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関ヶ原の新たなる戦い(2)−その敵はかなりの強敵
(2008-04-27)

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 前回は関ヶ原の戦いの決戦地と、そこから程近い、西軍の石田三成が陣を構えていた笹尾山を見てきました。そして、関ヶ原町の観光協会が解散してしまったという現状をお話しました。

 今回は、対する東軍・徳川家康の最後の陣跡がある、関ヶ原町歴史民俗資料館周辺と、国を二分するほどの古戦場を観光資源として持つ関ヶ原町に現れた、観光協会を解散にまで追いやった新たなる敵、戦いについてお話します。

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神社は意外と新しい

 関ヶ原町歴史民俗資料館のすぐ横には、関ヶ原の合戦で失われた、幾千、幾万とも言われる戦死者を弔うために建立された御霊神社があります。

 この神社の由緒書きによりますと...。

 合戦の戦死者のなかには、子孫も絶えてしまい慰霊すら行われていない将兵も多くあるのではないか、という想いから、関ヶ原振興会が広く有志の浄財を呼びかけて、合戦380周年の1980(S55)年の4月に建立したもので、意外と新しい神社です。<

 毎年9月14日には慰霊祭が行われているとのこと。そう考えると、このあたり一帯には今も行き場を失った霊...いや、そういうことを考えるのはやめておきましょう...。

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家康の最後の陣跡

 御霊神社のすぐ横には、東軍の徳川家康が最後に敷いた陣跡があります。合戦が進むにつれ、桃配山に陣を構えていた家康は、一気にこの場所へと本営を進出させたのです。西軍の石田三成が陣を構えていた笹尾山から、わずか1キロの地点です。

 家康は三成に反感を持つ武将たちをうまく操り、前回お話しましたが、小早川の裏切りをきっかけに、完璧だったはずの陣形を組んでいた西軍を落とすことに成功したのです。

 徳川家の家紋の幟が今もはためき、なぜか不思議と当時の様子を想起させます。やはり今もここに霊が...だめだめ。

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