おいでよ!名古屋みゃーみゃー通信 第4章 名古屋の文化・風習

サブカル都市?名古屋

記事公開日:2004年10月30日 更新日:

おいでよ!名古屋みゃーみゃー通信 第45回

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 結婚、価値観、お祭り、歌、ドラゴンズと名古屋の表文化を見てきましたが、今回はサブカルチャーを見ていきたいと思います。

 名古屋のサブカルチャー、いわゆる大衆文化を代表するものといえばパチンコです。愛知県内のパチンコ店舗数は901店で東京、大阪に次いで3位。(H13年12月末警察庁生活安全局風俗営業等関係資料より)ですが、ただ単に名古屋はパチンコが盛んというだけではありません。パチンコは名古屋と実に深い関係があります。

 パチンコに似たものは大正時代にイギリスから日本に入ってきましたが、当初は子どものおもちゃでしかありませんでした。それを初めて商売にしたのが、名古屋市西区浄心で遊技場を経営していた正村竹一さんです。

パチンコは名古屋から全国に

 正村さんは1936(S11)年にパチンコ店を開業、戦争で閉店を余儀なくされるものの、終戦の翌年1946(S21)年には営業を再開し、物資の乏しい戦後の貧しい時代の唯一の娯楽となりました。当時のパチンコは小銭をそのまま弾くもので、景品が貰えるという楽しみはあったものの、パチンコ自体にはそれほど面白味が無かったそうです。

特許をとらなかった正村ゲージ

 1949(S24)年、正村さんは「正村ゲージ」という今のパチンコの元祖ともいえるものを開発しました。お金を粗末に扱ってはいけないとお金を直接弾くスタイルをやめ、お金で玉を貸しその玉を弾くゲームにしました。当時名古屋には軍需工場跡が多くあり、ベニヤ板や釘、ガラスを調達することができました。

そのベニヤ板で作った箱に、釘で玉が通る道筋をつけガラスの板で覆い、釘にうまく玉を当てることで入賞口に玉を入れるという現代のパチンコもその基本は変わらないこの「正村ゲージ」は、それまでただコインが上から下に落ちるだけだったパチンコを、あちこちに玉が飛び、玉を打つ技術や釘の配列による運を試すというゲーム性が高いものに変え、たちまちに人気になったのです。

 正村さんのもとには全国から正村ゲージの注文が殺到し、生産が間に合わないほどになります。正村ゲージの全国への広がりはおそるべきスピードでした。しかしそれには大きな理由があります。なぜなら正村さんは特許をとらず、誰でも自由にこの正村ゲージを真似することができたのです。

もし正村さんが特許をとっていたならば、莫大な利益を得ていたことでしょう。真似されてもいい、常にそれを上回るいいものを作り続けたい、物作り職人としての正村さんの心意気。それがパチンコ普及の鍵だったのです。

 現在でもこの正村ゲージが展示されている博物館があります。名古屋市西区、浄心駅前にあるその名もパチンコミュージアムでは、パチンコの発祥からそれぞれの時代を代表する台を見ることができます。このパチンコミュージアムがあるのは正村ビル3階。そのビルの名のとおりそこがパチンコ発祥の地です。もちろん1階には今もパチンコ店があります。パチンコの歴史を体感した後、パチンコ発祥の地で打ってみるのも一興。

特殊景品が細かい

 ところで、パチンコには特殊景品というものがあります。建前上パチンコの玉を現金と交換することはできませんが、パチンコ店で玉を特殊景品と引き換えると、その特殊景品は店外の景品交換所で現金に変えられるというものです。全国的に特殊景品は金地金のことが多く、1000円単位です。なので1000円以下はチョコレートやタバコといった景品に交換するのが一般的です。しかし名古屋では、特殊景品は200円単位のボールペンというところがほとんどで、細かく200円単位まで現金にしたいという名古屋っ子の金銭感覚が垣間見えます。

名古屋では銭湯も付加価値競争

 戦後名古屋から全国に広がったパチンコ。さて時は流れ、大衆娯楽として今、同じように全国に広がりつつあるのが、スーパー銭湯です。今でこそ東京のお台場にまで登場するようになったスーパー銭湯ですが、かつては名古屋独特の業態でした。他の地方から名古屋にやってきた人が驚くことの一つに、名古屋ではサウナのCMをテレビでやたら見かけるということがあります。

 確かに、週末の競馬中継や深夜番組には必ずといっていいほどサウナのCMが流れます。また1980年代からは健康ランドといった、歌謡ショーや様々な娯楽施設を併設した銭湯が登場するようになります。スーパー銭湯という業態は、一般的な銭湯との差別化と、入りやすさを強調して自然発生的に生まれたもので、どこの店が起源かというのははっきりしていませんが、確かに私が幼少の頃には既にたくさんあり、テレビCMが頻繁に流れていました。

 スーパー銭湯については起源がはっきりしないので、名古屋が発祥とは断定しないでおきましょう。ただ、かなり昔から盛んであったことは間違いありません。

コロナワールド
▲シネコン、ゲーセン、カラオケ併設のスーパー銭湯も珍しくありません。

名古屋っ子がラブホ・風俗へよく行くワケ

 はっきりしないといえば、週末に夫婦がスーパー銭湯に行くのに対し、その子どもたちカップルが行くラブホテルです。最近はファッションホテルと呼ばれるラブホテルも、定義や起源ははっきりしていません。昔は連れ込み旅館と呼ばれ、歴史は相当古いと思われます。

 簡単に言えば、時間貸しもやっているカップル専用ホテルといったところでしょうか。時間貸しも基本は2~3時間ということで、一般のホテルよりも回転率がかなりよくなります。それが原因で生まれたもので、名古屋発祥のものがあります。

名古屋が発祥・ラブホ用に開発液体ボディーソープ

 それは液体ボディソープです。今でこそ一般的になった液体ボディーソープですが、当初はラブホテル専用に名古屋のメーカーが開発したものです。かつてはラブホテルも固形石鹸を置いていたのですが、使い回しはお客が嫌がるのと、その都度取り替えていたのでは回転率の高さからコストが見合わないということで、ホテル側は何か良い方法は無いものかと思案していました。

 そこでラブホテルに様々なアメニティ用品を納めていたある名古屋のメーカーが開発したのが、液体ボディソープだったのです。液体なのでポンプ式にすることで使い回し感がなくなり、ホテル側にすれば補充すれば無駄なく回すことができるので一挙両得だったわけです。

 実は、名古屋はラブホテル業が盛んな地区でもあります。名古屋は結婚するまで実家で暮らすという人が多いために、どうしても結婚前はラブホテルを利用せざるを得ないのです。ですので、名古屋はどんな山奥にもリゾート地にも必ずといっていいほどラブホテルがあります。ドライブのついでにサッと寄れるようにです。

 山奥といってもやはり幹線道路の脇にあるパターンがほとんどですけれども。ですので、名古屋っ子は「いざとなればラブホがあるからいいや」と、行き当たりバッタリで旅行することがあります。ところが、滋賀県など名古屋文化圏ではないところへそのままの感覚で行き、ラブホテルが無くて困るという事例が頻発しているようですので注意が必要です。

ファッションヘルス&風俗

 ラブホテルの話まで来たのでこのまま突っ走ります。ラブホテルとともに名古屋は風俗産業も盛んです。それは「名古屋ほど充実したファッションヘルスは無い」と、東京や大阪の人も認める程です。東京では地価が高く土地の制約があるのか、ファッションヘルスは本当にそれをするためだけの部屋ということが多いのですが、名古屋の場合は部屋も広く、各個室にシャワーも完備されています。

また、女の子の割りに料金もリーズナブルでいわゆる名古屋っ子の言う「お値打ち」なのだそうです。

ラブホテル街
▲堀川沿いのラブホテル街。ジャンルに応じたホテルがあります。

 名古屋っ子はなぜ風俗が好きなのか。それは堅実だからです。どういうこと?と思われるかもしれませんが、以前お話しましたように、ものすごい豪華な嫁入り道具とともにいただいたお嫁さんと、名古屋っ子は離婚するわけにはいかないのです。事実、年間の離婚件数も東京28,594件、大阪24,252件に対し愛知は15,084件とガクっと減ります。(H13年人口動態統計年報)

 つまり、家庭崩壊の危険を冒してまで不倫をするよりも、お金で割り切り、後腐れ無い時間を過ごせる風俗の方が、安全でしかも楽しいと名古屋っ子は考えているわけです。

若い頃は彼女とラブホテルにせっせと足を運び、結婚したら週末の夜は同僚とパーっと風俗へ出かけ、その罪滅ぼしでは無いですけれど土日は奥さんとスーパー銭湯へ。時々お小遣いを握りしめて行くパチンコがささやかな楽しみ。そしてパチンコで儲かったら、たまにはソープでも...。これが平均的な男性名古屋っ子の私生活です。

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▲アロエの香りで、心も体もリラックスできるあのボディソープメーカーが日本で最初。

名古屋は街全体がサブカル?

 というわけで、今回は名古屋のサブカルチャーを見てきましたがいかがだったでしょうか。サブカルチャーの定義とは「社会の正統的、伝統的な文化に対し、その社会に属するある特定の集団だけがもつ独特の文化。大衆文化・若者文化など。下位文化。」なのですが、よくよく考えると、東京から見れば名古屋の文化全てがサブカルチャーな気がしてなりません。

名古屋は変わっている、おかしいと指をさされることがありますが、それはどこか街全体にサブカル的な要素があるからなのかもしれません。

 ジャスダック上場を果たしたサブカル書店「ヴィレッジヴァンガード」は今や全国に店舗網を広げていますが、発祥の地は名古屋市天白区です。これもやはり名古屋にサブカル的な要素があることの裏づけともいえます。「ヴィレッジバンガード」とは直訳すると「村の先頭集団」実に面白い名前です。名古屋という村社会から全国に広がっている会社の実体を如実に表しているようで妙です。

 こういった猥雑さを名古屋のウリにしていけば、もっと名古屋も垢抜けるような気もしますが、今のままのどこか垢抜けないことが名古屋のウリなのであって、その自己矛盾がこれからどうなっていくのか、楽しみでもあります。まあたぶんこのままずっと、永久に名古屋は垢抜けないと思いますが。

 サブカル都市名古屋。では決してありません。サブカルな村社会。それが名古屋なのです。独特かつ特異な文化を持っているということは何も恥じる必要はありません。むしろ名古屋っ子はもっと自信を持っていいのです。

 ただ、自信と自慢は違うということを、名古屋っ子は理解することが必要です。それが、名古屋が馬鹿にされている要因だということに気付かなくてはいけません。

ヴィレッジヴァンガード
▲天白区にあるヴィレッジバンガードが1号店。

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