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発展の基礎は冷遇の果てに?...名張藤堂家邸跡
(2009-01-11)

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 三重県と言いますと、お伊勢さんを中心に県民意識の高い県という印象があります。中心の津や伊勢から離れている地域を見ても、名古屋に近い北勢地域でもイントネーションは完全に名古屋と違って三重ことばですし、比較的大阪に近い伊賀上野でも、上野城と津藩の初代藩主・藤堂高虎との繋がりが深いためか、いかにも三重という雰囲気があります。

 しかし、その伊賀市の隣にある名張市だけは空気が違います。高度経済成長期に大阪のベッドタウンとして開発されたという経緯があるため、大阪志向が高いのはもちろんですが、それだけとは思えません。そこで今回は、名張の昔からの市街地である中心部を歩いてみました。そこには、相続争いと冷遇の末の開発という歴史が...。

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藤堂家は藤堂家だけど...

 近鉄大阪線名張駅、その西口から北西方向へと歩き、消防署を左に曲がりますと、小高く丘になっている場所があります。現在は名張小学校や名張中学校が大部分を占めていますが、その丘全体が「名張城跡」であったとされる場所です。

 ほとんどが学校となっているのですが、現在も当時の面影を残しているものがあります。それが小学校の向かいにある「名張藤堂家邸跡」です。

 名張藤堂家邸は、1636(寛永13)年に藤堂高吉の屋敷として建てられたもので、1710(宝永7)年の名張大火で焼失、再建されたものの、さらに明治に入ると取り壊されてしまい、現在では往時の20分の1という規模でしか残されていませんが、1991(H3)年に今は東京に住む名張藤堂家から、「豊臣秀吉朱印状」「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」「朱具足」「備前無銘刀」「藤堂高吉公一代記」「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」が寄贈されていて、一般公開されています。(200円)

 でも、名張藤堂家ということは、津藩藤堂家の一門というわけで、津との関係は親戚筋になるから、津と名張のつながりも深いんじゃないの?と思ってしまうところですが、名張藤堂家の始まりである藤堂高吉、彼は養子だったのです。しかも、当初は藤堂高虎の後継ぎとして迎えられたはずなのに...。

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