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第2回
世界の中心都市としての義務
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2003.11.29 |

本気?ネタ?名古屋オリンピック |
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私は今でも鮮明に憶えているのですが、小学校に入学し最初の体育の授業で先生からこ
んな話がありました。
「今度、名古屋でオリンピックが開かれます。オリンピックでは世界中からスポーツ選手
がやってきます。皆さんもオリンピックに出場できるくらいに、運動して体を鍛えましょ
う。」
また、親と名東区にある父方の親戚の家へ向かう途中、平和公園の横を通った時に父が
言いました。
「ここになー、大きい運動場ができて、オリンピックやるんだぞ。」

これは私の妄想ではありません。皆さんは記憶に残っていますでしょうか、1988(S63)
年の夏季オリンピックの誘致活動に名古屋が真剣になっていたことを。長年名古屋ではこの話題
に触れることさえ禁じられてきました。今考えるとかなり不思議な出来事なのですが、な
ぜ名古屋でオリンピックだったのでしょうか。

1977(S52)年、当時の仲谷愛知県知事が突然「1988年のオリンピックを名古屋へ。」と
発言し誘致活動が始まったのです。反対運動も起こり、名古屋が一枚岩となって望んだ
わけではありませんでしたがなぜか当時、名古屋では完全に勝利ムードが漂っておりほ
ぼ決まったも同然という報道がされていました。そのため学校の先生や私の父親も、もは
や決まったものとして私に「やるかもしれん」ではなく、「やるんだぞ」と名古屋オリ
ンピックのことを話したのでしょう。

愛知県知事はこのオリンピックで、当時東京や大阪に比べて遅れていたインフラ整備を
充実させることと、経済効果も見込んでいたことでしょう。しかし何よりも根底にあ
った気持ちとしては前回書きましたとおり、名古屋っ子にとって名古屋は世界に誇る
日本のメジャー都市であるという思いではないでしょうか。「東京はオリンピック、大阪は万博という世界的なイベントを
やっているのに、名古屋が何もやっていないのはおかしい。」この気持ちが根底にあったはず
です。さらには関東(筑波)での万博も控えていたのです。「なぜ名古屋だけが置いてきぼり
なのか。日本を代表する都市である名古屋が…。」

名古屋では「オリンピック音頭」や「オリンピック開催決定記念グッズ」が作られ、す
っかり街はオリンピックムード一色となりました。この頃、東京や大阪の人々はどういっ
た目でこの状況を見ていたのでしょうか。当時の記憶のある人に聞いてみたいものです。

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| ▲誘致活動当時、名古屋オリンピック用に作られた、カバのキャラクター。今だったらコアラでしょうね。 |
自信満々の名古屋・しかし |
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しかし1981(S56)年10月1日。発表された88年のオリンピックの開催地は「ソウル」で
した。あるテレビ局の報道で敗因として挙げられたのは、名古屋は全く賄賂を出さなかったということ。冷
静に賄賂云々を切り離して考えても、1964(S39)年に東京でオリンピックをや
ったばかりの日本と、初めての開催となる韓国では韓国に軍配が上る公算の方が大きい気がするのですが、
名古屋が全く賄賂を出さなかったという点を見ましても、よほど名古屋には誘
致できるという自信があったということが感じられます。

この時、開催地選考の様子を名古屋の各テレビ局は生中継で伝えていました。各社と
も「名古屋オリンピック開催決定」というテロップを用意して、本当に名古屋に決まるも
のだと信じて疑わなかったそうです。「ソウル」と発表があったあとのCBCテレビのスタジ
オは、水を打ったように沈黙に包まれました。このビデオを一度だけ見ましたが、キャスター
・コメンテータとも無言で、何とも言えない表情でうなだれていました。「名古屋オリン
ピックの歌」を歌う予定だったチェリッシュも撤収です。しかも、2時間半の予定で組ま
れていた特別番組はソウルに負けるということを全く想定しておらず、負けた時の番組
構成を考えていなかったのです。
結局番組開始からたった40分、ソウルと発表された10数分後に放送を終了
してしまったのでした。本当に誰もが、名古屋に決まると思い込んでいたようです。

そして、本当なら名古屋オリンピックが開催されるはずだった1988(S63)年の11月18日、
既に知事を退職していた仲谷氏は、オリンピック誘致失敗の責任を取り自殺します。

このように、当時いかに真剣に名古屋がオリンピックを誘致しようとしていたか、そし
てそれを信じて疑わなかったかがお分かりいただけたかと思います。しかし、愛知県知事
が誘致活動をしていたのにもかかわらず、「愛知オリンピック」ではなく「名古屋オリンピック」
だったのは、もうお分かりですよね。

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| ▲東山動物園のカバ。代替わりしましたが、今でも東山の人気もの。 |
▲千種区の平和公園。ここで名古屋オリンピックのはずが…。 |
勝手に義務感 |
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しかし、名古屋はくじけませんでした。何としても名古屋で世界的なイベントを開催し
たい、いや、世界の中心都市のひとつである名古屋は、世界的なイベントを開催する義務
があるのです。仲谷氏が自殺するひと月前の10月、愛知県知事、名古屋市長、中部の経済
界代表が懇談し、21世紀初頭の万博誘致を推進することを決定しました。オリンピック
がダメなら万博。この考えが安直で、名古屋らしくてとても素敵です。

「大阪も東京(つくば)も万博をやっているのだから、名古屋がやらないのはおかしい。」

といったところでしょう。そして翌年1989(H元)年には「21世紀万国博覧会誘致準備委員
会」が設立され、1990(H2)年には瀬戸市を開催候補地とすることを決定。1991(H3)年には
テーマが「技術・文化・交流−新しい地球創造」と、発表されました。当初はどこにもこの万博の主題となった「
自然」という言葉は入っていませんでした。のちに、愛・地球博のテーマは「新しい地球
創造・自然の叡智」と変更され、自然との調和を全面に押し出しています。この経過を見
ましても、自然というテーマは後から取って付けたようなもので、本当はテーマなんてど
うでもよくて、名古屋で世界的なイベントがあればそれで満足、というのがよくわかりま
す。

しかし、万博も独断で開催できるわけではありません。博覧会国際事務局(BIE)の総会
で選ばれなければなりません。もちろん前回のオリンピックの教訓を生かして、味方となってくれる
BIE未加盟国を加盟させるなどいろいろと根回しをしたそうです。1997(H9)年6月、BIEの総会でカルガリー(カ
ナダ)を破って愛知が選ばれました。この時もNHKを含め名古屋のすべてのテレビ局が現地
と衛星回線を結び、生中継で決定の様子を伝えました。オリンピックの苦い過去から16年。
ようやく名古屋で世界的なイベントが…。と言いたいところなのですが、時代は移り変わ
っておりそれほど名古屋の街は浮き足立っていませんでした。もはや万博で大喜びとい
う時代では無くなってしまっていたのです。

それでも、万博を瀬戸市で開催することで、瀬戸市の海上の森を開発し、万博が終了し
た後は、つくばのような研究都市や住宅を建設。そしてそれにあわせて高速道路や空港を
整備するという計画が進んでいきました。

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| ▲万博開催地決定の瞬間。(※テレビ愛知特別番組より資料として引用) |
万博決定!もうそれで満足? |
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ところが、万博開催予定地でオオタカの巣が発見され、当初の計画だった瀬戸市をメイ
ン会場とすることを断念し小会場に変更。メイン会場は、長久手町にあった愛知青少年公
園を潰して建設し開催することになりました。万博というのはそれをきっかけに
新しく開発をすることができるというのも誘致した理由のひとつのはずです。しかし、
もともとあった公園を潰してやる万博にそれほどの意味があるのでしょうか。しかも、
「自然の叡智」をテーマとしてしまった以上、自然を破壊して万博を開催することはでき
ません。

それに、こんな地味なテーマで人が集まるのでしょうか。大阪万博では「月の石」「携
帯電話」「ロボット」、つくば万博では最先端の科学技術に触れることができるというの
が大きな魅力でした。しかし「自然」がテーマの万博。はたしてどれほどの集客力がある
というのでしょうか。名古屋なんかよりも自然豊かな地域の人が、自然をテーマにした万
博を見に、わざわざ名古屋までやってくるのでしょうか。

万博が開催される愛知青少年公園にはかつて、大阪万博の「ロボット館」というパビリ
オンがリサイクルされて設置されていました。まさかそこに本当の万博がやってくるとは、誰も
夢にも思っていなかったことでしょう。ロボット達もびっくりです。いや、むしろここに
大阪万博を再現して、「昔、世界が夢見た21世紀」なんてテーマの万博をやった方が面白
いと思うのですが。

世界的なイベントを開催したくて仕方がなかった名古屋。今、その夢が叶うのです。し
かし私には、名古屋で万博が開催されること自体でもうこの街は満足してしまっているよ
うな気がしてならないのです。「愛・地球博」のキャッチフレーズがそれを物語っていま
す。

「人生一度は万博だ。」

これを真正面から受け止めると、大阪万博やつくば万博、沖縄海洋博、花博に行った人
に対して、「来なくていいよ」と言っていることになってしまいます。違うのです。本音
は、この「人生」というのは名古屋の街としての人生のことなのです。人生を名古屋に置
き換えてみましょう。

「名古屋で一度は万博だ。」

やっぱり万博をやること自体で満足しちゃってるな…。

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