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くねくね街道と黄金の神楽
(2005-04-12)

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 旧南陽町の区域を出て庄内川の東側を歩きます。港区は大きく3つに分けることができます。西側は、前回まで歩きました庄内川・新川の西側にある旧南陽町。中央部は庄内川と中川運河に挟まれ、埋め立てが進み金城埠頭は名古屋市の最南端まで伸びています。そして中川運河の東側は区役所もあり、古くから名古屋市だった部分でありながら、埋め立てによってできたガーデン埠頭には比較的新しいレジャー施設が集中しています。

 今回からは、その名古屋市の南端まで埋立地がぐんと伸びている中央部を歩きます。ここも旧南陽町と同じように全て海だった場所で、干拓などによって開かれた土地です。北側が干拓されたのは、旧南陽町と同じように江戸時代ですが、南側には平成に入ってから埋め立てられた部分もあり工場などが密集しています。かつては市電が、そして今は第3セクターのあおなみ線が南北に走り、都心とこの地区を結んでおり住宅地として人気が高まっています。そのためかつての田園風景を見ることはできません。まずは北端、東海通の北側を歩きます。

 東海通を西から歩くと、庄内川を明徳橋で渡ることになります。その北側に、細い正徳橋という橋があります。その橋は中川区との区境となっているのですが、かつては百曲街道と呼ばれていました。百曲街道は1647(正保4)年から1649(慶安2)年にかけて干拓が行われた、熱田新田の北側に自然発生したもので、この正徳橋と中川区の尾頭橋を結ぶ街道です。もともと街道として作られたものではなく新田の端を通る道なので、ぐねぐねと曲がっていて、百曲街道と呼ばれるようになりました。熱田新田の番割観音については、熱田区や中川区で見ましたが、この港区地内には20番から最後の33番までがこの街道に沿って配されています。

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