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没後に出身県が変わってしまった島崎藤村−馬籠宿
(2007-03-31)

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 中山道六十九次の43番目の宿場町「馬籠宿」。木曽十一宿のなかで最も南にある宿場町で、起伏のある坂道の両側に昔ながらの建物が今も広がります。平地にある東海道の宿場町とは趣が違い、坂道に沿って流れる小川には水車も見られます。そんな山間の宿場町にとって、数年前に大きな出来事がありました。それは、ずっと昔から引き継いできたアイデンティティを、根本から覆されてしまうような大きな出来事でした。しかしそれは住民が望んだことでもあります。かつての宿場町の面影に思いを馳せながら、面影は変わらないのに、大きく変わってしまった馬籠を見ていきます。

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 中山道木曽路「馬籠宿」。600メートルに渡って広がる宿場町の両端には、無料の駐車場が完備されています。今回は南側にある馬籠館の横にある無料駐車場に車を停め、坂道を下から上に歩いていくことにします。旧中山道は午前10時から午後4時まで車両通行禁止となっていますので、ゆっくりのんびりと散策をすることができます。

 さて、南側から急斜面を登っていきますと、直角に曲がる角があります。これは「桝形」です。意図的に街道を曲げたもので、外敵の侵入を防ぐために設けられました。これは東海道の宿場町などでもよく見られるものです。一度1905(M38)年に道路改修によって消失してしまったのですが、昭和60年代に復元されています。桝形の角には水車小屋があり、江戸時代の宿場町風情を醸し出しています。しかし実際には江戸時代のままというわけではなく、明治と大正の頃にあった大火で江戸時代の遺構はほとんど焼失しており、現在は復元されたものとなっています。

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 復元されたとはいっても、それぞれかなりの歴史がある建物です。江戸時代に宿場として栄えた頃の文書や書画、焼き物などを展示している清水屋資料館や、栗きんとんでおなじみの創業元治元年の川上屋などがあり、観光地として平日でも多くの人で賑わっています。国道や国鉄の開通によって宿場町としての役割は明治時代に既に終えてしまったものの、かつて賑わった頃のにぎやかな風情を今も残しています。

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