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働いていたのは誰・そしてどこへ...軍艦島上陸(3/3)
(2010-07-26)

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★軍艦島で働いていた鉱員ってどういう人?
★閉山になった後、人々はどこへ
★軍艦島の未来・日本の未来

 わずか周囲1.2キロの島で、最盛期には5,000人を超える人々が暮らし、それはまるでひとつの家庭のような、強固な結びつきで繋がった住民たちのコミュニティ。島のなかで全てが完結する環境。労働がきつかった代償に、ここで働く以上は島で暮らさなければならなかった代償に、物質的にも心理的にも豊かだった軍艦島の暮らし...。

 軍艦島に上陸し、少しずつ朽ちていく「廃墟」を見ながら、そんな生活があった頃の軍艦島に思いを馳せてきました。ガイドの方のお話、見せていただいた当時の写真。どれも活気にあふれていて、それはまるで、今は完全に崩壊してしまった、ニュータウンの理想形のようにも思えました。しかし、そんな感傷に浸る時間はありません。上陸してからわずか45分、船に戻る時がやってきました。

 聞きたい話が聞けるのはここからです。

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お風呂だけは無かった

 前回は、お母さん、お父さん、そして子どもたちと、それぞれの暮らしぶりを見てきましたが、そもそも、ここにある集合住宅はどういったものだったのでしょうか。幹部職員は別にして、一般職員や鉱員の住居は、6畳と4畳半の一間ずつという程度のものだったそうです。金銭的な待遇もよく、買物に不自由することがなかったとはいえ、やはりここに足りないのは「土地」。どうしても住居に充分な広さを確保することはできなかったようです。

 住居に足りなかったもの、それは広さだけではありません。この軍艦島にある住居は、幹部職員の家と島内唯一の旅館を除いて、お風呂がありませんでした。さらに、トイレは全て落下式で、水洗便所もありませんでした。そして炊事場、これも共同だったのです。こういったことが、住民同士のふれあいや繋がりを深くしていた理由のひとつだったともいえるのではないでしょうか。

 船はドルフィン桟橋を出発すると、上陸することのできなかった、島の西側に当たる住居エリアをじっくり見られるように、島の周りをグルーズしてくれました。

写真

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