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新!桶狭間の戦いその2
(2005-10-20)

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 前回訪れました、豊明市栄町南舘の「桶狭間古戦場」は、今川義元の戦死した場所とされお墓もあり、1937(S12)年には国の指定史跡となっていました。ところが、緑区桶狭間北にも「桶狭間古戦場公園」があります。説明看板には「この地が歴史に云う桶狭間合戦の古戦場で今川義元戦死の地であります。」とあります。豊明市と緑区にふたつの古戦場実際に信長の奇襲作戦が行われたのはどちらなのでしょうか。もうひとつの古戦場である 「桶狭間古戦場公園」を見てみましょう。

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▲名古屋市内にある、もうひとつの桶狭間古戦場。

 この公園には「桶狭間古戦場保存会」が設置した説明看板がいくつもあります。看板を見ると、この公園周辺には戦いの痕跡がいくつも残されているようです。詳しい地元の方に公園を案内していただく機会に恵まれましたので、お話とともに見ていきましょう。

 公園にはたくさんの木があるのですが、中に一本だけ途中で折れ、枯れているかのような白い木があります。これはねず(杜松)の木で、今川義元がこの木に馬を繋いで昼食のための休息をとったといわれています。木の横には「駿公墓碣」と刻まれた義元の墓標もあります。豊明だけでなく、緑区にも義元のお墓があるのです。ただ、こちらは豊明と違い建立年が不明です。この「今川義元公馬つなぎのねず」からは義元の亡霊が氏蛍となって京の都の方向へ飛ぶという伝説があり、また、木に触れると熱病にかかるそうです。嘘だと思われる方はぜひ触ってみてください。ちゃんと実例もあるのです。かつてここで刈谷の魚屋さんが義元の亡霊を見ました。義元の亡霊は魚屋さんに、亡霊を見たことを絶対に人に言うなと言いました。しかし魚屋さんは口外してしまいます。すると、魚屋さんはやがて熱病にかかり亡くなってしまったのです。私にはねずの木を触る勇気はありませんでした。

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