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瀬戸会場−意地の結晶
(2005-02-12)

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瀬戸会場が設置された経緯...

 3回に渡って、2005(H17)年3月に開幕する「愛・地球博」のメイン会場である長久手会場の見どころをご紹介してきましたが、今回は、もうひとつの会場である愛知県瀬戸市の瀬戸会場をご紹介します。なぜ今回の万博は2会場に別れているのでしょうか。これには聞くも涙、語るも涙(?)の悲しい物語が隠されています。

 当初愛知万博は、愛知県瀬戸市の海上(かいしょ)の森一帯の1会場で開催する予定でした。海上の森は広大な森で、万博会場をここに造成することで森を開発し、万博終了後は住宅や企業団地を建設する計画でした。愛知万博のテーマは「光の万博」から「技術・文化・交流−新しい地球創造」となり、将来は海上地区に企業の技術研究機関などを誘致し、瀬戸市を名古屋の産業拠点のひとつにするつもりでした。そのため瀬戸市は万博誘致に全力を尽くし、それまで陶器の産地「せとものの瀬戸」としては有名だったものの、地場産業の衰退が始まっていた瀬戸市にとってこの計画は大きな夢であり、未来への希望だったのです。

 万博誘致を実現するため、開催地を決める博覧会国際事務局(BIE)へのアピール度の高さから、愛知万博のテーマは「技術・文化・交流−新しい地球創造」から「新しい地球創造・自然の叡智」へと変更され、自然との調和を全面に押し出すものとなりました。ところがここで大きな問題が浮上します。ご記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。そう、オオタカです。国の天然記念物であるオオタカの巣が海上の森で発見され、この森を破壊して万博を開催することが、自然との調和というテーマと矛盾してしまうことになったのです。

 そこで愛知県と博覧会協会は、海上の森から南西に4キロほどのところにあった、県営の愛知青少年公園を万博の会場予定地に含めることにしました。青少年公園があるのは愛知郡長久手町。それまで、万博誘致活動をそれほど熱心に行っていたわけではなかった長久手町にとっては棚から牡丹餅でした。瀬戸市は危機感を募らせます。

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