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発祥地・瀬戸市には最後まで...JR東海路線バス撤退(1)
(2009-09-21)

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★日本初の国営バスが走ったのが瀬戸
★国鉄岡多線・瀬戸線計画の今
★今も残る岡多線の痕跡はワザと?

 8月27日、JR東海バスが「路線バスの運行廃止」を発表しました。国鉄バスが民営化され、JR各社のバス子会社が運営を引き継いだ中で、初の全面撤退となります。

 既に以前から、JR東海の路線バスは縮小傾向にあったなかで、瀬戸市内の路線は最後まで残されてきました。実は、瀬戸市とJRバス...いや、瀬戸市と国鉄バスとは切っても切れない縁があるのです。今回から3回にわたって、瀬戸とJR東海バスの歴史を紐解きながら、廃止となる路線をたどってみたいと思います。

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瀬戸市を通る国鉄の計画路線があった

 瀬戸市と鉄道といいますと、真っ先に思い浮かべるのが、栄に乗り入れを果たした名鉄瀬戸線。そして、第3セクターとして開業した愛知環状鉄道です。一見すると、JRとは無縁の街なのですが、その昔、瀬戸を経由する国鉄路線が計画されていました。

 時代はさかのぼって1892(M25)年。国が建設すべき鉄道路線を定めた「鉄道敷設法」が公布されました。この法律では、瀬戸を起点として稲沢に至る「瀬戸線」と、岡崎から挙母(現在の豊田)を経て多治見へと至る「岡多線」が計画されていたのです。

 今では信じられないかもしれませんが、当時は陶磁器の街・瀬戸市がこの地方を代表する産業都市で、現在でいうところの豊田市のような扱いで、特に貨物輸送が期待されていたことから、瀬戸市に鉄道を敷くというのは理に適った計画だったのです。

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国鉄岡多線は今

 この国鉄瀬戸線と国鉄岡多線の計画はその後どうなったのかといいますと、まず岡多線か岡崎から北野桝塚間で1970(S45)年に貨物線として開業します。そして旅客営業が始まるのが1976(S51)年、岡崎−新豊田間と延伸されての開業となります。

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