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なぜ名古屋弁が標準語ではないのか
(2004-11-06)

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かつては名古屋弁が標準語だった?

 名古屋弁はなぜ標準語にならなかったのでしょうか。

 唐突に何を言い出したのかと思われるかもしれませんが、冷静に考えてみていただきたいのです。天下統一を成し遂げることはできなかったものの、戦国時代に統一へと足を踏み出した武将・織田信長は、愛知県中島郡生まれの名古屋育ち。そして農民の子として生まれ、のちに信長の遺志を継いで天下を統一した豊臣秀吉は名古屋市中村区生まれです。このふたりは名古屋市中村区、西区を地盤に幼い頃から一緒に遊んでいたといわれています。となれば、絶対にこの二人の言葉は名古屋弁のはずなのです。名古屋弁を使う秀吉が天下を統一したならば、名古屋弁が主流になっていてもおかしくはないのでしょうか。

 そして愛知県岡崎市生まれの徳川家康。徳川家は織田家と対抗するために、駿河の今川義元側についていましたが、桶狭間の戦いをきっかけに織田信長と同盟を結びます。その後小牧・長久手の戦いで秀吉に負け傘下に属し、江戸へ移ります。秀吉の死後、その後継をめぐって石田三成と争った関ヶ原の戦いで勝利し、家康は江戸幕府を開きます。そして家康は日本の歴史上初めて全国を支配することに成功するのです。家康は岡崎の生まれであるものの、6歳から8歳までを熱田区で過ごしています。その後は静岡市にいたものの、17歳のときに戦った桶狭間の戦いで緑区の大高城に、そしてその後は岡崎に戻り江戸に移る47歳までずっと岡崎にいたことから、基本的には三河弁、名古屋弁を話していたのではないでしょうか。

名古屋弁は標準語になり得ない

 となれば、ますます名古屋弁が標準語となり得た気がするのです。秀吉の大阪城や、家康の江戸城では名古屋弁が使われていたと考えてもおかしくありません。しかし、さらに冷静に考えれば、名古屋弁は絶対に標準語になり得ないことがわかります。それは明治維新です。江戸幕府は1867(慶応3)年に大政奉還を行い政権を朝廷に返還し、1868(明治元)年に明治天皇が即位し明治時代となります。黒船来航、開国など様々な要因はありますが、幕府から政権を奪ったのは倒幕運動を行った薩長同盟です。薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)、そしてその仲介をした土佐藩(高知)、西郷隆盛や坂本竜馬によって江戸幕府は倒されたのです。これが標準語の形成に深く関わっています。

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