からこの地蔵の台座が出てきたのです。そしてその台座とともにここに祀られるようになりました。ひょっとするとこのお地蔵さんはもともと熱田にいて、台座を残し三河へと流されたのかもしれません。そして人の手を借りてここへ戻ってきたのかも。
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▲ここで旧東海道は折れるので、当時は大切な道しるべでした。画像 ▲旧東海道の道標です。白鳥にあったものとほぼ同じ地名が彫ってあります。画像 ▲旧東海道にはポツンとファッションヘルスが1軒。

画像ほんの少し遊郭の名残 −東海道
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 旧東海道は道標を右に曲がります。すると古い街並みに忽然とファッションヘルスが現れます。かつて熱田にも遊郭があったことからその名残といえるものです。ちなみにこのヘルスは今池、名古屋駅、日比野、そしてこの神宮店と4店舗を構えていまが、この神宮店のみコスチューム着たままプレイが楽しめるとのことで、他店との差別化を図っています。
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画像名古屋出身の役者第一号 −中村宗十郎出生地
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 旧東海道から一本南には寶相院、もう一本南には笹社、中村宗十郎の出生地があります。中村宗十郎、本名藤井重兵衛は1835(天保6)年にここで風呂屋啓助の子として生まれました。17歳になると旅役者嵐亀太郎に入門し、名古屋で芝居に出演していました。その後大阪で二代目中村翫雀の弟子となり、1865(慶應元)年に中村宗十郎を名乗りました。彼は九代目市川団十郎と同じ待遇を受け、名古屋出身の役者としては空前の地位を得ました。女形、敵役、老役を得意としていたそうです。大阪に出たからこそ芽が出たということでしょうか、やはり名古屋にいたのでは才能も大成しないのかもしれません。
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▲寶相院は旧東海道から一本南の通りに。画像 ▲中村宗十郎の出生地。名古屋出身初の歌舞伎スター。

画像幼少の家康が幽閉された −鈴之御前社
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 旧東海道に戻り、伝馬町・旧東海道と書かれたアーチをくぐり大きな通りを越えると右側に鈴之御前社があります。ここは熱田神宮の境外社のひとつで、かつて熱田神宮をお参りする人々はここで身を清め、鈴のお祓いを受けてから本宮に参拝することになっていました。かつては精進川(新堀川)沿いにあったのですが、戦後ここに移されています。そしてその二本南の道路沿いには徳川家康が幼少の頃幽閉されていた建物があったのですが、空襲で焼けてしまいました。家康は竹千代と呼ばれ6歳だった1547(天文16)年、岡崎から駿河の国の今川氏へ人質に出されました。そして戸田康光によって織田信秀に送られ、その後加藤図書助に預けられここに約2年幽居していました。幽居というとひきこもることですが、家康は自分の意志でひきこもっていたわけではないので、ヒッキーではありません。
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▲旧東海道はこのアーチや最近設置されたと思われる小さな道標が目印。画像 ▲鈴之御前社で身を清めてから熱田神宮へ。画像 ▲竹千代こと徳川家康が幽居していた場所。建物は全く残っていません。

画像戦死した息子を思う母が形にしたもの −姥堂・裁断橋
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 旧東海道に戻り、鈴之御前社から東に歩くと姥堂と裁断橋があります。姥堂には「おんばこさん」が祀られ家内安全、子育ての仏として信仰を集めています。裁断橋はほんの少しだけ残されているだけですが、もとは精進川(新堀川)に堀尾金助の母がかけた橋です。金助は1590(天正18)年、小田原の陣で18歳の命を落としました。母はその菩提を弔うため、金助と別れた橋を立派にしようと架け替えを行いました。そして三十三回忌にあたって再び橋を架け替えようとしたのですが、果たせず亡くなってしまいます。そこで養子が母の遺志を次いで1622(元和8)年に裁断橋を完成させました。橋の擬宝珠には母の言葉が彫られています。その最後にはこうあります。
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「…いつかんせいしゆんと後のよの又のちまで此かきつけを見る人は念仏申給へや三十三年のくやう世。」
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▲姥堂には断裁橋と都々逸発祥の地を示す石碑があります。画像 ▲断裁橋は一部分が姥堂の前に残されています。画像 ▲断裁橋がかかっていた精進川、現在の新堀川。宮の渡しで堀川と合流。

 未来永劫、東海道を行き交う人々全てに自分の息子の死を弔って欲しい。そんな母の願いがこめられています。現在、この擬宝珠は市の指定文化財として名古屋市博物館に移されています。
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 もうひとつ、1800(寛政12)年ここに鶏飯屋という茶屋が開店しました。そこにお亀とお仲という美声の店員がおり、「ドドイツ・ドイドイ」の囃子の潮来節に似た節回しの歌で評判となったといわれています。裁断橋の奥には「都々逸発祥之地」という石碑が置かれています。都々逸とは七・七・七・五の歌です。ここでうまくひとつ歌えるといいのですが…、考えながら歩ることにします。
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▲姥堂に立つ「都々逸発祥之地」の石碑。

画像では都々逸をひとつ歌ってみます −一里塚・神明社・正覚寺
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 しばらく歩くと名鉄常滑線の高架と旧東海道は交差します。そこには一里塚がありこのあたりの名所旧跡の場所を示す看板があります。この先旧東海道は新堀川にぶつかります。旧道は熱田橋、国道1号は新熱田橋が新堀川にかかりその先は瑞穂区になります。瑞穂区は工業地帯、桃園町には全国的に有名なメーカーが立ち並びます。
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▲名鉄常滑線高架手前にある一里塚です。まずここで位置関係を把握。画像 ▲旧東海道は名鉄常滑線の高架をくぐります。画像 ▲新堀川の向こうは瑞穂区桃園町。工場がたくさん並びます。

 新熱田橋のたもとには境内に知多街道の道標がある神明社があります。神明社はかつて天道社という太陽、おてんとうさんを祀る神社でした。そして周囲には店からはみ出るほどに品数が豊富な陶器屋さんがあるな…とふと見上げると同じような建物ばかりたくさんあります。それらは専門学校です。名古屋ビジネス専門学校、あいちビジネス専門学校、名古屋工学院専門学校とちょっとした学校街になっています。これらは全て電波学園グループで、現在はこの熱田を飛び出し蒲郡市に愛知工科大学を開学するまでになりました。ちなみに、1952(S27)年の創立時は名古屋無線電信学校としてスタートしています。当初は本当に電波を扱う学園だったので電波学園なのであって、俗に言う電波系の学校という意味ではありませんのでご注意ください。
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▲国道1号新熱田橋のたもとにある伝馬神明社。画像 ▲伝馬神明社の道標です。知多郡新道という文字が読み取れます。画像 ▲電波学園の専門学校の一つです。さらにピカピカな校舎が建設中でした。

 国道1号の北側には、名鉄常滑線沿いに正覚寺があります。とにかくこのあたりは旧道と大きな国道、そして鉄道の高架が入り乱れ、道路が入り組み複雑なので大雑把な地図だとなかなか目的地にすんなり辿り着けずかなり苦労しました。散策される際は詳細な地図を持参されることをお薦めします。
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▲豊富な品揃えの陶器屋さん。閉店時しまうんですよね?毎朝陳列大変そう。画像 ▲電波学園の専門学校に取り囲まれた格好になっている正覚寺。画像 ▲国道1号伝馬町交差点です。どうして海に近くなると路面が白くなるんだろう。

 というわけで熱田区を歩きましたが、この区は本当に史跡が多く、少し歩くたびに頭の中の時代を切り替えなければなりません。古くは2世紀に創建された熱田神宮から、6世紀の古墳、鎌倉幕府の頼朝に、江戸時代の街道跡。そして戦時中の空襲跡に平成元年の世界デザイン博跡。ぜひ何日もかけてゆっくり歩いてみてください。そして面白い都々逸ができたら教えてくださいね。では、戦後の物作りの街名古屋を支える瑞穂区へと進みましょう。
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 では最後に、都々逸をひとつ歌ってみます。
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「東海道で、都々逸探し。思わずヘルス、引き込まれ。」
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 どうですかね?ダメ?そうしたら…。
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「ここで生まれし、都々逸探す。場所がわからず、どこのどどいつだ。」
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 字あまり。
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