★県単位のFMラジオ局と市町村単位の地域FM
★現段階で最も遅く民放県域FMが開局した岐阜県独特な事情
★地域FMが先だったから「FMはローカル」意識が強い
電波で聞くラジオ放送には「AM」と「FM」があります。AMラジオ局はすべて、県単位以上の広いエリアをカバーする存在ですが、FMラジオ局には「県単位」の県域FM局と「市町村単位」のコミュニティFM局の2種類があります。
ほとんどの地域では、県単位のラジオ局が先に開局し、あとから市町村単位の局が開局しているのですが、日本国内に4ヶ所だけ、コミュニティFMよりも後に県域FM局が開局した地域があります。
そのうちの一つ、岐阜県多治見市のFM-PiPiに行って見学と出演をしてきました。
NHKや実験局を除き、現存する民間FMラジオ局で最も開局が早かった都道府県は愛知県で、1969(S45)年12月24日に愛知音楽エフエム放送(現:@FM)が開局。それから31年後、2001(H13)年4月1日に岐阜エフエム放送(現在はFM岐阜に免許継承)が開局し、現状では、最も遅くに開局した県が岐阜県となっています。
なお、茨城県、和歌山県、奈良県には今も県域FM局が存在しません。
一方で、市町村単位の小規模なラジオ局「コミュニティFM」が1992(H4)年1月に制度化され、その年の12月24日に北海道函館市で第1号が開局、FMラジオは「県域」と「コミュニティ」の2種類が混在することとなりました。
コミュニティFMよりも後に県域FMが開局した地域は、岡山県の倉敷市と岡山市、岐阜県の高山市と多治見市のわずか4ヶ所です。
そのうち多治見市は、岐阜県の南部・旧美濃国の東側に広がる東濃地域を代表する人口約11万人の街で、愛知県の春日井市・瀬戸市と隣接し、また、岐阜県の県庁所在地である岐阜市から離れている一方で、交通の面でも行政の面でも名古屋市との結びつきが強いという特徴があります。
この街にFMラジオ局が開局したのは、1998(H10)年10月1日のこと。株式会社エフエムたじみが設立され「FM-PiPi(エフエムピピ)」という愛称にて、76.3MHz(20W)にて放送をスタート。コミュニティFMとして取り立てて早期に開局したわけではありませんが、岐阜県は県域FM局の開局がずれ込んでいたため、県域よりも先に開局を果たしています。
本社・スタジオを構えているのは土岐川沿いにある多治見市産業文化センター。ここではフェアやセミナーが行なわれることが多く、私もこれまで就職フェアや海外投資セミナーなど何度か来たことがあります。
社名にも「多治見」と入っており、多治見市のみを放送区域とするコミュニティFM局ですが、実際には電波は飛んでおり、東濃地域を広くカバーしています。
FM-PiPiの電波は、春日井市や犬山市との境に近い高社山から発射されており、多治見市にとどまらず土岐市や瑞浪市、また御嵩町や春日井市などにも広く届いています。そのため番組にも多治見市提供のものだけでなく、土岐市の行政番組も放送されており、さらに東濃地域には他にコミュニティFM局が無いことから、東濃全体を守備範囲とする広域コミュニティFM局という側面もあります。
このあたりは、本来は可児市・美濃加茂市・御嵩町だけでありながも中濃全体の地域番組を流すFMらら、高山市だけでありながら飛騨全体をイメージするHits-FMなども同様で、岐阜県のコミュニティFM局は市町村単位ではなく地域を広域で受け持つ印象があります。
岐阜県のメディア事情は複雑なものがあります。新聞・ラジオ・テレビともに全県が名古屋発の傘下にありつつも、岐阜県だけのメディアもあり、その背景には名古屋の中日新聞と岐阜の岐阜新聞の壮絶なシェア争い、代理戦争の様相を呈しています。
さらに、岐阜アイデンティティの強い「岐阜地域」「西濃」、名古屋と岐阜の微妙のバランスのもとにある「中濃」「東濃」、そして岐阜よりも名古屋の影響が強い「飛騨」と、地域によって岐阜色に違いがあります。
名古屋発のメディアは中日新聞、岐阜発のメディアは岐阜新聞という棲み分けがしっかり出来ていたなかで、岐阜の県域FMはどちらが主導権を握るのか...。
岐阜新聞側は傘下の岐阜放送にFM準備室を設け、中日新聞側は岐阜市に本社を置かせないようにと画策し、その綱引きもあって、岐阜の県域FMの開局はずれ込んでいたのでした。
その背景のなかで、まず動いたのが飛騨・高山でした。1997(H9)年7月19日に岐阜県初のFM局となる「飛騨高山テレ・エフエム(Hits-FM・76.5MHz/20W)」が開局します。それまでFMはNHKしかなかったなかで初の民間FM局のインパクトは強く浸透は早く、結果として、それまで岐阜新聞の岐阜放送ラジオが行なっていた高山ローカル放送が休止に。そんなHits-FMでは「中日新聞ニュース」が放送されています。岐阜よりも名古屋の影響の方が強いことが見て取れます。
次に開局したのがこの「エフエムたじみ(FM-PiPi)」です。多治見市は名古屋市との結びつきが強い一方で、美濃を代表する都市、岐阜の顔となる都市のひとつでもあります。その背景もあってか、FM-PiPiは史上初の「中日新聞ニュース」と「岐阜新聞ニュース」の両方を流すラジオ局として開局。初の名古屋と岐阜の折衷放送局のなったのです。
このモデルが、その後開局する県域FM局にも影響し、岐阜エフエム放送も同様の形態となりました。
多治見市ではAMラジオ局はいくつも入りますが、FMラジオの環境は良くありませんでした。2016(H28)年11月にようやく改善されましたが、名古屋のFM局は入ることは入るもののクリアに聞くことができず、高山市と同様に、FM-PiPiが初めてクリアに聞けるNHK以外のFM局という存在になりました。
そのため、多治見では「FMといえばPiPi」という印象が強く、県域よりコミュニティが先に開局したことでFMのエリアの概念が薄く、さらに、後に開局した岐阜エフエム放送が、岐阜市ではなく大垣市に本社を置いたことで距離感があるなど、他の地域とは異なる感覚が市民の間に広がりました。
また平日は、再放送を含めて毎日2時間20分と長時間にわたる、多治見市提供の市政情報番組が放送されており、エンターテインメント性がありつつも、公共性の高い放送内容となっています。
FM-PiPiは2012(H24)年5月1日よりインターネットサイマルラジオ放送を開始。これについても、岐阜エフエム放送はずっとradikoに参加しなかったこともあり、岐阜県のFMラジオ局で初のインターネット同時放送実現となりました。
※岐阜エフエム放送はFM GIFUに免許を承継後、2016(H28)年4月1日よりradikoに参加しています。
FM-PiPiは地域初の民間FMラジオ局であり、かつ、岐阜県で初めてインターネットサイマル配信を行なった民間FMラジオ局でもあるというわけです。
今回、FM-PiPiにお邪魔したのは見学だけでなく、ゲストとして出演させていただいたからでした。正午から午後2時まで放送されている「PiPiっとcafe」の金曜日、PiPiっとエンタメのコーナーです。
PiPiっとcafeの金曜日は、名古屋を中心に活躍されているタレントの武田治彦さんが担当です。武田さんといえば、テレビのダメ夫再現ドラマや手芸センタートーカイ「カントリードール」のCMでよく拝見していましたし、最近でもパチンコ店tamakoshiの「いつかは、玉越。」のCMで延々と声が続くリングアナ役で「登場篇」のメインを張っていらっしゃいます。
武田さんによる「あの時代」感たっぷりの選曲と、次々と電話を繋いでの地元の生の情報、中継を織り交ぜてのワイド番組となっているのですが、そのすべてをワンマンで捌かれるのが、さすが老舗コミュニティFM局でもあり、構成作家として在名局でも活躍されていたという、ラジオの表も裏も知る武田さんならではです。
PiPiっとエンタメのコーナーでは、私はどちらかといえば異色でして、普段は武田さんの人脈を駆使し、東海3県で活躍する地元の芸能関係の方が次々と登場。FM-PiPiのなかで最もバラエティーに富んだゲストが登場する時間となっていて、意外な人が登場することも。
そして前述のとおり、名古屋と岐阜の両方の新聞社とパイプがあるため、FM-PiPiの番組表は中日新聞・岐阜新聞どちらの東濃版にも掲載されており、ゲスト紹介として私の名前も両方に載っておりました。嬉しい限りです。
よく「コミュニティFMとは...」と、地域FMをひとくくりに語ってしまうことがあります。私にもあります。しかし、このような地域のメディア事情の背景や、地域の影響を受けている文化圏の違い、開局した順序など、それぞれのコミュニティFM局をとりまく背景はあまりにも違うことがわかります。
隣県の愛知県にあるような、県域の随分あとに開局し、大都市圏にも程近いところにあるコミュニティFM局と、県域よりも先に開局し、影響は受けつつも大都市圏とは一定の距離を保っているコミュニティFM局では、空気も違えば生き方も違ってくるわけです。
岐阜県には、県域でありながら県庁所在地ではなく西濃に本社を置く「FM GIFU」があり、あとはコミュニティFMとして飛騨の「Hits-FM」、東濃の「FM-PiPi」、岐阜市の「FMわっち」に、中濃の「FMらら」と、バランスよくそれぞれの地方にFM局が配置されているため、FM GIFUが県域でありながらも、西濃という地域性が垣間見られるものとなっています。
圧倒的に名古屋だけが求心力をもつ愛知県。一方で、県としてのまとまりよりも、名古屋と岐阜の力加減によって地域によって性格が異なる岐阜県。コミュニティFM局の姿もまた、異なって当然だということがわかります。
★忍者を本気で学術研究
★心・技・体のすべての能力を兼ね備えた存在
★見学時には忍ばなくてもいいようです
この夏、東京の日本科学未来館で開催された企画展「The NINJA~忍者ってナンジャ!?~」が忍者のお膝元、三重県の三重県総合博物館MieMu(みえむ)で開催されていたので行ってきました。
アニメや映画などで存在が知られ、今や世界中からの観光資源ともなっている忍者。しかしその実態は謎ばかり。今回の企画展は三重大学の学術研究などで明らかになってきたものを、実体験できるようにしたものです。
忍者を追体験することで、現代社会を生き抜くヒントも探ろう!ということなのですが、見つかるでしょうか。
※2017(H29)年1月9日までの開催でした
まずは忍者がいろんな作品でどのように描かれているのかを振り返って、ああ、忍者ってそうだったようね!という記憶を辿ったところで、忍者の「やってみよう」です。
相手を指一本で立てなくする方法、重いものを簡単に持ち上げられる井桁動作など、一見すると何か神秘的な力を使っているようで、実は分析されている忍者の動き。展示を見ると単純なようで、真似をしようと思うと単純ではないという不思議。
「忍者ハットリくん」で読んだ記憶があったのが、跳躍力を高めるために行なう修行が、ひまわりの種を植えて、毎日その高さを跳んでいくといつの間にか...なものがハイテクにできるようになっていたり、音を立てるとパトランプが回転してしまう忍び足体験。そして手裏剣修行です。
最初は会場の演出に怖がっていた2歳の娘も、跳躍力修行に夢中になるうちに楽しくなってきたようですが、さすがに全然跳べてはいませんでした。
続いては五感を鍛えます。視る、聴く、嗅ぐ、触る、味わうです。これが結構それぞれにリアルでして、嗅覚は本当に意外とアレがいい香りだったり、そんな匂いをかいで大丈夫かな...なんてものがあったり。感覚を研ぎ澄ますのも忍者の修行ですね。
そして任務の遂行です。あることをすればのろしが上げられるというヒントを探しながら順路を進み、実際にのろしがあげられるかどうか。竹筒で盗聴して情報を聞き取らなければなりません。これが結構な難関です。
ナンジャ大滝は、スクリーンのなかを文字が流れる滝なのですが、そのスクリーンの前に立つと自分の影が登場します。そこでポーズを決めると技が出せます。効果音もあって2歳の娘も夢中でした。自分の影から技が出るのは爽快です。
修行をすべて行なうことで、忍者認定証がもらえます。娘も「忍者のカード!忍者のカード!」と大喜び。跳躍力も手裏剣ものろしもどれもクリアはできていませんが、それなりに達成感はあったようで、それ以降ずっと忍者に親しみを持ち続けています。
ロビーには「変装せよ」と題した大きなパネルが。顔を出すことで変装ということになるわけですが、忍者はどんな姿で世の中にまぎれているかわからないというわけです。
ネット社会もそうかもしれませんね。インターネットはリアルと対比した存在として語られることが多いですが、実はネット上にあるすべてのものはリアルな人間が作り出したもの。リアルでは温厚で優しそうなあの人も、実はネット上では別人格だったりなんて。
インターネット社会は、1億総忍者社会といえるかもしれません。
ちなみにこの「The NINJA~忍者ってナンジャ!?~」は、一部の撮影禁止ゾーンを除いてほとんどの場所で写真撮影が可能どころか、SNSでの拡散を推奨しています。忍びの展示なのに忍ばなくていいのです。
いや、試されているの。これは試されている
★伊勢志摩サミットで使われた円卓は尾鷲ヒノキ
★製作したのは飛騨の家具メーカー
★展示は12月25日(日)まで(2016年)
今年もいよいよしめくくりの12月になりましたが、この地方で大きな出来事といえばやはり、5月26日と27日に開催された「伊勢志摩サミット・第42回主要国首脳会議」です。
各国の首脳とともに、英虞湾の景色や伊勢神宮の風景など様々な映像が世界に発信されたわけですが、最もサミットらしいものといえば首脳会議用の円卓です。11月27日から12月25日まで、その実際の円卓に触れたり、椅子に座ったりもできるということで、三重県総合博物館(MieMu)に行ってきました。
あれから半年、サミットの成果やレガシーを三重県民が共有するために11月27日に開催された「伊勢志摩サミットを契機とした県民活躍シンポジウム」、それに合わせる形で三重県総合博物館(MieMu)では、サミットの円卓・椅子の展示が始まりました。
三重県大好き愛知県民なので、県民でもないのにレガシーを共有しちゃっていいのかな?という気持ちを抱きつつ三重県総合博物館へ。
ありました。サミットの円卓は、3階の情報コーナー横に展示されていて、写真撮影もOKですし、実際に座ることもできてしまいます。まさにあの、新聞やテレビで報じられたサミットの円卓そのものです。当たり前ですね。本物ですから。奥には各国の旗などもそのまま同じ構図で展示されています。
思わず息を飲んでしまうのは、その木目の美しさです。使われているのは三重県産材の「尾鷲ヒノキ」。森林組合おわせCoCグループが管理を行なったものです。日本一雨が多いことでも知られる三重県南部、そして急な地形。一見すると木の生育にはとても厳しい条件なのですが、ゆっくりと長い年月をかけて育つことによって、年輪が緻密で光沢あるものになるそうです。
木目の美しさはその生育環境にあるわけですね。まさに尾鷲ならではの尾鷲ヒノキといえるわけです。ちなみに、地元・三重テレビのニューススタジオのセットも尾鷲ヒノキで作られており、尾鷲ヒノキの香り漂うスタジオになっているとのことです。
そしてこのサミットの円卓を実際に造りあげたのが、岐阜県高山市の家具メーカー飛騨産業。椅子にもヒノキのカバーが施してあることがわかります。これは、金属が露出しないようにとの配慮だそうです。
今年は飛騨も大変注目を浴びた一年でした。三重と飛騨、まさに2016(H28)年を象徴する組み合わせですね。東海地方で魅力的なのは三重と飛騨です!
一方で、こちらも2016(H28)年に大きな話題となった、東海地方の魅力の無い街の話は今回はしません。
では実際に座らせていただきましょう。座れるようになっているのは日本(JAPAN)の席だけなのです。そこに置かれている椅子が、実際に安倍首相が座った椅子なのかどうかはわからない感じではありましたが、安倍首相が座った場所に座って写真を撮ることができるというわけです。
2歳3ヶ月の娘も座らせてみました。2歳でサミットの円卓に座れるなんて、うらやましい話です。当たり前ですけど、サミットの円卓に座るだなんて、自分も初めてですから。
注意事項があります。
「椅子と円卓を接触させないように」
そうですね。傷がついちゃうといけませんからね。
「飲食はできません(ガム・アメ・ペットボトル)」
ガムやアメも思わず口からポロッってのがあり得ますからね。
「寄りかからないでください」
円卓ですからね。ガクンと行っちゃう可能性がありますね。
「展示物の近くでの筆記用具の使用はご遠慮ください」
これもヨロヨロっと行って...ってのがありますからね。
いろんな可能性を考えてのこの禁止項目だということがわかりますね。
それにしても、あれから半年ですよ。その半年でメンバーはもう変わっていますし、当時予想もしなかった次の人が決まっていたりします。サミットの円卓から、世界の半年の時の流れを実感できました。半年で変わるものですね。半年があっという間...なんて言ってたら世の中から取り残されます。
三重県総合博物館での円卓の展示は、12月25日(2016年)までです。
★団塊ジュニア世代名古屋っ子・永遠の憧れレストラン
★一時期の低迷でどうなるかと思いきや
★イマドキなステーキ店になって行列のできるお店としてV字回復
ある世代の名古屋っ子にとって、子どもの頃に憧れに憧れたレストランといえば「ステーキのあさくま」です。愛知県日進市を本拠地とするあさくまは、当時としては先駆的なメディア戦略を次々と展開し、外国を思わせるような白壁に間接照明、濃厚なコーンスープ、分厚いステーキ、花火で演出するデザートと、子どもにとってはまさに夢のような空間でした。しかし...。
今回訪れたのは、10月にオープンした岐阜県可児市の「ステーキのあさくま 可児店」です。可児にはかつて、20年程前にあさくまがありました。ですので再出店ということになります。
20年程前、1990年代までステーキのあさくまは拡大路線をとり続けてきました。最盛期には100店舗を超えるステーキチェーンとして隆盛を極めました。しかし。BSE騒動で大きく遅れをとり、他のステーキチェーンに後塵を拝するようになってしまいます。
同じ名古屋っ子でも、あさくま世代の下は「ステーキと言えばブロンコビリー世代」になってしまうのです。撤退を重ね、最も酷い時には最盛期の3分の1以下の30店舗にまで落ち込みます。
2006(H18)年、厨房機器販売のテンポスバスターズ社の傘下となり、再建の道を歩み始めます。2015(H27)年には創業者である近藤誠司氏が亡くなるのですが、あさくまは今、復活の道を歩み始めているのです。
オープンしたステーキのあさくま可児店に行ってみると、1ヶ月以上が経過しているというのに大行列。見ると、私の同世代が子どもたちを連れて訪れているんですね。
新しいあさくまはかつてのような外観ではなく、この店舗も新築ではありません。内装もそれほどこだわっている様子は無く、あの頃のあさくま感が無いような印象をこの時は受けたのですが...。
見るとサラダバーが。これが充実しすぎなんですよね。サラダはもちろんのこと、カレーもスイーツも食べ放題。自分でたい焼きも焼けちゃいます。そしてもちろんスープも。と言っても具の無いコンソメスープなんかじゃありません。あの、濃厚なあさくまのコーンスープが飲み放題なのです。
つまり、内装やシステムは今の時代に合わせつつも、あさくまのツボは押さえた形になっているのです。
かつてまだ学生だった頃、あさくまで食べるのはきまって「学生ステーキ」でした。今は「学生ハンバーグ」と改名されているとおり、厳密にはステーキではなく成型肉なのですが、それを安価にあさくまのステーキソースで食べられるのはパラダイスでした。
このように、子どもの頃の憧れ、学生の頃の背伸び感、大人になっての達成感と、自分の人生の背景を感じながら、私たち世代はあさくまとともに育ってきたのです。
そして今、子どもと一緒にあさくまに。注文したサーロインステーキの「分厚さ」にあさくまをしっかり感じられました。一見すると見た目小さいのだけれども、分厚い、これでこそあさくまです。
でも、あさくまはハンバーグも最高なのですよね。あさくまグリルなら、ステーキとハンバーグが一緒にいただけます。レモンを絞っていただくステーキとハンバーグ。間違いなくあの頃のあさくまのステータスが今、戻りつつあります。
特にランチであれば、ステーキ(メイン料理)の値段にサラダバー込みとなっていて、なおかつドリンクバーも216円です。サラダバーは単品で1,166円ですから、サラダバー込みのハンバーグ1,382円は、ハンバーグ代が216円ということになってしまいます。
しかも、サラダバーがサラダバーじゃないですからね。サラダに、あのコーンスープに、ライス、カレー、ソフトクリーム、スイーツすべてが食べ放題です。
イマドキな価格設定で、サラダバーにエンターテインメント性がありながらも、ステーキのクオリティはちゃんとあさくま。かつて時代に乗り遅れたあさくまでしたが、あさくまらしさはしっかり残しつつも、時代に乗ったあさくまでV字回復。
2年前の今頃、36店舗だったあさくまは今、54店舗。可児のように「かつてあさくまがあった」街にも復活しつつあります。
「子どもの頃あさくまに連れて行ってもらえるのが嬉しかった」世代の子どもたちもまた「あさくまに連れて行ってもらえるのが嬉しい」時代を迎えたのかもしれません。
★中京テレビが丘陵地から都心へ全面移転
★開局以来のイメージチェンジ・合わせてロゴも変更
★現本社にある「東山タワー」に何やら動きが
東京では、テレビ東京が11月7日に新本社へと移転します。1985(S60)年から31年間本社を置いた虎ノ門(神谷町)から六本木3丁目へ...といっても近所。現在の本社から直線距離で約500メートル、新本社は新しく建設されたビルに入居する格好となります。一方で、まったく違う場所に新たに建設した自前の新社屋に全面移転するのが、名古屋の中京テレビです。11月21日の予定です。
中京テレビは、他の名古屋のテレビ局が都心に局舎を構える中、名古屋の都心から離れた八事の小高い丘に構えた局舎から、1969(S44)年の開局以来ずっと放送を続けてきました。今回建設された新社屋は、名古屋駅から程近い笹島の大規模再開発エリア「ささしまライブ24」に立地。丘陵地の住宅街にあるテレビ局から、名駅に近い都心のテレビ局へ、大きくイメージが変わることとなります。
そして、八事の中京テレビにはシンボルとなっている自前の電波塔があります。移転によってそれはどうなるのか...なんと、移転直前に大きな動きが。
そもそも、名古屋の他のテレビ局がすべて中区や東区といった都心に本社構えているなかで、なぜ中京テレビは昭和区の丘陵地に本社を構えていたのでしょうか。これは、中京テレビが当初、「中京ユー・エッチ・エフ・テレビ」として設立されていることからわかります。
名古屋のテレビ局は、NHK総合(3ch)を皮切りに、CBCテレビ(5ch)、東海テレビ(1ch)、NHK教育(9ch)、名古屋テレビ(11ch)の順に開局しています。ここまでの5局は電波の帯域が「VHF(1ch~12ch)」で、アナログ放送の電波は名古屋テレビ塔から発射されていました。
すると岐阜県のラジオ岐阜が(7ch)での開局を目指し、テレビ局の開設準備を進めるのですが、この時期になると国の方針でVHF帯域でのテレビ局新設は認められなくなり、新たな「UHF(13ch~62ch)」帯域での認可となります。ラジオ岐阜は、日本初の民放UHFテレビ局として岐阜放送と改称して(37ch)で開局、続いて名古屋でもUHF局が放送を開始します。中京テレビ(35ch)です。
VHFとUHFでは電波の帯域が離れており、電波の飛び方もまったく違うことから、UHFでVHFと同等の放送エリアを確保するには3倍の出力で電波を発射しないといけないなど環境が異なり、また、この時点で名古屋テレビ塔は新たな放送設備の増設をするスペースを確保できず、中京テレビは自前でのテレビ塔建設を余儀なくされたのです。
そのため、中京テレビは郊外の昭和区の丘陵地、標高65メートルのところに高さ162メートルの「中京テレビ鉄塔(通称:東山タワー)」を建設。ふもとに本社とスタジオを構えたのです。名古屋テレビ塔が高さ180メートルですから、規模としては遜色ないほどの大きなテレビ塔です。
1969(S44)年3月1日に中京テレビは開局。見てもらうためには、これまでのテレビ塔向けのVHFアンテナとは別に、中京テレビ向けのUHFアンテナを全世帯に別途建ててもらわなければ見られず、苦難のスタートとなりました。
当初中京テレビは、名古屋財界と日本経済新聞資本で開局。名古屋テレビが日テレとNET(現在のテレ朝)の人気番組を混合して放送していたことから、中京テレビは日テレとNETの「人気の無い番組」と、同じ日経系の東京12チャンネル(現在のテレ東)の番組で編成を成り立たせなければならず、朝の放送開始は9時30分、東京12チャンネルのニュースを流さないとニュースが編成できない時間帯があったりと、番組面でも苦難の始まりでした。
ところが紆余曲折あり1973(S48)年4月1日、それまで日テレ系メインだった名古屋テレビがNET系に一本化。逆に中京テレビが日テレ系となり、日テレの番組と東京12チャンネルの人気番組を混合した編成に。さらには苦難のスタートであったことから自社制作意欲も高く、強力な番組ラインナップとなり一気にUHFアンテナ普及率100%を達成します。
その後、テレビ愛知の開局によって日経資本とテレ東の人気番組は明け渡したものの、日本テレビ系の好調さも手伝って、現在では名古屋地区で圧倒的な業績トップのテレビ局へと変貌しました。
名古屋のテレビ局はテレビ愛知を除いて全局、移転や新築を経験しているのですが、どの局も隣接地へ新局舎を建てており、今回の中京テレビのようなまったく違う場所への本格移転は初となります。
テレビ愛知は開局以来ずっと同じ局舎が「大須」にありますし、「新栄」のCBCテレビも、「東桜」の東海テレビも、同じく「東桜」のNHK名古屋放送局も局舎は建て替わっているものの、ずっと同じ地域にあります。名古屋テレビは開局当初、仮の本社を栄に設けていましたが、すぐに「東別院」に移転。地デジ化に伴い新局舎に移転していますが、やはり場所はすぐ横でした。
今回中京テレビは、昭和区の「八事」から中村区の「笹島」へ。名古屋のテレビ局として初の本格移転となるのです。きっとこの先も、名古屋のテレビ局がこのような移転をすることはないでしょう。
今回、中京テレビが新社屋を建設した「ささしまライブ24」地区は、かつて国鉄の貨物駅である笹島駅があった約12.4ヘクタールの場所で、1986(S61)年の貨物駅廃止後は「都心に残された貴重な大規模未利用地」として有効活用が期待されていたのですが、長い間、大規模イベントが行なわれる場所となっていました。
1990年代には「キルメス名古屋」「キルメスファンタジカ」といった期間限定の遊園地が運営されます。2004(H16)年になると、あおなみ線の「ささしまライブ駅」が開業。翌年には愛・地球博サテライト会場として活用され、ポケモンのテーマパーク「ポケパーク」などを展開。350万人を超える来場者がありました。
その後、本格的な開発が進むこととなり、2011(H23)年度に中京テレビが土地を取得。新社屋の建設が決定したのです。
中京テレビはこれまで、番組制作部門は昭和区の本社、営業部門は栄本部と、分散していた機能を新社屋に全面移転。開局以来の本社は使われなくなります。そこで気になるのが、中京テレビ放送鉄塔(通称・東山タワー)です。
実は、中京テレビはもう鉄塔を放送用には使用していないのです。2003(H15)年にスタートし、2011(H23)年に完全移行した地上デジタル放送。地上デジタル放送の電波は全局が「UHF」。名古屋のテレビ局はすべて、新たに建設された「瀬戸デジタルタワー」からの電波発射となり、名古屋テレビ塔、東山タワーともに、テレビ放送の電波を発射するという役目は終えているのです。
しかし、東山タワーは現在も電波塔であり続けています。名古屋地区のFMラジオ放送局「NHK-FM」「FM AICHI(@FM)」「ZIP-FM」「Radio NEO」の4局の電波を発射しているのです。
一方で、AMラジオ局によるFM補完中継局(ワイドFM)の電波は、ここからは発射されていません。瀬戸市の三国山山頂にある送信所から電波が出されています。
中京テレビは移転するにあたって、この東山タワーをどうするのか?FMラジオ局にどこか別の場所に移ってもらって、タワーは取り壊すのではないか?三国山に一本化すればそれが可能ではないか?といった憶測もあったのですが...。
2016(H28)年10月、NHK名古屋放送局からひとつの発表がありました。「FMラジオの放送用アンテナ等を新しい設備へ切り替えます」まさか...やはり...と思ったら。
なんと、NHK-FMとFM AICHI(@FM)、ZIP-FMのアンテナが、これまでの東山タワーの上部から、先端部へと移設されることになったのです。かつて中京テレビの送信アンテナがあった場所にZIP-FMとFM AICHI(@FM)、そしてNHK-FMのアンテナが新設されています。
中京テレビが本社を移転するこのタイミングで、FM局がわざわざ東山タワーの先端部に送信アンテナを移設。これはつまり、中京テレビ移転後も東山タワーは存在し続けるという意思表示ともとれます。中京テレビの本社は無くなりますが、送信鉄塔はこれからもあり続けることになりそうです。
発表どおりに進んでいるのであれば、11月21日より「笹島新社屋」からの放送となる中京テレビ。長年使われてきた「U 中京テレビ」というロゴマークから、「C CHUKYO TV」という新しいものに変りました。
ただ、キャラクターはこれまでどおりチュウキョ~くんが活躍するようです。人気高いですからね。
ロゴ変更は社屋移転のタイミングではなく、既に変っており、現社屋のロゴもすべて一新されているのですが、なぜか、現社屋のニューススタジオにある「NNN 中京テレビ」というパネルだけは、中京テレビの文字も旧ロゴ、さらに「NNN」のロゴも旧ロゴと、歴史を感じさせてくれます。まもなく見納めです。
よく、テレビ局は「移転のジンクス」が言われます。新社屋に移転すると、視聴率や業績がダウンし、不祥事が起きる...。しかし、キー局の日本テレビの好調ぶりはとんでもないですし、中京テレビには無縁かな?という気もしますが、どうでしょう。それに中京テレビにとってこれはただの移転ではなく、いくつも背負っていた十字架の最後の一つからの解放になるのです。
中京テレビの新社屋横には公園が建設されており、そちらに向けて大型モニターもあり、憩いの場となりそうです。毎年夏に黄色いTシャツを着て行なわれる恒例の長時間特番にも活用されることでしょう。栄との兼ね合いがどうなるのかは気になるところですが。
開局から47年。「不人気番組を押し付けられたテレビ局」「アンテナを別途建てないと見られないテレビ局」「郊外の丘陵地にあるテレビ局」と、3つの十字架を背負ってスタートした中京テレビ。日本テレビ系列に一本化したことで人気番組を放送できるようになり、地デジ化によって電波的に他のテレビ局と同じ条件となり、2つの十字架をおろしました。そして最後の十字架を今、ようやく降ろすときが来ました。
周囲はまだまだ工事真っ只中。ビルに囲まれるような形になるかもしれませんね。そうなると、今のような形で中京テレビの本社の姿を見ることができるのは、期間限定かもしれません。
華々しいスタートダッシュを切りそうですね。
その本社移転のタイミングが、テレビ東京とほぼ同じというね。かつて日本経済新聞社資本で、東京12チャンネルの番組を数多く流し、また、中京テレビの最初のヒット番組「お笑いマンガ道場」を東京で最初に放送したのは東京12チャンネルだったということが、何か因果のような気もしないではありません。
昨年、ご縁があって中京テレビの社屋に入らせていただく機会があったのですけれども、最後の最後に体感できてよかったです。ぜひとも、新社屋も見てみたいなあ~と、ここでアピール。
★全国ネットの番組に出演するためにテレビ朝日の第1スタジオへ
★収録後はアトリウムでテレビ朝日を体感してきました
★「第3の開局」と言われたこの新社屋への移転から13年
少し前のことになりますが、テレビ朝日の番組に出演させていただく機会がありまして、六本木本社のスタジオでの収録に臨んだのですが、その際に、テレビ朝日の見学スペースなども見てきました。
テレビ朝日は「遊びにおいでよ!テレビ朝日」として、アトリウムを普段から一般開放しており、かなり広い番組PRスペースが確保されています。テレビ朝日が現在の本社に移転した時に開催された「新テレアサ誕生祭」には遊びに訪れているのですが、まさかそれから12年。出演目的でここへやってくる日が来るとは...です。
テレビ朝日が現社屋に移転したのは2003(H15)年、当時は「第3の開局」として社名を変更し名実ともに「テレビ朝日」になった瞬間でした。ちょうど今、別の局が移転して「第3の開局」を迎えるこの瞬間に、あえてテレ朝を紹介してみようという趣向です。
テレビ朝日の本社にやってきますと、入口にはパンダの姿が。テレビ朝日のマスコットキャラクター「ゴーちゃん。」です。もちろん、テレビ朝日のリモコンポジション「5」にちなんでのゴーちゃんでして、正式な名前は「ゴーエクスパンダ」。
関東ではおなじみのキャラクターですが、特に名古屋は系列局のリモコンポジションも「6」ということもあってか、テレビの画面上で見たことはほとんどありません。新鮮です。
今回は「名古屋文化に詳しいライター」として、名古屋の独特な文化を解説という番組出演依頼でやってきまして、収録前は緊張しすぎて見学スペースを見て回る余裕もありませんでした。そんなとき、心を落ち着けてくれたのが「毛利庭園」です。
池を中心に、滝、渓流、川のせせらぎが広がる回遊式の日本庭園は、都会のなか、しかも六本木ヒルズのなかにあるとは思えない贅沢な落ち着きの空間。江戸時代に大名屋敷の庭園として誕生。忠臣蔵で描かれている、元赤穂浪士47人のうち10人が預けられた屋敷の一部であったり、のちに明治時代の陸軍大将「乃木大将」の誕生地でもあります。
戦後はニッカウヰスキーの東京工場となり、1977(S52)年に全国朝日放送の敷地に。当時はその経緯から「ニッカ池」と呼ばれていました。そしてこの地は2003(H15)年4月に六本木ヒルズとなり、今の「毛利庭園」の形となるのです。
キー局のスタジオで収録される、全国ネットの番組で名古屋のことを話すだなんて、もう、ある意味討ち入りみたいなものですからね。いや、愛知県民にとって吉良氏は名君です。リベンジみたいなものです。緊張で思考も意味不明です。
無事に、第1スタジオでの番組収録を終え、控え室でお弁当とお茶をいただきました。「これが、テレビ局の弁当かあ...」と、ようやく緊張も解けてしっかりと焼肉弁当を味わうことができました。ただ、現実味はまだなくフワフワした気持ちのまま、スタジオを後にします。
さあ、収録前は緊張して見られなかった、テレビ朝日のアトリウムを見るぞ!と思ったら、もう夜でした。アトリウム自体は午後8時30分まで(日曜は午後8時まで)開放されていますので見ることができたのですが、ショップの営業が終わっており、人影はありませんでした。
せっかくですから見て行きましょう。
まず目に飛び込んできたのが、テレビ朝日の1週間の基本番組表です。テレビ朝日といいますと、ゴールデンタイムに3時間ぶち抜きの番組編成が多いですよね。その手法で業績もグーンと上がったという印象もあります。特に月曜なんかは、毎週別の番組を3時間編成で3週おきに放送するなんて感じなのですが...。
基本番組表としては、すべて1時間番組として毎週放送されているという形になっているのですね。実際に1時間番組として放送されたことがあるんだろうか?
テレビ朝日のアトリウムは、全面ガラス張りで6階相当までの吹き抜け空間。数々の番組や、テレ朝系のBS・CSをPRする巨大バナーがたくさん掲げられているほか、「テレアサストリート」には番組紹介ブースもありますので、好きな番組ブースの前で記念撮影ももちろんOKです。
特に、アニメや特撮は子どもたちにとってたまらないでしょうね。今はアニメといいますと他のチャンネルも思い浮かべがちになりますが、僕らが子どもの頃は、子ども向けアニメと言えば圧倒的にテレビ朝日でした。
テレビ朝日のアニメの代表格といえば「ドラえもん」ですよね。アトリウムには「のび太の部屋」が再現されています。まあ当然ことですが、狭いですね。タイムマシンになっている勉強机や本棚、ドラえもんが寝床にしている押入れも再現されています。手前の座布団で寝転んで写真を撮ることも可能ですが、夜で周囲に誰もおらず、スーツ姿でしたので遠慮しました。
このときは「どこでもドアから出てきたドラえもん」もいました。あらためて立体造形で見ると、ドラえもんってかわいいですね。あまりに子どもの頃から見慣れていたせいか、そういう意識はあまりしていなかったのですが。ケモノとしてもいい感じです。
数々の番組ディスプレイのなかで、大きな存在感を放っているのが「徹子の部屋」のセット再現です。大きさとしても存在感がありますが、実物大の黒柳徹子さんがいらっしゃるのがもう、人形なのにオーラ出てますね。
番組に出演した気分が味わえます。「徹子の部屋」は1976(S51)年2月2日にスタート、40年です。番組開始時、このテレビ局は「日本教育テレビ(NET)」でした。それが翌年に「全国朝日放送(ANB)」の社名変更、通称・テレビ朝日となり、この新本社に移転した2003(H15)年に社名が「テレビ朝日(EX)」となったという流れですね。
では、じっくりとテレビ朝日のマスコットキャラクター「ゴーちゃん。」に関する展示を見てみます。まずは「ようこそ!tv asahi/」とお出迎えのゴーちゃん。
ゴーちゃん。ことゴーエクスパンダは2011(H23)年に誕生。サンリオとの共同開発です。日本教育テレビ時代を含め、それまで局に公式マスコットキャラクターはおらず、初代となります。5チャンネルの「ゴー」と、社名をテレビ朝日として新たな略称となった「EX」を合体して「ゴーエクスパンダ」。エクスパンダ星の王子です。
テレビ朝日といいますと、「わが家の友達10チャンネル・テレビ朝日」という社歌のイメージが非常に強く、カクカクした「10」マークは地方でも印象的でしたからね。2003(H15)年スタートの地デジ化による「5チャンネル」へのイメージチェンジは大変だったことでしょう。ゴーちゃんにはその重責が背負わされています。
さすがテレビ朝日の吹き抜けアトリウムですね。巨大なゴーちゃんもいました。いやほんと、「呼んでくれてありがとうゴーちゃん」と心から感謝の意を心の中で伝えます。声に出したら完全に不審者です。
もちろん、スタジオ部分に入るにはセキュリティチェックがすごいのですが、それでも、アトリウムと中はガラスで仕切られている部分があったりで、スタジオへ向かうエレベーターが見えたり、よくある、高視聴率を伝える張り紙なんかも見ることができて、リアルなテレビ局感に触れられるのは驚きですね。本当に開かれています。
さあ、記念にゴーちゃんグッズを買って帰るぞ!と思ったら、テレアサショップは夜7時で閉店済。でも大丈夫です。東京駅の八重洲口地下1階「東京駅一番街・キャラクターストリート」にあるテレアサショップは夜8時30分までやっています。
クリアファイルに、かりんとう、ボールペンと買いまして、ステッカーもですね。ほんと、すっかりかつての「テレビ朝日」から「tv asahi」にイメージ変わりましたよね。
ちなみに、このテレアサショップにはゴーちゃんグッズだけでなく、放送されているアニメのグッズや、バラエティ番組グッズ、さらには「tv asahi」のロゴグッズなんかもあったりします。前に来たときには、系列局のキャラクターグッズなんかもありましたね。
あらためて、呼んでくれてありがとうゴーちゃん、また名古屋ネタで何か呼んでいただけたら、嬉しいです。まさに「わが家の友達5チャンネル」と言いたいところなのですが、こちらだとそれはTBS系列になってしまいまして、「わが家の友達6チャンネル」って感じなのですが、そう書くと、東京ではTBSテレビってことになっちゃうというね。
今度移転するバナナなテレビ局にも、こういうスペースを期待したいところですが、あちらはテナントビルに「入居」なのでしたっけ。
★総力戦のファイナルシリーズを見にきたはずでした
★マジカルフォークの岩田投手・引退登板
★気になったのはあの流通グループの広告チェンジ
9月24日、ナゴヤドームに阪神戦を見に行ってきました。24日(土)と25日(日)の2連戦で今シーズンは本拠地での試合日程は終了、「ファイナルシリーズ」と銘打たれ、「ファンと共に最後まで、総力戦で勝利を!」と書いてありましたが、この2連戦はファイナルでも別の意味のファイナルでもありました。
中日と阪神は直接対決なのです。まさにこの2連戦は天王山。はい、どちらが「ドベ=最下位」になるかが、かかっているシリーズです。
この2試合を中日ドラゴンズが落とせば最下位確定。本拠地でのドベ確定となっては完全に「ドベゴンズ」ですので、「総力戦で勝利を!」という言葉を期待して見に行ったのですが、先に結果を書きますと、吉見投手の先発でしたが負けました。
2回表に原口選手のソロホームラン、3回表に北條選手のソロホームラン。パカンパカンと2点。そのまま完封負けです。
それでも、ファイナルシリーズとしての演出もありまして、わざわざ特設のボードまで用意されていました。大野雄大投手と、平田良介選手の写真パネル。雨ということもあって、一緒に写真を撮っている人の姿はまばらでしたが、この2試合のシリーズのために作ったのですね。
さらに風船で作られたアーチもありましたが、雨の中シュールに濡れていました。
この試合で、7回表に吉見投手から代わってマウンドに上がったのが、前日に引退を発表した岩田投手です。
メッセンジャー選手をショートゴロに打ち取り、投げ終わると、阪神の上本投手からと中日の岩瀬投手から花束が渡され、最後の登板となりました。
岩田投手と言えば魔球。最後のマウンドでは「マジカルフォーク」を見ることは叶いませんでしたが、最後の登板見られてよかったです。お疲れさまでした。
気になったのは、ナゴヤドームのなかにある広告のひとつです。見慣れないコンビニのマークが。
かつて「ユニーグループ・ホールディングス」の広告だったところに、あのコンビニのマークがありました。ファミリーマートです。9月1日に統合されましたからね。
しかし、新会社の名前が書いてあるわけでなく、「サークルK」「サンクス」「アピタ」「ピアゴ」のマークに「ファミリーマート」が加わり、5つのマークが並んでいるだけなので、あたかも、ユニーグループにファミマが加わったかのような錯覚を楽しめました。
実態は逆でしょうけどね。
はい、この日は2対0で完封負け。翌25日も4対1で破れ、「ファンと共に最後まで、総力戦で勝利を!」と銘打ったファイナルシリーズは両方とも負け。本拠地最終戦で中日ドラゴンズは最下位が確定するという事態に。
球団創設80周年の記念イヤーに、ナゴヤドームの最終戦で80敗目を喫し、最下位が確定するという、絵に描いたようなドベで今シーズンが終了しました。
今年は、勝ち試合を2試合見ることができただけでも幸運だったと言える雰囲気。
9/24 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
阪神 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
★白くて丸いお月見だんごはリアルでは見たこと無い
★名古屋のお月見団子のカタチはしずく
★色は3色・白とピンクとそして...
マンガやイラストでよく見かける「お月見団子」といえば、色は白くて、形はまん丸。それがピラミッドのように山積みになっている...というイメージなのですが、名古屋っ子にとってはそれはイメージのなかだけのお月見団子。
実は、お月見団子は地域によって差があり、白くてまん丸なのは関東、これが関西になるとお餅があんこで包まれて赤福状になったりするそうで。
名古屋のお月見団子は、形はしずくで色は3色。ずっと何の違和感も別の印象も持っていなかったけど、確かにその形でその色は...よく考えたらなかなかのものだった...。
お月見団子。全国的にはいろいろとスタイルがあるようですが、東名阪を比べてみますと、関東と東北南部がよくイラストで見る「白丸」タイプで、東北南部と神奈川県ではそこにあんこが入っているそうです。
なんとなく、あの「白丸」のお月見団子はプレーンのイメージがありましたが、なかにあんこを入れる地域もあるのですね。
そして大阪とその周辺はあの白丸が里芋の形になってあんこで包まれるのだそうです。赤福っぽい感じになるわけですね。あんこは月に雲がかかっているイメージだとか。
名古屋のお月見団子と言えば「しずく型」です。しずくをさらに細長く伸ばした感じの形状です。名古屋は十五夜を「芋名月」と呼んでいて、里芋を供えていたことに由来してこの形と言われているのですが、里芋の形というよりやっぱりしずくですね。里芋のイメージだったものがデフォルメされていったという感じでしょうか。
さらに、まるで3色団子かのように「白」「ピンク」そして緑...ではなく「茶」の3色で揃えるのが定番となっています。
この茶色なところが里芋由来をよく表していますね。お店で売られているお月見団子も当然このスタイルですし、わが家では子どもの頃に母親が手づくりしてくれたお月見団子もこれでした。
なので、子どもの頃はあの白丸のお月見団子は、どこに行けば手に入るのだろう?と不思議に思ったものですし、地域性の違いだとは気づいていませんでした。
さらに違うのが食感と味です。そもそも、お月見団子と呼ばれているにもかかわらず、名古屋のお月見団子は素材も味も団子ではありません。ういろうと同じ材料で作られています。つまり、東京で言うところの「すあま」です。
なのでしっかり甘いんですね。ピンクは色が付けられているだけなので白とピンクは同じ味ですが、茶色だけは黒糖なので味の違いがあります。
この「しずく」な名古屋のお月見団子。しずくといえばそうなんですけれども、違うものにも見えなくはないんですね。
今やインターネット時代です。この名古屋のお月見団子をネットにあげて、つっこまれて初めて思いましたよ。
「茶色のお月見団子、あかんでしょ。その細長い形で茶色って...。」
幼い頃からこれが当たり前でしたからね。そんなこと思ったこともありませんでした。確かに、ビジュアル的にはなかなかなものですよ。予備知識の無い状態で見たら、里芋というよりはそっちですよね...。
はい...、茶色のお月見団子で、黒糖のほろ「苦さ」をお楽しみください。
名古屋のお月見団子が「団子」ではなく、形だけでなく他の地域とは素材すら違うと知り、さらにあのよくイラストで見るお月見団子を一度、食べてみたいのですが、名古屋では売ってるのを見たことがありません。やっぱり。
★郡上で人気の恐竜体験施設が名古屋にも進出
★歩いて森のなかを探検しながら動く恐竜に遭遇する
★まだこれでプレオープンだったらしい
恐竜の模型が映っているテレビを見た、2歳になったばかりの娘が「恐竜見に行きたーい」と言うので、「そういえば大高緑地に、恐竜広場があったよな...」と調べてみると、大高緑地に動く恐竜のテーマエリアがプレオープンしているではありませんか。
2016(H28)年7月1日にプレオープンした、その名も「ディノアドベンチャー名古屋」。さっそく行ってみました。緑地公園のなかにできたテーマエリアで、しかもまだプレオープンでしょ?と思ったら...。
「岐阜県郡上市では恐竜の目撃情報が後を絶たない...」という触れこみで人気の、N.A.O.明野高原キャンプ場にある「ディノアドベンチャーライド」。森林のなかでライドに乗って恐竜に遭遇するスタイルで、その恐竜のリアリティがすごいと話題に。多くのテレビ番組でも取り上げられてきました。
そのディノアドベンチャーランドが名古屋に進出。民間事業者を活用しての大高緑地の新たな公園設備として、樹林を活かした遊戯施設「ディノアドベンチャー名古屋」が登場したのです。
とはいえまだこのときはプレオープンしたばかり。どんなものかと行ってみると、まず入口からして雰囲気が違います。公園のひとつのコーナーという感じではなく、恐竜が見えるわけではないのですが、明らかにこの先の森に「何かいる」という空気がよく出ています。
そのせいか、それまでは「恐竜さん、恐竜さん」と言っていた娘の顔色が変わり、「すべり台する」とその場を離れようとします。なので、まずは芝生広場で大高緑地に慣れさせてからにしました。
しばらく遊ぶと娘も落ちついて、「恐竜さん見に行く」と言うのでようやく探検です。
では入場料を払って恐竜探検に出発です。恐竜の棲む森への探検という形ですが、歩く場所は舗装もしてあり幅も広く取られているので歩きやすさは大丈夫です。ただしやはり森ですので、高低差は結構あります。ベビーカーでも大丈夫そうですが、坂道に気をつける必要があります。
まずはトカゲのような「アロサウルス」が登場!確かにこの造形はすごい。本当に生きている恐竜かのような質感です。
さらに、それぞれの恐竜の足元などにはセンサーが配されていて、それぞれの恐竜は近づくとアクションが起きるようになっています。ここでもやはり最初は「ビクッ」となっていた娘も、次第に慣れていき、恐竜と一緒に「ガオーガオー」と大興奮です。
ライド型で恐竜を見るのもアトラクションっぽくて楽しいのですが、コースを自分たちのペースで歩くことで、次から次へと恐竜に遭遇する形だと、より探検感が強いですね。
娘も、恐竜を1体ずつそれぞれじっくりと観察して、「お口が大きいねえ」「尻尾があるねえ」「恐竜さん何か食べてるねえ」といろんな発見ができました。
なかには子育て中の恐竜もいたりと、物語性も感じられます。ただ、夏場は虫除けや熱中症対策はしっかりと。コース内にはトイレはありません。飲食も水分補給以外はNGですので、あらかじめ覚悟を決めて探検に出ましょう。
ただし、写真はどれだけでも撮ってOKです。娘も最後には恐竜たちと仲良く...と言いたいところなのですが、打ち解けはしたものの、最後まで「抱っこ」から降りることはできませんでした。やっぱり、本物感すごいからね。
コース外には恐竜の関連グッズを売っているショップもあります。娘は、お風呂に入れると中からかわいい恐竜が出てくる、入浴剤の「お風呂恐竜たまご」をチョイス。やっぱり、かわいい恐竜のキャラクターに惹かれるのね。
家族で行きましたが、想像していたよりも本格的で驚きました。テレビで見ても恐竜のリアルさは感じましたけど、実物はそれ以上ですね。それにやはり、自分たちが近づくことで動く、吠えるという「探検」はいくつになっても楽しいものです。
ここはセンサーがきっかけで恐竜が「ガオー」となりますが、わが家でも何かをきっかけに「ガオー」となることがあります。そちらのセンサーは触れないように気をつけたいものです。
2016(H28)年7月1日にプレオープンした「ディノアドベンチャー名古屋」ですが、11月3日にパワーアップオープンするそうです。これまで12体だった恐竜は18体に。1.5倍です。それに合わせて入場料金は大人800円、中学生以下600円となります。
そして、郡上市の「ディノアドベンチャーライド」は10月末をもって営業終了だそうで、つまり、目撃情報が後を絶たなかった郡上の恐竜たちも、名古屋にズンズンとやってくると、そういうことですね。
★つけてみそかけてみそ vs 献立いろいろみそ
★パッケージが遠慮してる?献立いろいろみそ炒飯
★味噌の黒い粒が混入していても問題ないというかそういう商品だから
名古屋といえば味噌。なんでもかんでも味噌をつける...というイメージを端的に表しているのが「どの家庭にもチューブ入り味噌が常備されている」です。
そんなチューブ入り味噌市場には、かなり前から2社が参入していて、これまでは両社が互いに意識することは無かったのですが、今、静かに覇権争いが勃発。特にイチビキが広告で、そしてコラボで攻勢を仕掛けています。
そのコラボなのですが、味噌の炒飯はまだわかります。味噌のアイスってどういうことだ...。
他の地方には微塵も無い一方で、名古屋においては大きな旨みがある「チューブ入り味噌市場」。参入している味噌大手2社は次のとおり。
・つけてみそかけてみそ(ナカモ)
・献立いろいろみそ(イチビキ)
どちらもテレビコマーシャルなどで長年アピールし続けているのですが、名古屋土産として定番になっているのはナカモ。一方で、実際にスーパーで良く買われ、地元民に定番になっているのはイチビキです。
しかし、ナカモのほうがイメージが強く、「つけてみそかけてみそ」というネーミングの良さから、チューブ入り味噌の代名詞ともなっています。
そんなイメージを打破しようとイチビキは最近、これまでにない動きをしています。
イチビキは「献立いろいろみそ」シリーズ、全アイテムのパッケージデザインを2016(H28)年4月に一新。さらに、「調理みそで売上No.1ブランド」という事実を前面に押し出し、新聞広告でも「売上ナンバーワン」を大きくアピールするようになりました。
イチビキのサイトによりますと、これは「その他味噌」市場で、2014(H26)年3月から2015(H27)年12月の累計販売金額がトップだったそうで、1995(H7)年発売であることもアピール。
発売21年目となった2016(H28)年を「献立いろいろいみそブランドの存在感を高める」年として位置づけています。
そうなんです。「献立いろいろみそ」の売上自体は既にナンバーワンなわけで、さらにブランドの存在感を高める...それはつまり、「チューブ入り味噌といえばつけてみそかけてみそ」というイメージを打破したいということなのです。
そこで登場したのが、コラボ商品。
東海地区のイオングループ限定で登場したのが「献立いろいろみそ炒飯」です。
「みそ15%使用。香る味噌!深まる味噌!味噌の甘さ引き立つ限定特製炒飯」。パッケージの表面に、6つも「味噌・みそ」の文字が躍り、炒飯そのものよりも、味噌の文字と「献立いろいろみそ」のパッケージ写真が目立つデザインとなっています。このとき、そこには注目していなかったのですが、あとあと意味がわかりました。
それにしても。炒飯なのに、15%が味噌ってすごい割合ですね。
製造しているのは熊本県の「ユーユーフーズ」。裏面にもわざわざ「原材料の配合割合:みそ加工品 15.0%(仕込み時)」と書いてあります。
作ってみました。なんという色でしょう。名古屋の人だけが「うまそー」と思えるほどの本格赤味噌ビジュアル。アプリでどれだけ写真を加工しようとも、味噌まみれご飯でしかありません。
名古屋っ子にはたまらない味であることは間違いなし。15%が味噌なんですから、おいしいに決まっています。
食べ終わったあとの皿の汚れ具合も、味噌です。
パッケージの炒飯写真、明らかに色が薄いですよね。別物っていうくらいに。「写真はイメージです」で、ウリである味噌分を薄めてあるというね。ウリを薄めるって珍しいですよ。でもこれ、リアルな色にしたらパッケージの印象全然違うわ。赤味噌料理は写真が映えない宿命を背負っています。
デザートにはこちら。同じく東海地区のイオングループ限定「献立いろいろみそアイス」です。アイスですよ。味噌の。
販売しているのは福岡県のセリア・ロイル。しかし製造しているのは北名古屋市の日進乳業ということで、愛知と福岡を往復していますね。なぜか。
献立いろいろ味噌の混入...じゃない、風味薫るアイスミルクのなかに、餅状のソースが入っています。
さらに注意事項が。「アイスの中にみそ由来の黒い粒が入ることがございますが、品質に問題ございません」
まあ、そうでしょうね。味噌の粒が入っていても、問題はないでしょう。味噌のアイスなんですから。
食べてみますと、これガチですわ。ちゃんと味噌してます。本当に味噌のアイスです。
これきっと、「とうとう名古屋は味噌をアイスにしてしまった!」と騒いでもらうことが狙いなのでしょうね。しかもその狙いは、イチビキですよ!献立いろいろ味噌ですよ!という、イメージのアピール。
だったら、全国に販売してイメージを高めればいいのに...と一瞬思いましたが、東海地区以外で販売しても、「うわあ...」と思われてネタ用に買われるだけで、きっと割りに合わないのでしょうね。
イチビキの「献立いろいろいみそブランドの存在感を高める」コラボ。今後も期待しています。最初からアイスに手を出すくらいですから、今後はもっとすごいの来ますか?「献立いろいろみそコーラ」とか「献立いろいろみそケーキ」とか。
★機動性高く・報道部のすぐ横にスタジオとサブが隣接
★美術が細かい!奥行き感はこうやって出しているのね
★「伝えたい」思いあふれる地元目線のニュース
9月6日に東海テレビ「みんなのニュースOne」で放送された「行ってみたらこうだった "名古屋走り"ホントにある?」で、名古屋走りがなぜ生まれるのかについてコメントをさせていただきました。
東海テレビにお邪魔してお話をさせていただいたのですが、やはり昔からテレビ好きな私としては、「ニューススタジオを見てみたい...な」という思いが隠せず、伝えてみたところ快諾いただけまして...、今回は、東海テレビのニューススタジオ見学編です。
東海テレビのニューススタジオは「東桜一丁目Nスタジオ」と名づけられていまして、報道フロアのすぐ横に、スタジオとサブ(副調整室)が並ぶ格好になっています。通常、スタジオとサブは別の階にあって、サブからスタジオを見下ろす格好になっていることが多いのですが、機動性が重視され隣り合っています。
報道フロアのなかにあるスタジオといいますと、天井が低く狭いイメージがありますが、そんなことはありません。天井も高く、これならかなりカメラが引いても、天井の照明が映ることはありませんね。
ニューススタジオでよくあるのは、角の部分を使うことでぐっと奥行き感を出すという手法です。もちろんそれもありますが、東海テレビのニューススタジオは、テレビで見ていても、平面の部分にもしっかりと奥行き感が出ていると常々感じていました。
実際に見てみますと、レイヤーかのようにセットが重ねられていて、それぞれに小物が置かれていることで、奥行き感を出しているのだなということがよくわかります。
そしてその小物へのこだわりがすごいですね。これほとんど映らないだろうに...というところにも、番組のタイトルである「ONE」の文字があちこちに。マグカップだったり、テーブルだったり。
フジテレビ系列の夕方ニュースは「みんなのニュース」というタイトルになっていますが、東海テレビではその文字は小さく「みんなのニュースOne 東桜一丁目テレビ」というタイトルになっていて、ツイッターでの番組ハッシュタグは「ニュースONE」。「ワン」が前面です。番組のロゴデザインやテロップの配色なども白と青を基調とし、東京とは色合いも違い、独自感を強く出しています。
ローカルの時間帯は、トップニュースと、17時20分~53分、18時14分~ラストとなっていまして、月曜の17時台や、18時台のラストに全国区の素材を使うことはありますが、そのほかは基本的に地元ニュースです。
18時台は王道のローカルニュース。東海テレビは昔から、検証型の報道を得意としていると感じます。世間の注目を集めている大きな問題から、なかなか光の当たらない社会の影の部分まで、ぐっと掘り下げてじっくりと伝え、しかも一方的な押し付けではなく、あくまでも「視聴者に考えさせる」構成という印象です。
一方の17時台は、中日新聞と連動した、この地方で暮らす人々のスケッチのほか、「行ってみたらこうだった」は、名古屋そして東海3県目線にこだわった地域ネタが多いのが特徴です。
「学校のキャンプでトーチトワリングをやるのは愛知県だけ」「ところてんを一本箸で食べる?」「東海3県の2番目は岐阜?三重?」「愛知県の第2の都市は『刈谷』」といったものから、今回のような「名古屋の定説」を検証するものも。
なかでも、これこそテレビ局じゃないとできないだろうなというのが「境界線シリーズ」です。「大あさりを食べているのはどこまで?」「冷やし中華にマヨネーズをかけるのはどこまで?」などなど。
放送好きにはたまらなかったのが「東海テレビが見られているのはどこまで?」三重県の伊賀地域では東海テレビも関西テレビも見られているという実態を、当事者の東海テレビが取り上げたことはとても珍しいことですし、営業サイドとしてはそれはどうなんだろ...と勝手に心配したりしてしまいました。
私は三重県が大好きで、三重テレビのニュースは毎日録画してチェックしていますのでそれは別としまして、東海エリアのニュースに関しては、私はかつてザッピング派でした。しかしこの「みんなのニュースOne」のなかで、福島キャスターが1対1で対談するコーナーがありまして、そこで、どう見ても本音を話されていたのですよね。
そういえば、この番組が始まる前、福島アナはフィールドキャスターとしてずっと現場を飛び回り、そしてこの番組を担当されるようになってからも、午前中の事故現場を自身でレポートしていたりと、「伝えることへの情熱」と言いますか、感化されるものがありまして、それ以降わが家では「One」を見ることが多くなりました。
そこで気づいたのが、以前からの社会派の報道はもちろん、17時台の地域文化ネタからもひしひしと感じられる、圧倒的な地元目線の強さです。
さらに、午前中の生ワイド「スイッチ!」(9:50~11:15)が放送されているAスタジオも見させていただいたのですが、ひとこと、すごい。
広いスタジオに凝りに凝ったセット。美術さんどれだけこだわっているのだろう...と。こちらも、絶対に映らない場所にまでスイッチの文字が入っていたり、「スイッチ」という雑誌が置かれていたり、芸術作品ですね。そういえば、日曜午後の「スタイルプラス」って、セットで賞を獲っていましたよね?
放送大好き人間としては、こうやって東海テレビのスタジオを見させていただける日が来るとは思っていませんでした。そして、17時台に出させていただけるとは。
そうですよ、私は学生の頃も、17時台はあっちではなく、「パコパコチャンネル情報発信局」を見ていましたからね。そうだ、その当時、その番組を担当されていた庄野キャスターと同じ枠で出させていただけたんですね。本当に感慨深いです。
★台湾のサークルKはこれからも無くならない!
★台湾のサークルKには寿がきやのカップヌードルが充実!
★台湾のサークルKはポイントがポンタ・サークルKポンタがいる!
8月31日をもって、会社名としては消滅した「サークルKサンクス」。店舗ブランドも順次「ファミリーマート」に切り替えられ、店舗名としてのサークルKも2018(H30)年2月末までに消滅することになっています...と言っても、それは日本だけの話。
日本におけるサークルKの起源は、アメリカのサークルKと名古屋のユニーがライセンス契約を交わし、1979(S54)年に「サークルケイ・ジャパン」として出店したことが始まりです。現在、アメリカのサークルKはロゴを変更しており、日本のサークルKのロゴは、アメリカ人にとっては「旧ロゴ」で懐かしさを感じるそうです。
そんなアメリカのサークルKも1990(H2)年に一度破産するなどし、現在はカナダのコンビニの傘下にありますが現存。また、アメリカと日本以外にも各地に店舗があります。なかでも注目は台湾です。
さっそく、台湾のサークルKに急行してみると...。なんと、同じ名古屋を発祥とする寿がきやのカップラーメンが置いてありますし、あの、ポンタが、サークルKの制服を着ているではありませんか!あれ?サークルKってポンタだったっけ?
台湾には4つの大手コンビニチェーンがあります。セブンイレブン、ファミリーマート、ハイライフ、そしてサークルKです。現地の方にお話を伺いますと、かつてはもっと多くのチェーンがあり、淘汰されてこの4つになったとのことで、日本に似た流れではあります。
店舗数の順に見て行きますと、1位のセブンイレブン(統一超商)は、台湾最大手の食品企業である「統一企業」が1978年にスタートしたコンビニエンスストア事業で、独自キャラクターのOPENちゃんが人気を集めており、OPENちゃんを使ったキャンペーンやイベントを行なっているほか、OPENちゃんを全面に押し出した、オブジェなどが満載の旗艦店もオープンさせています。日本の電通がキャラクターの企画・デザインを行なっていますが、あくまで統一企業のキャラクターであり、経営母体の違う、日本のセブンイレブンで使われることはありません。
2位はファミリーマート(全家便利商店)。こちらは1988年に設立。セブンイレブンとは対照的に、100%日本資本の「独資」の形で進出したため、当初は苦戦を強いられたものの、現在は逆に日系企業であることを全面に押し出し、フェアなども含め、日本色の強い立ち位置となっています。
3位はハイライフ。1989年設立で、唯一の台湾独自資本・独自ブランドで、地元色の強いコンビニとなっています。他の3つは日本でも見かけますから、ハイライフに行くと、いかにも台湾な印象を受けます。
そして4位が、1988年設立のサークルK(來來超商/OK便利商店)です。4位という立ち位置も日本のサークルKにそっくりですし、正直、上位2つのコンビニに比べますと、店の雰囲気も洗練されていませんし、立地も地味なことが多く、懐かしさすら感じる内装は、いかにもサークルKって感じだな...と思えます。
台湾のサークルKは、ロゴは「OK」となっていて店名表記は「OK MART」と書かれています。実は、台湾だけでなく中華圏の方にとって「サークルケイ」は、ものすごく発音がしにくい言葉なのだそうです。そのため中華圏では台湾だけでなく各地で「オーケイ」という店名を採用しているとのこと。ちなみに名古屋では「マルケー」と呼ばれていました。
さっそく入ってみましょう。まず目に飛び込んでくるのは「OK CAFE」の文字。日本でもコンビニエンスストアで初めて、本格的にコーヒーを提供したのはサークルKサンクスでした。コーヒーに力を入れているという点も、日本のサークルKと共通しています。
店内はオレンジ色の照明が目に付きます。確かにサークルKといえばオレンジですが、この色合いは、どちらかというとデイリーヤマザキを思い出すオレンジです。
カップラーメンコーナーを見てびっくり!あの、名古屋の寿がきや食品のカップラーメンが充実。日本のサークルKは名古屋が発祥です。台湾のサークルKも名古屋色強いね!と思ったら...。
売られていた寿がきや食品の「アジアン食堂」シリーズ。あれ?こんなの日本であったかな...と全部買ってみました。
「スパイシーヌードルトムヤンクン」「スパイシーヌードルカリー」「スパイシーヌードル鶏塩風味」すべて商品名は日本語表記ですし、説明も日本語表記、スーちゃんもいます。しかし。
実はこの商品、富永貿易と寿がきや食品との共同開発商品でして、マレーシア製のハラル認証商品なんですね。かつてはユニーのアピタでも限定で販売されたこともあるそうです。ただ、これは台湾向け商品。台湾向けでも日本語はそのまま。それにも理由があります。
台湾では日本の製品であることが信用であり、意図的に日本語にすることがよくあります。逆に、台湾製の台湾メーカーのせんべいでありながら「北海道」という商品名だったりすることも。日本のパッケージのまま売ることが、ブランドになるわけですね。
すべていただきましたが、スパイシーでありながらも優しい味で、もっと日本で展開しても売れそうなんだけどな。
日本のサークルKサンクスが、ファミリーマートと統合されるに当たって、直前までわからなかったのがポイントです。日本のサークルKは「楽天Rポイント」、日本のファミリーマートは「Tポイント」。結局、これはTポイントに統一されることになりそうです。
しかし、台湾のサークルKならこれからもポンタが使えます!あれ?違う違う、ポンタって日本ではサークルKじゃないよね?店頭には、サークルKには似つかわないタヌキの姿が。ポンタじゃないですか。ポンタがサークルKの制服着ています。これは日本では絶対に見られないポンタです。
日本ではポンタといえばローソンですが、そうですね。台湾にはローソンがありません。だからポンタがサークルKなのですね。
これからも、台湾ではサークルKが存在し続けます。ポンタが使えるサークルKという、イレギュラーな感覚を味わいに、台湾にお越しの際はぜひサークルKへ!と書こうと思ったら、台湾のポンタカードは日本のポンタ加盟店で既に使えるのですが、逆の、日本のポンタカードを台湾のサークルKで提示しても今のところはダメだそうです。
しかし、年内には台湾用のポンタカードを日本人ポンタ会員に発行する形で、ポンタのポイントを貯められるように対応するとのことで、日本のポンタポイントを台湾のサークルKでゲットできるようになります。
近い将来、日本からサークルKが姿を消して、どうしようもなく寂しくなったら、サークルKの店の雰囲気は似ていますし、制服は日本と一緒。そんなサークルKの制服を着たポンタに会いに、台湾を訪れてみてはいかがでしょうか。
台湾のサークルKポンタと一緒に描かれているのは、サークルKのクマのキャラクター。そういえば、日本のサークルKにも、楽天Rポイントを採用した際に、赤いクマのキャラクターが登場しましたっけね。ポイントは違えども、クマは一緒なのね。
★愛知県春日井市にある日本初「コンビニ発祥の地」のココストアは今...
★ココストアとサークルKとサンクスはファミリーマートになったはずだった
★店名こそ違えど商品ラインナップも...そして会社名も!
コンビニ業界4位、ユニー傘下のサークルKサンクスは9月1日、新たに統合された「FU ユニー・ファミリーマートホールディングス」傘下となり、社名を「ファミリーマート」と変更しました。
サークルKサンクスが社名を変更する形で新・ファミリーマートとなったため、会社名としての「サークルKサンクス」は既に消滅。店舗ブランドの「サークルK」と「サンクス」も、2018(H30)年2月末までにすべて「ファミリーマート」へと変更または閉店となり、サークルKは完全消滅します。何かが残る要素がありません。
その一方で、2015(H27)年10月1日付で一足先にファミリーマートに買収されたココストアは、12月1日にファミリーマートに吸収合併され、法人は解散、店舗はこの8月末をもってすべて姿を消す...はずでした。いや、確かに店名としては消したのですが...。
日本初のコンビニとして1971(S46)年7月11日に開店し、「日本のコンビニエンスストア発祥の地」という記念碑の置かれていた、ココストア藤山台店に行ってみると、店名こそ違えど、なんと、ココストアは日本初のコンビニとして、名古屋発祥のコンビニとして、残り続けていたのです。
9月に入り、青と緑の店になっているのではないかと、おそるおそるココストア藤山台店のあった場所へ行くと...。ファミリーマートではなく、なんと、「TAC-MATE(タックメイト)」というコンビニになっているではありませんか。
しかも、配色はココストア当時のまま。タックメイトは本来、緑色とオレンジ色の配色になっているはずなのですが、明らかにココストア色のタックメイトです。
この日は、家族で外でお弁当でも食べようと思っていたので、お弁当コーナーを見てみますと...。
「店内で調理いたしました」
ココストアの売りであった、店内調理も健在。さらに名物の「ばくだんおにぎり」まで販売されているではありませんか。タックメイトと名前こそ変われど、ココストアは残った...と思ったら、なんと実は、その名前も残っていたのです。
タックメイトとは、かつてココストアを設立した、名古屋に本社を置くお酒と食品の商社「イズミック」によって作られた「ボランタリー型コンビニストアチェーン」です。
ボランタリーとは、本部と加盟店が1対1の関係となるフランチャイズと異なり、それぞれの店舗の経営者の独立性を維持しながら、横の繋がりをもって連携し、共通のブランド・仕入れ・物流を共有するものです。
かつてイズミックは、フランチャイズの「ココストア」と、ボランタリーの「タックメイト」の2つのコンビニを作ったのです。しかし2012(H24)年、ココストアはこのタックメイト事業を譲受。タックメイトはココストアのボランタリー事業となっていました。
同じように、福岡県のリョーユーパンという会社が立ち上げた、ボランタリーチェーンの「RICマート」というコンビニがあります。このRICマートは、大手に対抗するために、2000(H12)年にココストアと業務提携。のちにココストアの子会社となり、2009(H21)年に「ココストアリテール」という社名に変更しています。
ここからの動きが面白いのです。ココストアのボランタリーチェーンである「タックメイト」と、ココストアリテールのボランタリーチェーンである「RICマート」について、ココストアを吸収合併したファミリーマートは、ミツウロコグループホールディングスへと譲渡することで合意します。
ココストア系のボランタリー事業について、ファミリマートはいらないと判断し、全てをミツウロコへと譲渡。すると、その中核として、この「ココストアリテール」という会社はそのまま残り、ミツウロコの傘下となりました。それが成立したのが8月25日。発表の文書に「ココストアブランドはミツウロコグループのオリジナルブランドに転換する」という文言があり、店名としてココストアは使えないことが伺えます。
9月1日より、ミツウロコグループの「ココストアリテール」が運営する「タックメイト」と「RICマート」という形となりました。そして、そのココストアリテールは、ミツウロコのある東京ではなく、ココストアのあった名古屋市へと4月に本社を移していたのです。
しかも、タックメイトはボランタリーチェーンでありながら、この「日本初のコンビニ」藤山台店は直営です。つまり、このタックメイト藤山台店を運営しているのは、株式会社ココストアリテール本体。店名こそタックメイトですが、日本のコンビニ発祥の地に、実はココストアは、残ったのです。
よく見てみますと、店内調理の「スナックランチ」にも、「ばくだんおにぎり」にも、はっきりと「製造者 株式会社ココストアリテール TAC-MATE藤山台店」と、「ココストア」の文字。
大盛ぶっかけきしめんには「株式会社イズミック」の文字も。資本的にはミツウロコグループではありますが、イズミック系のココストアリテールによるタックメイト。名古屋発祥のコンビニとしてココストア・タックメイトは、荒波を乗り越え、しっかりと残ってくれたのです。
タックメイトの店内で売られているパンは全てパスコ。イズミックが盛田家系の酒類卸で、ココストアが盛田家系のコンビニで、そしてパスコの敷島製パンは盛田家系の製パン会社、盛田家の同族企業です。
お店の前にある「日本のコンビニエンスストア発祥の地」の記念碑も、「株式会社ココストア」の名前こそ消してありましたが、健在でした。
タックメイトとなったのと同時に、収納代行(公共料金・通販代金等の支払い)、クレジットカードでの支払い、電子マネーでの支払い、電子マネーへのチャージ、manacaミュースターポイントサービス、プリペイドカードの販売などは終了したとのことで、純粋に現金で商品を販売するだけのお店となっています。
また、レジもまだココストアのままで、タックメイト名義での領収書を希望される方は手書きで対応しますという張り紙。
確かに、場末感は漂っています。しかし、サークルKも姿を消し、ココストアも姿を消し、「名古屋発祥のコンビニ」が全て失われるかと思いきや、1993(H5)年に名古屋市港区で1号店がオープンした「タックメイト」が残り、その運営会社は会社名としては「ココストアリテール」を残してくれました。
この9月1日は、「さようならサークルK」の一方で、「消えると思っていたらよくぞ残ってくれたココストア」な日ととなりました。
日本で初めてのコンビニエンスストアを起源とする、名古屋発祥のコンビニは、これからも健在です!
ココストアのイメージキャラクターは、かつて「COJI-COJI」でした。そんなココストアを救ってくれたのはミツウロコ。ミツウロコのイメージキャラクターといえば...。そうか、まるちゃんがコジコジを救ってくれたのね。
【追記】2016年11月17日午後1時、閉店となりました。
★町のキャラクター「とみぱん」が提案するちょうどよい暮らし
★富加町とトミカがコラボ・ミニカーイベントも
★中濃の広域コミュニティFMラジオ局が祭りのもようを二元生放送
岐阜県の中濃地区では、平成の大合併がほとんど実施されていないため、今も多くの町村があります。そのなかにある、美濃加茂市と関市に挟まれた人口5千人ほどの「加茂郡富加町」。郡内のほかの町村とは隣接していません。
美濃加茂市の「美濃太田」から関市の「関」を通って郡上市白鳥町の「北濃」へと至る長良川鉄道越美南線が町の端を通っていて、町境ぎりぎりのところにあるのが富加駅がです。
その駅前で、今年で32回目となる夏祭りがあるということで行ってきました。「鉄道で行く富加...ってことは、トミカって言うよりもプラレールじゃない?」と思ったら、実際にコラボしてるのねトミカと富加。
長良川鉄道に乗って、美濃太田駅からわずか9分で富加駅に到着です。国鉄加茂野駅だった頃からの名残であろう木造駅舎にはレトロ感が漂いますが、そんな駅舎に張ってあるステッカーはとってもイマドキ。
富加町のキャラクター「とみぱん」の耳からはWi-Fiの電波が。なんと昭和...いや大正時代を思い起こさせるような駅なのにフリーWi-Fiが。富加町では富加駅をはじめ町内6ヶ所にWi-Fiを完備、さらには独自観光アプリを開発。観光スポットへの道案内のほか、観光スポットでは「とみぱん」と記念撮影も。
旅情を感じ、レトロ感を味わいさせつつも、不便ではないどころか時代の流れに乗っているところに、町の規模から感じるフットワークの良さを感じます。
奈良正倉院に保管されていた、現存する日本最古の戸籍「半布里(はにゅうり)戸籍」ゆかりの町である富加町のキャッチフレーズは「とみかに住もう JUSTomika Life」。5千人という町の規模、町政の目の行き届く広さ、それでいて近隣には産業も多く仕事があり、濃尾平野の北端にあたり水と緑が豊富でありつつも平坦という町の特長をアピールしています。
そんな町の魅力をラジオを通して発信する番組が月に1度放送されています。「JUSTomikaLife(ジャストミカライフ)」です。シキナユキコさんがパーソナリティを務めているこの番組は、岐阜中濃地区のコミュニティFMラジオ放送局「FMらら(76.8MHz)」で毎月第4木曜午後6時から、電波では地元に、アプリでは全世界に向けて富加町の町政、文化、生活など地域に根付いた情報を送り出しており、町の魅力を広域にアピールすることで移住の促進の意味もあるようです。
8月27日、富加駅前で開催されたのが「第32回トミカ駅前夏祭り」。午後5時から10時まで5時間にわたって繰り広げられました。冒頭、町のキャラクター「とみぱん」が登場です。ちょっといつもよりシワシワな感じがありましたが、この日は午前中に雨が降ったこともあり、涼しくて良かったのですが湿度が高かったのでその影響でしょう。
富加町特産の古代米で作ったおまんじゅうがモチーフで、背中のマントには半布里戸籍、古代の髪型をしているプニプニのパンダです。シワシワじゃなくてプニプニです。
富加町長の挨拶によってお祭りは開幕。今年からこの祭りは富加町商工会の青年部・壮年部による主催となっていまして、スタッフの方は皆さん同じピンクのTシャツを着ているのですが...そこには「トミカ」のロゴ。
そうです。あのミニカー「トミカ」のロゴなのです。なんと、富加町は読みが「とみか」ということでタカラトミーとコラボ。今年はこの祭り会場にトミカ200台が用意され子どもたちが楽しめるようになっていました。
だから、駅前でもプラレールじゃないんです、ここはトミカなのです。
もともとは富田村と加治田村が合併しての合成地名の「富加」なのですけどね。62年も経てば、完全にアイデンティティとして富加です。
午後5時にお祭りが開幕すると次第に人が増え始めます。夜店に子ども向けイベント、お楽しみ抽選会に半布里(はぶり)太鼓演奏、盆踊り、キッズダンスにベリーダンスとと5時間にわたって様々なイベントが続いたのですが...。
最高潮のお楽しみ抽選会は駅前が人で埋め尽くされました。実際に。正直、こんなにも人で溢れかえるとは思っていませんでしたので衝撃でした。長年地元に愛され続けているお祭りなのですね。もちろん、商品目当てというのもありますが、それも祭りの醍醐味です。
今年は初めて、「トミカ駅前夏祭り」をラジオがそのまま公開生放送。富加駅前の特設ラジオブースとステージを繋ぎ、中継車で地元コミュニティFMラジオ局「FMらら」の本社へと送りそのもようを電波では岐阜中濃地区に、インターネットでは全世界に配信しました。
これまでもFMららは、地元のお祭りを生中継したことがありましたが、特設ラジオブースを設けてその様子を伝えるという形でした。ところが今回は初の試み、ステージのもようをそのまま伝えつつ、特設ブースからはバックステージをレポート、より臨場感のあふれるスタイルです。
祭りのステージの様子をそのまま乗っけつつの二元放送は、進行や段取りひとつ間違えるとすぐに放送事故になるため、ディレクターとミキサー、そしてMC陣の腕の問われる形でしたが、技術陣はFMららとCTKケーブルテレビ可児、トイ・ファームが連携、そしてMC陣は岐阜で活躍されているフリーアナウンサーで講師もされている小椋明子さんと、こちらも「今小町発ナイスデイ」でもおなじみでした岐阜放送の元アナウンサーで今はフリーで活躍されている辻実枝さんのおふたりで、見事に3時間の放送は事故も無く行なわれました。
情緒あふれる、どこか懐かしさも感じられる富加町、大正時代からの木造駅舎が残る駅の前での夏祭り。Wi-Fi完備で独自アプリもありながらも駅はレトロ。伝統の太鼓演奏や盆踊りもありつつ、キャラクターやご当地いヒーローも押し出されていて、よさこいも。さらにはトミカとコラボで、そしてそのもようをラジオでアプリで全世界に向けて生放送。
古いのか新しいのか、レトロなのかイマドキなのか。きっとそれも、富加の「ちょうど良さ・JUSTomikaLife」なのでしょうね。
★創立120周年のOKB大垣共立銀行Presents
★OKBといえば行員ユニット「OKB3」「OKB45」
★クマのパディントンも来てる!
巨人戦を見にやってきました。ドラゴンズは6連敗中。入口ではこの日特製の、ドアラとバディントンベアーが描かれたうちわが配られました。クマのパディントンといえば、OKB大垣共立銀行です。この日はOKBPresentsということで、試合自体をOKBが盛り上げるというスタイルになっていました。
ああ、これなら負け試合になっても、OKBネタで記事かけるな...と、最初からドラゴンズファンらしいネガティブモードで観戦したのですが、すみませんでした!
まずは、OKBの女性行員から選手に花束贈呈です。ジャイアンツからは堂上剛裕選手、そしてドラゴンズからは堂上直倫選手が登場。OKBパワーで兄弟共演の実現です。
さらに、始球式には行員ユニット「OKB3」からNatsuさんが登場。ちなみに、「OKB3」と「OKB45」という2つのユニットがありまして、全員揃うと「OKB48」になるという仕組みになっています。
かつて、大垣共立銀行は「OKBank(オーケーバンク)」と言っていたのですが、「48」的なものが登場してからは、すっかり「OKB(Ogaki Kyoritsu Bank)」に統一。CMソングまでわざわざ同じメロディーで作り変えて、「オーケーバンク」の部分を「オーケービー」に直しています。
そんな「OKB3」と「OKB45」の登場により、昔よりはやや影が薄くなってしまいましたが、イメージキャラクターは今の健在、クマのパディントンです。OKBの最大のライバルであるトムとジェリーの銀行に比べると知名度としては...なところがありますが、映画も公開され、この8月3日にはブルーレイ・DVDも発売されるという絶好のタイミング...でしたが、そのアピールはありませんでした。
アピールといえば、パディントンはドアラやシャオロン、パオロンと一緒に登場するのですけれども、どうも動きが慣れていないんですよね。全方向向いてくれないと...。
OKBは、アイドルも自前の行員ですし、テレビ局と社員交換留学なども行なっていて、自分たちでテレビCMを作ったり、ラジオスタジオも自前で持っていたりと、自前主義なんですよね。ははん、クマのパディントンも普段は証印席だったりする?信金じゃないんだから、証印席なんて言わないか...。
さて試合です。この日のドラゴンズの先発はバルデス投手。ジャイアンツは内海投手で試合はサクサクと進むのですが...。7回でした。村田選手に一発を浴びてしまいます。投手戦で来ただけにキツい一発。でも、ソロだったのが救いでしょうか。
この日は、OKBナイターです。ピッチャーが一球投げるごとに、ライブビジョンには球速表示とともに「OKB大垣共立銀行」の文字。数百回出たことになりますかね。これは印象的です。サブリミナル的な効果で、帰りに思わず、用も無いのにOKBのキャッシュコーナーに、サークルKのゼロバンクに立ち寄ってしまう勢いです。
その裏、ダブルプレー崩れでドラゴンズは追いつきます。
8回裏、花束をもらった堂上選手がセンターにヒットを放ち、杉山選手が送ったところで、ジャイアンツはピッチャーをマシソン投手に交代。そこに代打高橋周平選手です。
高橋周平選手の右中間へのスリーベースヒットでドラゴンズ勝ち越し!さらに続く大島選手もツーベースヒットでこの回2点。3対1とします。すると9回は田島選手がきっちり3人で抑えて、ドラゴンズはジャイアンツに勝利!連敗を6でストップしました。
ヒーローインタビューは、連続でタイムリーヒットを放った2人、高橋周平選手と大島洋平選手です。OKB大垣共立銀行も勝利試合、しかも巨人に勝ったという試合になってよかったですね。
OKBも岐阜の巨人、あのトムとジェリーのところに逆転勝利、行けますかね?
8/17 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | X | 3 |