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関ヶ原の新たなる戦い(1)−まずは決戦の地へ
(2008-04-20)

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 天下分け目の関ヶ原。

 岐阜県関ヶ原町といえば、1600(慶長5)年9月15日に「関ヶ原の戦い」の舞台となった場所。東軍の徳川家康と西軍の石田三成が戦い、その後の歴史を決定づけたものです。さらにはこの戦いでは、全国の大名がそれぞれの軍に二分したことから「天下分け目の戦い」と呼ばれています。

 合戦から408年。こんな有名な史跡を抱える関ヶ原に、新たなる敵が現れたとのこと。今、関ヶ原でどんな戦いが起きているのか、史跡を巡りながら2回に渡って見ていきます。

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まずは「決戦地」へ

 関ヶ原北小学校の南にある、関ヶ原古戦場の「決戦地」へとやってきました。ここは、西軍の石田三成が陣を構えていた笹尾山のふもとの先。西軍の敗色が濃くなるなか、三成の首を取ろうと攻める東軍と、必死で応戦した西軍とが最大の激戦を繰り広げた場所です。

 周囲を見渡すと、教科書などで見た関ヶ原の陣形図が想像できそうなくらい、当時の地形が今も残っており、この日は天候が悪いこともあったとは思いますが、寒気がしました。やはり古戦場では相当の数の人が怨念とともに亡くなっているわけで、桶狭間でも感じたようなゾクっとするものを感じます。まあ、気のせいなんでしょうけど...と自分を言い聞かせておきます。

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西軍・石田三成陣跡へ

 では、その決戦地からほど近くにある、負けた西軍・石田三成が陣取っていた笹尾山へ。三成はこの山に6,000の兵を配して、自分は山頂に、中腹に蒲生郷舎を、そしてふもとには島左近を配置していました。

 西軍の陣形は、明治政府の軍事顧問となったドイツ人のクレメンス・メッケル少佐という人物が後に驚くほどに完璧なもので、戦いは西軍有利に進んでいました。そう、あの人が揺れ動いている間は...。

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