08.熱田区 名古屋を歩こう

金山には金属の神様

記事公開日:2004年9月14日 更新日:

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江戸時代の道標・実は広告-佐屋街道起点

 名古屋の副都心金山。金山総合駅は中区の南端です。西へ歩き堀川を越えれば中川区、東へ歩き新堀川を越えれば昭和区、そして金山総合駅の南半分を占めるのが熱田区です。熱田区の北端に当たる金山総合駅から南へと歩きます。

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▲1989(H元)年にJR・名鉄・地下鉄の駅がまとめられた金山総合駅。
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▲金山総合駅から西を望むと中川区。
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▲伏見通(国道19号)を南に望むと熱田区。

 金山総合駅の南口を出て、名古屋ボストン美術館、金山南ビルに沿って右方向西へと歩きます。するとすぐに、片側3車線もある国道19号金山新橋南の交差点にぶつかります。その交差点の南西角、サークルKの前に古い道標が残されています。東西南北それぞれに書いてある文字が今でもしっかりと読めます。西面には「左なごや道、右宮海道」、東面には「右なごや・木曽海道」、そして南面には「左さや海道・つしま道」とあります。

 ここは中村区でご紹介した佐屋街道の起点です。佐屋街道とは、ここ熱田と桑名を結ぶ東海道のバイパスです。東海道五十三次のルートの中で、熱田と桑名の間だけは海上ルートとなっています。ここから2.5キロほど南に歩いたところに、熱田宮の宿から桑名へと渡る渡し場「七里の渡し」があります。しかし、当時も船酔いに絶えられない人がいました。また女性や子ども、そして悪天候で船が出せない時は多くの人がこの佐屋街道をバイパスとして利用したのです。

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▲佐屋街道の道標です。北面と西面。北面は広告です。
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▲車道側から見た南面と東面です。車には気をつけて...。
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▲左に立っているのが国道と県道の道標。時代を越えたコラボレーション。

 この道標は、北面に「文政四年巳年六月佐屋旅籠屋」という文字があり1821年に建立されたものであることがわかります。「佐屋旅籠屋」という文字からわかるのは、つまりこの道標は単なる案内ではなく、佐屋宿にある旅籠屋が「佐屋街道はこちらですよ」と建てた広告のようなものだということです。渡し舟で東海道もいいけど、バイパス佐屋街道も利用して欲しいなという願いがこめられているのです。

船上歌会にもってこい-住吉神社

 佐屋街道は中川区を通るので、道標を後にして国道19号を南下します。次の新尾頭交差点を右に曲がると堀川に住吉橋がかかり、そのたもとには住吉神社があります。1734(享保19)年、堀川を行き交う船の安全を祈って大阪の住吉大社をこの地に勧請し、当初は近くの小堂に祀っていました。その後1762(宝暦12)年、大坂廻船名古屋荷主らの手によって社殿が建設され、この地に祀られました。かつては遠く伊勢、知多、熊野の沿岸にまで威霊が及んだそうです。この住吉神社、船の神様としてだけではなく、境内の人丸天神両社をあわせて和歌三神としての崇敬がおこり、社前で和歌法楽が催されたそうです。現在は堀川を行き交う船も少なくなりましたが、観光用の屋形船が納屋橋-名古屋港間を運航しています。住吉神社でお参りをして、屋形船に乗り和歌を詠む。そんなプランはいかがでしょうか。

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▲住吉神社は船と和歌の神様。和歌って、お祈りでうまくなるものなのかな。
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▲堀川にかかる住吉橋です。この先が佐屋街道です。

鍛冶の街の神社には今も金属業者が-金山神社

 では再び新尾頭の交差点へと戻り、さらに交差点を越えて東に少し歩くと左手に金山神社があります。金山神社は金山彦命を主神として鍛冶鋳造の祖神を祀った神社です。この神社がある場所は、熱田神宮修理の鍛冶職だった尾崎氏の宅跡で、尾張鍛冶の発祥の地と言えるところです。当初は屋敷内の一角に祀られていたのですが、応永年間(1394-1427)尾崎善光の手によって神社として創建されました。現在でも金属業者の信仰を集めています。かつてはこのあたりで「金山鍔」という鉄製刀装具が作られていました。金山はかつて鍛冶の街だったのです。

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▲こちらが金山総合駅の真南にある金山神社。
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▲金属業者の信仰を集めているというのも珍しい。さすが「金山」。

船での物流は無くなったけれども-ナムコワンダーシティ・堀川

 再び国道19号に戻ります。さらに南に歩くと、右手にナムコワンダーシティがあります。その名のとおりナムコのゲームセンターで、1階はクレーンゲームなどの景品もの、2階にはメダルゲームが並びます。また、回転すしのスシローやはなまるうどんといった飲食店もあります。名古屋の副都心・金山から程近い立地ではありますが、もちろん名古屋ですから、無料駐車場200台分を用意しています。

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▲ナムコワンダーシティ。周りに建物が少なく、どことなく場末感...。

 ナムコワンダーシティも堀川沿いにあります。そしてその近くに架かっているのが瓶屋橋です。ここから南側は、堀川プロムナードとして堀川沿いの歩道が綺麗に整備されています。瓶屋橋のたもとには、かつてのこのあたりの風景を描いた絵が飾られており、いかに物流・交通の中心地であったかということがわかります。その名残か、川の向こう岸には中央卸売市場が見えます。マルハ、ニチレイといった巨大な冷凍倉庫があり、今日も鮮魚や冷凍海産物、青果、食肉などが活発に取引されています。

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▲堀川プロムナードは散歩できるように川岸を整備したものです。
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▲かつてはこんなに船が行き交っていたのですね。
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▲対岸に見える中央卸売市場は名古屋の台所。

 もちろん、今は船で市場に物が搬入されることはありませんが、堀川、新堀川沿いには今もその名残で食品の市場があります。それは食品にとどまらず、木材や機械メーカーなど多岐にわたります。そしてとうとう、新堀川沿いの工場跡地には日本の流通トップが2003(H15)年に進出してきました。では、今話題のその新スポットのある高蔵方面へと歩きましょう。


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